世界史講義録

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2010年度 世界史B 解答番号10~18

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2010年度 世界史B 解答番号10~18

解答番号10
 貨幣の歴史について述べた文の(ア)(イ)に当てはまる組合せを選ぶ。

 貨幣の鋳造は、アナトリア(小アジア)の(ア)で始まったとされる。図像に描かれたローマなどの貨幣とは異なって、秦の始皇帝の時代に発行された(イ)には文字のみが記され、中央に方形の孔(あな)があけられていた。

 アナトリア(小アジア)がどこかは確認すること。古代オリエントの時代、この地域に登場する最初の国がヒッタイト。最初に鉄器を作ったとされる。紀元前7世紀にオリエントをアッシリアが統一し、アッシリア滅亡後に四王国分立時代というのがある。前7~前6世紀にかけてのことです。新バビロニア、メディア、リディア、エジプトがその四つ。アナトリアに成立したのがリディアでした。ここで最古の貨幣鋳造がおこなわれたらしい。最初の鉄器、最初の鋳造貨幣、ともにアナトリア地方。覚えておきましょう。
 秦の貨幣、半両銭は絶対暗記でしょう。これは、戦国時代の他の国の貨幣も一緒に覚えておくこと。蟻鼻銭、刀銭、布銭とかありましたね。半両銭は穴が開いているので円銭、環銭と呼ばれることもある。
 正解は「①ア-リディア、イ-半両銭」となります。
 ちなみに、②④の五銖銭は前漢で作られた貨幣です。

解答番号11
 魏晋南北朝時代の文化について正しい文を選ぶ。
①韓愈が、古文の復興を唱えた。
②書の分野では、王羲之が著名である。
③顧炎武が、「女史箴図」を描いた。
④梁の昭明太子が、『斉民要術』を編纂した。

 中途半端に覚えていると苦しい問題ですね。答えは②で単純。王羲之は東晋時代の人。「蘭亭序」という作品が有名です。
 ①の韓愈は唐の人。同じ唐代の柳宗元とともに、唐宋八大家と呼ばれる名文家八人衆に数えられています。
 ③顧炎武は明末清初の考証学者。「女史箴図」を書いたのは顧ガイ(小に豈)之。似た名前で引っかけようとしているわけ。
 ④昭明太子が編纂したのは『文選』。『斉民要術』は北魏の賈思キョウの作ですが、作者名を問われることはまずありません。

解答番号12
 16世紀の起きた事件として誤っているものを選ぶ。
①インカ帝国が滅亡した。
②ツォンカパが、チベット仏教の改革を行った。
③ポルトガルが、マカオに居住権を獲得した。
④バーブルが、ムガル帝国を建てた。

 ①について。コロンブスがアメリカに到達したのが1492年。15世紀の末。その後の100年の間に(つまり16世紀に)インカ帝国は滅ぼされたかどうか。年代を覚えていなくても、だいたいそうだろうと予想できる。
 ③も同様で、ヴァスコ=ダ=ガマのインド到達が1498年。その後の100年間にマカオ居住権を得たか。日本の戦国時代(16世紀後半)には、盛んに九州に来航しているし、これも16世紀中だろうと考えていい。
 残るは、②か④か。ムガル帝国が建国されたのは1526年。16世紀前半です。この時期にイランではサファヴィー朝が建国されています(1501年)。さらにその東では、オスマン帝国が最盛期を迎えていました。これら3つのイスラーム王朝が16世紀には出そろうのでセットで覚えておくとよいでしょう。
 ②ツォンカパは1357~1419年、チベット仏教の黄帽派を創始しました。その弟子がダライ=ラマを名乗ることになります。
 正解は②。

解答番号13
 元が発行した紙幣の名称はどれか。
①布銭(布貨)
②会子
③交子
④交鈔

 ①布銭は戦国時代の韓・魏・趙で使用。
 ②会子は南宋、③交子は北宋、④交鈔が元でした。

解答番号14
 フィレンツェについて、地図上の位置とその都市で勢力を拡大した豪商の組合せとして正しいものを選ぶ。

①a-メディチ家
②a-フッガー家
③b-メディチ家
④b-フッガー家

 メディチ家はフィレンツェの、フッガー家はドイツ・アウグスブルクの富豪。メディチ家はルネサンスの芸術家を保護したことでも有名でした。フィレンツェはイタリアですから、b。
 したがって、正解は③です。ストレートな問題でした。

解答番号15
 13・14世紀の南アジアについて述べた正しい文を選ぶ。
①デリーに奴隷王朝が成立した。
②ソンガイ王国が成立した。
③ブワイフ朝が成立した。
④ヴィジャヤナガル王国が滅亡した。

 南アジアというのはインド世界(現インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ)を指す。これが分かると、②と③は消えます。②ソンガイ王国はアフリカ、サハラ砂漠の南に15~16世紀に栄えた国。③ブワイフ朝はアッバース朝下のイラン・イラクに成立した王朝でした(10~11世紀)。
 ①奴隷王朝はインド。成立は1206年。アフガニスタンにあったゴール朝のマムルーク、アイバクがデリーに建てた王朝でした。13世紀で、これが正解。
 ④ヴィジャヤナガルは南インドのヒンドゥー王朝。14世紀に成立し、17世紀に滅んでいますが、この年代は難しい。試験本番では、「デリー→インド→正解として選択」すれば、○となる簡単な問題だったかも知れません。

解答番号16
 ラテンアメリカについて述べた正しい文を選ぶ。
①19世紀前半、ブラジルはスペインから独立した。
②メキシコは、アメリカ合衆国に敗れて、カリフォルニアを割譲した。
③ペルーのアジェンデ政権は、軍事クーデタで倒された。
④シモン=ボリバルは、キューバを独立させた。

 ①ブラジルはポルトガルから独立した。スペインではない。南米ではブラジルだけがポルトガルの植民地で、のこりはスペイン領でした。
 ②これは正解。1846~48年にアメリカ=メキシコ戦争が起こり、敗れたメキシコはカリフォルニアを奪われた。このカリフォルニアは現在のカリフォルニア州よりも随分広い。ユタ、ネヴァダ、アリゾナを含む広大な地域の地名でした。
 ③アジェンデ政権は選挙で成立した社会主義政権でしたが、軍事クーデタで倒され、ピノチェトという軍人の独裁政権が成立しました(1973)。70年代に多数成立したラテンアメリカの軍事独裁政権の代表格として有名ですが、これはペルーではなくチリの出来事です。
 ④19世紀初頭、南米の独立運動を指導したシモン=ボリバルですが、彼が関わったのはベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビアで、カリブ海のキューバは無関係。キューバの独立は、1898年のアメリカ=スペイン戦争で決定され、1902年に実現しました。

解答番号17
 金や銀にかかわる出来事について述べた文として最も適当なものを選ぶ。
①ガーナ王国は、銀と塩(岩塩)を交換する交易を行った。
②アメリカ合衆国の西部で金鉱が発見され、ゴールドラッシュが起こった。
③金鉱が見つかったトランスヴァール共和国は、フランスに併合された。
④世界恐慌が起こると、イギリスは金本位制に復帰した。

 ①ガーナ王国は西アフリカの国(7~13世紀)。現在のガーナとは場所は違い、直接の関係はありません。このガーナは産金国。銀ではなく金を産出しました。岩塩との交易を行ったことはそのとおり。
 ②1848年、カリフォルニアで金鉱が発見され、ゴールドラッシュとなりました。ゴールドラッシュとは、金を求めて人々が殺到した事を指す。正しい。
 ③トランスヴァールはアフリカ南部にあった国。現在は南アフリカ共和国の一部です。17世紀半ばからオランダはアフリカの南端にケープ植民地を拓いて入植をしていました。ケープ植民地は、1815年ウィーン議定書でイギリス領となり、ここに住んでいたオランダ移民の子孫(ブール人もしくはブーア人と呼ばれる)は、北に移動し、トランスヴァール共和国とオレンジ自由国という国を建設しました。19世紀末、ここにダイヤモンドと金の鉱脈が発見されたため、イギリスは両国に侵略を開始します。これが南アフリカ戦争(ブール戦争)、1899~1902年です。結局両国は敗れて、イギリス領となり、現在は南アフリカ共和国の一部となっているのです。
 この南アフリカ関連は、試験問題の宝庫です。イギリスから独立した南アフリカ共和国が採用していた人種隔離政策(アパルトヘイト)はブール人の政策にまで遡るものとして重要です。
 南アフリカ戦争を主導したケープ植民地の首相セシル=ローズも頻出。教科書には彼がアフリカ大陸をまたいでいる風刺画がよく載っています。イギリスのアフリカ縦断政策を象徴する絵だからです。また、このときの本国植民地大臣ジョゼフ=チェンバレンも頻出。
 南アフリカ戦争をはじめたイギリスは、簡単にブール人に勝利できると考えていましたが、ゲリラ戦をとるブール人に大苦戦し、イギリスは大軍を南アフリカに派遣せざるを得なくなります。手薄になった極東のイギリス勢力を補完するために、イギリスは日本と同盟を結びます。1902年日英同盟です。これが、1904年の日露戦争の開戦を後押しすることになりました。
 ④1929年、空前の繁栄を続けていたアメリカ、ニューヨーク株式市場で株価が大暴落し、これが世界中に波及し、世界恐慌となりました。各国は自国の経済を防衛するために、輸入関税を高くする保護貿易主義を取り、金の流出を防ぐために金の兌換を停止しました。兌換とは、紙幣を金と交換することです。この時期まで、多くの国の通貨は兌換券といい、金と交換可能だったのです。金本位制というのは、このような紙幣と金が連動している制度です。各国が、金の兌換を停止するなかで、この流れに逆行したのが日本でした。日本史では「金解禁」といいます。日本国内の事情があったのですが、これが世界恐慌と重なって、昭和恐慌と呼ばれる大不況となりました。
 世界恐慌のなかで、日本だけが金本位制に復帰し、他国は金本位制をやめたのでした。

解答番号18
 アフリカについて述べた文a、bの正誤の組合せで正しいものを選ぶ。
a 三度のポエニ戦争の結果、カルタゴはローマに滅ぼされた。
b リビア(トリポリ・キレナイカ)は、ドイツの植民地となった。

 aは、基本的な知識。ポエニ戦争は前後3回行われました。正しい。
 b、リビアを植民地にしたのはイタリア。1911~12年のイタリア=トルコ戦争で、オスマン帝国から奪った。ドイツがアフリカに獲得した植民地は、カメルーン、南西アフリカ、東アフリカ。南西アフリカは現在のナミビア。東アフリカはタンザニアです。地図で確認しておくこと。
(2012.9.10記)
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