世界史講義録

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2011年度 世界史B 解答番号30~36

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解答番号30
「スンナ派イスラームを受容したトルコ系王朝の名と、その王朝の11世紀後半における支配領域を示す次の地図中の a または b の組み合わせとして適当なものを」選ぶ問題。地図の a はエジプト、 b はアナトリア地方~シリア・パレスチナ~イラク・イラン~中央アジアまでが示されている。
 選択肢は ①ファーティマ朝-a、 ②セルジューク朝-a、 ③ファーティマ朝-b ④セルジューク朝-b
 ポイントは、スンナ派、トルコ系、11世紀。11世紀といえば、1095年にクレルモンの宗教会議が開かれ、翌1096年には第一回十字軍がはじまっていることをすぐに思い出さなければならない。となれば、イスラーム王朝はセルジューク朝。これはスンナ派でした。ということで、④「セルジューク朝-b 」が正解。この時期 a のエジプトにはファーティマ朝がありますが、これはアラブ系でシーア派。ファーティマ朝は、アッバース朝に対抗してカリフを名乗ったことで有名。唯ひとつであるべきムスリムの共同体ウンマの指導者であるカリフが二人出現することは、理念上あり得なかった。天皇が二人出現するような掟破りなのですが、シーア派だからアッバース朝を無視してやり得た。これを見て、イベリア半島にあった後ウマイヤ朝君主もカリフを名乗り、カリフが3人となる。カリフを称した後ウマイヤ朝君主の名前、アブド=アッラフマーン3世を覚えておけば完璧。

解答番号31
20世紀のスペイン史について適当な文を選ぶ。
①フランス軍が、スペインでゲリラ戦に苦しんだ。
②スペイン内戦では、ドイツとイタリアは不干渉政策を貫いた。
③フランコが、独裁体制を確立した。
④アメリカ合衆国に、フィリピンを奪われた。
 ①に関しては、20世紀にフランスはスペインで戦争をしていない。19世紀初めにナポレオン軍は、スペインでゲリラ戦に苦しみましたが。
 ②③まとめて、長いめの解説をしておきます。第一次世界大戦後、戦勝国になったもの経済が停滞したイタリアでは労働運動・農民運動が大きく盛り上がり、北部の工業が発展した都市では革命前夜の様相となります。これはロシアで成功した社会主義革命の影響が非常に大きい。第一次大戦後の国際情勢には、表面には出てこなくても社会主義国家ソ連の存在が非常に大きな影を落としていますから注意しておく必要がある。
 それはともかく、社会主義勢力の発展と同時に、民族主義的・右翼的な運動もそれに対抗するように成長してきます。その代表がファシスト党のムッソリーニで、社会主義・労働運動・農民運動を徹底的に目の敵にして、地主・産業資本家を味方につけて勢力を拡大、1922年には「ローマ進軍」と呼ばれるクーデタで首相となり、1926年には一党独裁体制を固めます。これがファシズムです。イタリアのファシズムはとりたてて他国に大きな衝撃を与えませんでしたが、ドイツの場合は違いました。ムッソリーニの手法を取り入れたヒトラーがドイツで首相となるのが1933年。全権委任法で独裁体制を固め、1934年には大統領と首相の権限を併せ持つ総統に就任しました。ヒトラーはヴェルサイユ条約の破棄を唱え、ドイツの再軍備をすすめ、他国への侵略姿勢をあからさまにします。また、そのユダヤ人差別、ドイツ民族至上主義、反民主主義的政治姿勢は他国の警戒を招きました。オーストリアやフランスなどではヒトラーを真似たヒトラーもどきの政治家が出現し、それなりの人気を集めます。こうしたなか、1935年、ソ連で開かれたコミンテルン第7回大会で反ファシズム統一戦線(人民戦線)が提唱されました。コミンテルンは世界各国の共産主義・社会主義政党の指導機関としてソ連によって作られたもので、本来は社会主義革命をめざす組織なのです。しかし、ドイツをはじめとするファシズム勢力の広がりを前にして、「ファシズム勢力は社会主義者にとっても民主主義者にとっても共通の敵であるから、今こそ手を取り合ってファシズムと戦おう」と、世界に呼びかけたのです。
 これに呼応して、1936年にはスペインとフランスで人民戦線内閣が誕生しました。ところがスペインでは軍部の一部が人民戦線内閣に反乱を起こした。反乱の指導者がフランコ将軍。こうして、人民戦線内閣政府軍とフランコ反乱軍との内戦が始まった。スペイン内戦です。このときに、イタリア(ムッソリーニ)とドイツ(ヒトラー)は、積極的にフランコ将軍を支援した。ドイツ軍が、スペインの小都市ゲルニカに無差別爆撃を行ったことはよく知られています。民主主義陣営のフランス・イギリスはどうしたかというと、傍観した。不干渉政策です。ドイツとの対立を回避したのです。積極的に人民戦線内閣を支援したのはソ連とメキシコだけでした。両国以外には、人民戦線を守るために世界各地から集まった人々が国際義勇軍を結成して戦いました。内戦は、フランコが勝利し、フランコは1975年の死まで、軍事独裁権をしきました。面白いことに、フランコはドイツ・イタリアに恩義があるはずなのに、第二次世界大戦が始まると中立政策をとり、ドイツ側にはつきませんでした。
 ②で不干渉を貫いたのはイギリスとフランス。従って誤り。
 ③は正しい。
 ④はアメリカ=スペイン戦争の話。これは1898年。19世紀末でした。

解答番号32
 「12世紀のルネサンス」に関連してヨーロッパ中世の文化について誤った文を選ぶ。
 ①「カール大帝は、アルクインらを集め、学芸を奨励した。」
 カール大帝の戴冠は800年。だから、8世紀から9世紀の人。12世紀じゃないから、①が誤り、と結論を出すと思う壺にはまる。問題文は『「12世紀のルネサンス」に関連して』であって、『ついて』ではない。ヨーロッパ中世の文化に『ついて』たずねている。
 ④をみると「『ニーベルンゲンの歌』は、スラヴの英雄叙事詩に基づいている。」とある。スラヴではない。ゲルマンだと気づくかどうかの引っかけ問題でした。ヨーロッパ中世の文化で出てくるものは、そのほとんど(すべて?)が西ヨーロッパ、つまりゲルマン人のものです。東ヨーロッパ=スラヴ人で出てくるのは、ギリシア正教、キリル文字、イコンくらいのもの。文学・学問は出ない。
 ②に関して補則。中世ヨーロッパの大学はほとんどが神学で有名ですが、ボローニャ大学の法学、サレルノ大学の医学だけが神学ではないので、この二大学だけを覚えておけばよい。
 ③は「ロマネスク様式に続いてゴシック様式が広まった」という文です。ヨーロッパの美術様式の変遷は、11世紀ロマネスク→12世紀ゴシック→15世紀ルネサンス→17世紀バロック→18世紀ロココ。

解答番号33
 ヨーロッパ中世の農民や手工業者について述べた a、b の正誤の組み合わせとして正しいものを選ぶ。
a 荘園制の下で農奴身分に置かれた農民は、領主への貢納や賦役を課されていた。
b 生産・流通の自由競争を保証するために、同職ギルドが組織された。
 a の文は問題ありません。貢納は農民が自分の保有地の収穫物から領主に納めるもの。賦役は領主直営地で働くこと、労働力そのものを納めるものです。
 b 同職ギルドというのは様々な職人の組合のこと。組合は組合員の利益を守るために作られるのであって、よそ者の参入を認めず、自分たちだけで生産流通を独占しようとします。自由競争なんてとんでもない、というのがギルドの発想です。日本史では中世の「座」や江戸時代の「株仲間」がこれに当たるものです。
 ②「a-正 b-誤」が正解。

解答番号34
 ア…15・16世紀の北インドで、北インドの地方語が、ペルシア語・アラビア語などの語彙を取り入れながら発展して成立した言語は何か。
 イ…タージ=マハルを造営した人物は誰か。
 アとイの答えの組み合わせで正しいものを選ぶ。
 アの選択肢はウルドゥー語とタミル語。答えはウルドゥー語。タミル人が南インドの民族と知っていればウルドゥー語を知らなくてもわかる。スリランカの民族紛争でタミル人のことがニュースでたまに出てくるのですが。
 イの選択肢は、アイバクとシャー=ジャハーン。アイバクが奴隷王朝の創始者で、タージ=マハルがムガル帝国の代表的な建築物と知っていれば簡単。答えはシャー=ジャハーン。シャー=ジャハーンの息子がアウラングゼーブ、ムガル帝国第七代皇帝。クーデタで父帝シャー=ジャハーンを監禁して帝位にを奪いました。ついでに初代皇帝は中央アジア・サマルカンド出身のバーブル、二代目がフマーユーン、三代目がアクバル。
 ウルドゥー語とシャー=ジャハーンの組み合わせの②が正解。

解答番号35
 15・16世紀に起こった戦争について正しい文を選ぶ。
①メフメト2世が、コンスタンティノープルを占領した。
 ビザンツ帝国滅亡は1453年。絶対暗記年代(必ず覚えなければならぬということ)。ばっちり15世紀。これで決まりですが、②以下も見ておきましょう。
②元(大元ウルス)が、2回にわたって日本に出征した。
 15・16世紀は日本では室町時代。元寇は鎌倉時代。誤文です。
③アメリカ独立戦争が始まった。
 これは18世紀のこと。フランス革命は1789年。1789年は絶対暗記年代。フランス革命のちょっと前がアメリカ独立戦争だったなあ、と推論してください。
④スウェーデン王グスタフ=アドルフが、三十年戦争に参戦した。
 三十年戦争の終結が1648年のウェストファリア条約。1648年も絶対暗記。これは17世紀ですから誤り。

解答番号36
 南インドについて、a b 二文の正誤の組み合わせの正しいものを選ぶ。
a 14世紀、ヴィジャヤナガル王国が成立した。
b 17世紀、マドラスがイギリス東インド会社の拠点となった。
 南インドと東南アジアの王朝は非常に覚えにくい。前後関係や横のつながりが希薄だからですね。山川出版の詳説世界史Bでは「南インドでは、14世紀にヴィジャヤナガルとよばれるヒンドゥー王国が誕生し、16世紀初めに全盛期を迎えた」とある。a は正しい。
 イギリスが本格的にインドに進出するのは、1623年のアンボイナ事件で、オランダにインドネシアから追い落とされた後のこと。インドのマドラスに拠点を築いたのは1640年。17世紀で間違いありません。
 正解は①「a-正 b-正」

(2012/07/14記)

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