世界史講義録

センター試験を解く
2012年度 世界史B 解答番号28~36

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解答番号28
 19世紀に起こった出来事として誤っているものを選ぶ。
①日本は、台湾出兵を行った。
②インド国民会議が結成された。
③ドイツは、オーストリア・イタリアと三国同盟を結んだ。
④韓国(大韓帝国)は、日本と日韓協約を締結した。

 ②などは、年代を覚えていないような事項ですね。1904~05年の日露戦争後に、日本の勝利に刺激されて、反英的になっていったことは知られているので、19世紀には結成されていたのはほぼ確実ですが、では結成は18世紀までは遡らないのか。インド大反乱が1857~59年、このあとイギリス政府によるインド直接統治が始まって1877年がインド帝国の成立。イギリス側がインド人の協力を取り付けるためにはじめたインド国民会議はこのあとだと予想できます(結成は1885年)。だから、年号を覚えていなくても、19世紀と解ります。
 日本が絡んでいる事件は、日清・日露戦争を基準に覚えておくとよい。①の台湾出兵はいつのことか。日清戦争で台湾は日本の領土になったのですから、そこへわざわざ出兵する必要がない。ということは、日清戦争の前。日清戦争は1894~95年。19世紀の末ですね。明治維新が1868年だから、その間の出来事(1874年)。19世紀でまちがいありません。
 ④日韓協約は韓国を保護国化、植民地化する過程で結ばれた条約で、第一次から第三次まであります。19世紀末から日露戦争が始まるまで、韓国政府は親露政権でしたから、そのような条約を結ぶのは無理。日露戦争開始直後から、日本軍は朝鮮半島を支配下において、日韓協約を結んでいきました。日露戦争は1904~05年でしたね。したがって、これは20世紀の出来事。
 ③は1882年。このころのドイツは、三帝同盟、独墺同盟、独露再保障条約と、さまざまな条約を結んでいます。すべて、ビスマルクによるもので19世紀末。
 誤っているのは④。

解答番号29
 アジアにおける固有の文字の形成についての文a・b・cを、古い順から配列されいるものを選ぶ。
a 朝鮮(李朝)では、訓民正音(ハングル)が作られた。
b 遼では、契丹文字が作られた。
c ヴェトナム(陳朝)では、字喃(チュノム)が作られた。

 それぞれの文字がいつ作られたかということよりも、それぞれの国の順番を並べてみましょう。遼は契丹人が建てた。中国の五代十国時代に中国北部の燕雲十六州を領土に加え、宋の時代になっても北方の強国として勢力を振るいました。この遼を女真人の金が滅ぼし、その金を滅ぼしたのがモンゴル帝国。モンゴルは当然、朝鮮半島も支配下におきました。そのときの朝鮮半島の王朝は、高麗でしたね。高麗はモンゴルの属国となり、元朝滅亡(モンゴル帝国衰退)後、朝鮮(李朝)に取って代わられました。
 これで、aとbの順番は判明。
 cのヴェトナム陳朝はいつ頃なのか。ヴェトナムの王朝は、李朝、陳朝、黎朝とつづきます。陳朝は、モンゴル軍の侵入を撃退した、ということで教科書に記述が出てきます。
 ということで、モンゴル以前がb、モンゴル時代がc、モンゴル以後がa。モンゴル時代を指標にして、並び替えが成功しました。
 ④「b→c→a」が正解。

解答番号30
 1910年代における中国・朝鮮の言文一致と啓蒙運動について述べた文の(ア)(イ)に入れる語の組合せの正しいものを選ぶ。

 中国で胡適や魯迅などによって推進された白話(白話文学)運動は、知識や思想の革新を主張する(ア)を進展させた。しかし、朝鮮では(イ)によって、このような啓蒙運動の展開が著しく制限された。

 選択肢を見ると、アは文化大革命か新文化運動、イは武断政治(武断統治)と羈縻政策。この二つの組合せから選ぶ。易問。
 アは新文化運動。これが後の五・四運動や国民革命を思想的に準備することになりました。文化大革命は中華人民共和国成立後1960年代の話。
 イは、武断政治。朝鮮を植民地化した日本ですが、朝鮮総督府の支配は武断政治といわれた。後に三・一独立運動後は文治政治に切り替えていきますが、1910年代は武断政治の時代です。
 ③「ア-新文化運動、イ-武断政治(武断統治)」が正解。

解答番号31
 「現在、南アジアの諸言語は、(ア)などのドラヴィダ系、(イ)などのインド=ヨーロッパ系、さらにアウストロアジア系、シナ=チベット系に分類されるのが通例である。」
この(ア)(イ)に入れる組合せとして正しいものを選ぶ。
①ア-ヒンディー語、イ-タミル語
②ア-ヒンディー語、イ-アッカド語
③ア-タミル語、  イ-ヒンディー語
④ア-アッカド語、 イ-ヒンディー語

 南アジアとはインド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、のことと考えてよい。選択肢のアッカド語は明らかに「?」なので(アッカドは前22世紀頃古代メソポタミアの国名にありました)、これを含む②④を消すと、ヒンディー語とタミル語の組合せになる。ドラヴィタ人は現在インド南部に多く住む人たちだから、インド南部で多い言葉はタミル語か、ヒンディー語かと考える。このあたりは、日ごろからニュースとかに接しているかがポイントになるかも知れません。スリランカでのタミル系反政府勢力の活動が、たまにテレビや新聞に載るので、それを覚えていればタミル語は南、ドラヴィタ系、(ア)と分かるのですが。もちろん教科書にはちゃんと書いてあります。
 正解は③。

解答番号32
 a、b文の正誤の組合せの正しいものを選ぶ。
a インダス文字は、20世紀に解読された。
b ムガル帝国では、ペルシア帝国が公用語(公式文書に用いられる言語)であった。

 インダス文字は未だ解読されていません。
 ムガル帝国は二代目皇帝までは権力基盤が安定せず、ペルシアのサファヴィー朝から兵力を借りたり、ペルシア人を大臣に登用したり、その関係は結構深く、文化面でもペルシア文化の影響を大きく受けていたようです。公用語がペルシア語というのはその通りです。
 正解は③「ア-誤、イ-正」です。

解答番号33
 1950年代に起こった出来事で、正しいものを選ぶ。
①インドとパキスタンが、相次いで核実験を行った。
②ハンガリーで、反ソ暴動(ハンガリー事件)が起こった。
③中華人民共和国が、国連における代表権を獲得した。
④ソ連が、キューバにミサイルを配置した。

 年代を暗記していない場合、どう推測したらよいのか。第二次世界大戦が終わったのが1945年。この年は覚えているでしょう。インドはイギリスの植民地で、第二次世界大戦後の独立した(自治領成立は1947年、独立は50年)。建国10年で核兵器を作ることができるか。相当難しいだろうと想像できます。とりあえず①は除外。
 ③はどうか。国共内戦を経て、中華人民共和国が成立したのが1949年。国民党政権は台湾に逃れて中華民国の国号を引きつづき用い、自らが中国の正統政権であることを主張しました。東西対立の最中であり、アメリカは台湾政権を支持し、台湾=中華民国が国連の議席を維持し続けました。1950年から53年には朝鮮戦争があり、アメリカ軍(国連軍)と中国人民義勇軍が戦っています。この50年代に、アメリカが中華人民共和国を国連代表として認めるか?(アメリカが認めずに代表権を得ることはあり得ません)。これも、ちょっと早すぎる感じです。③も除外。
 ④のキューバ危機は1962年。米ソ核戦争が最も現実味を帯びた時でした。これは覚えておいて欲しい年代。アメリカの大統領はケネディ、ソ連の第一書記(書記長)はフルシチョフでした。
 ②が50年代。ハンガリー事件は1956年。同年のソ連のフルシチョフによるスターリン批判に刺激され、反ソ暴動が起きたのでした。
*インド核実験1974年。パキスタン核実験1998年。中華人民共和国の国連議席獲得1971年。

解答番号34
 a、b文の正誤の組合せの正しいものを選ぶ。
a ギリシア人は、異民族をバルバロイ(聞き苦しい、訳の分からない言葉を話す者)と呼んだ。
b ルターは、神聖ローマ皇帝の保護の下で、『新約聖書』をドイツ語に翻訳した。

 aは正しい。基礎の基礎。バルバロイは、英語のバーバリアン(野蛮人)の語源でもある。付け加えるとギリシア人の自称は「ヘレネス」。バーバリアンとセットで覚えておこう。
 bについては、神聖ローマ皇帝は宗教改革の時にルターの味方だったか、ローマ教会の味方だったか考えれば、すぐ分かる。神聖ローマ皇帝カール5世は、ローマ教会の意向を受けて、ルターに改宗を迫りますが、ルターは拒否。その後ルターはザクセン選帝侯フリードリヒの保護の下、『新約聖書』のドイツ語訳を行いました。
 ②「a-正、b-誤」が正解。

解答番号35
 「未回収のイタリア」に含まれる地名とその位置、地図中a、bの組合せとして正しいものを選ぶ。
①南チロル(南ティロル)-a
②南チロル(南ティロル)-b
③トリエステ-a
④トリエステ-b

 1861年、イタリア王国が成立した以降に、本来イタリアの領土であるはずなのに(イタリア人にとって)、オーストリア領となっていた地域が「未回収のイタリア」。南チロルという地名だけで、アルプス山脈の地名だな、と勘を働かせてください。そうするとaがアルプス山脈にあたる。①が正解となる。
 bはサルデーニャ島。トリエステではありません。トリエステはアドリア海に接する港町。アドリア海はイタリア半島とバルカン半島に挟まれた海です。地図帳などでトリエステは確認しておくこと。

解答番号36
 アフリカの歴史について、正しいものを選ぶ。
①ザンベジ川の南では、アクスム王国が栄えた。
②西アフリカから大西洋を越えて、奴隷が輸出された。
③1970年は、「アフリカの年」と呼ばれた。
④アフリカ連合(AU)は、アフリカ統一機構(OAU)に発展した。

 アフリカ史は、学校では詳しくやらないから教科書に載っていても不得意な人が多い。しかし、これは見かけによらず簡単な問題。ざっと読んでみれば、②は間違いがないことがすぐに分かります。
 ①③④は正誤判定できなくても、正解は分かりましたが、一応検証しておきましょう。 ①アクスム王国はエチオピア北部に紀元前後から6世紀くらいに栄えた国です。宗教はキリスト教でした。ナイル川を遡って伝わったのでしょう。ザンベジ川はアフリカ南部、ザンビアからモザンビークに流れる川です。エチオピアとは全然場所が違う。
 ③「アフリカの年」とは1960年。この年、アフリカで17の国が独立したのでこう呼ばれます。
 ④は逆。1963年に結成されたアフリカ統一機構(OAU)が、発展してできたのが2002年のアフリカ連合(AU)です。

(2012/08/31記)

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