世界史講義録
  


第108回  日清戦争と日本による朝鮮の植民地化

朝鮮の農民反乱からはじまった日清戦争で日本は勝利したものの、朝鮮政府はロシアに接近して日本の排除を試みました。日露戦争の後、日本は朝鮮支配を完成させました。

■甲午農民戦争から日清戦争へ
 1894年、全羅道を中心に、甲午農民戦争と呼ばれる農民反乱が勃発しました。指導者全 準(チョンボンジュン)は、東学の指導者でした。東学とは19世紀末に儒教、仏教、道教を融合して成立した宗教で、西学=キリスト教に対抗する意味で東学と名づけられたのです。
2月、全羅道古阜(コブ)郡で役人の不当な徴税に抗議して千人ではじまった反乱は、5月には1万人に増え、道都全州を占領するに至りました。「悪政改革、外人追放、万民福利、逐洋斥倭(ちくようせきわ・西洋人と日本人を追い払え)」を唱え、開国以来目に見えて生活が悪化していた民衆の支持を集めました。

朝鮮政府は、これを鎮圧できず清に援軍を要請しました。清は出兵するとともに天津条約に基づき日本に通告したため、日本も居留民保護を名目に朝鮮への出兵を決定しました。
 侵略につながる日本の出兵をのぞまない朝鮮政府は、日本に撤兵を要請する一方、出兵の口実をなくすため農民反乱軍と交渉してその要求を受け入れたため、農民軍は全州を退去しました。反乱終結を理由に、朝鮮政府は日清両軍に撤兵を要求しましたが、これを機に清と戦って朝鮮に対する支配権を確保したい日本は要求を拒否して、7月末、逆に王宮を軍事制圧し親日政権を樹立し、朝鮮西海岸で清国艦隊に攻撃を開始しました(宣戦布告は一週間後)。こうして日清戦争が始まりました。

■日本の勝利と下関条約
 戦闘は日本軍の優勢のうちに進み、9月には平壌会戦と黄海海戦で勝利し、10月には清朝領内の遼東半島、翌年1月には山東半島に侵攻、3月には澎湖島を占領しました。
 1895年3月、清は降伏し、下関条約が結ばれました。全権代表は日本が伊藤博文、清は李鴻章でした。内容は、朝鮮の独立、遼東半島・澎湖島・台湾の日本への割譲、賠償金2億両などです。朝鮮の独立とは、清が宗主権を放棄し日本の朝鮮への干渉を容認することを意味しました。賠償金2億両は当時の日本政府の歳入4年2ヶ月分にあたります。

■ロシアなどによる下関条約への干渉
 日本が清に勝利し、広大な領土を獲得したことは、ヨーロッパ列強の警戒感を招きました。特に、中国東北部への進出を狙っていたロシアは、フランス・ドイツを誘って遼東半島の清朝への返還を日本に要求しました。これを三国干渉といいます。日本はこの要求に屈して、遼東半島を清に返還しましたが、この後ロシアを仮想敵として軍備拡張をおこなっていきました。

■ロシアに接近する朝鮮政府
 日清戦争以来、朝鮮では親日派政府が成立していましたが、閔妃は三国干渉の結果を見て、日本の勢力を排除するためにロシアへの接近をはかりました。1895年10月、これを阻止しようとした日本公使陸軍中将三浦梧楼は、深夜に日本兵と壮士を引き連れ王宮に乗り込み、閔妃を斬殺し遺体を焼却するという事件を起こしました。朝鮮人同士の事件に偽装するつもりでしたが、アメリカ人軍事教官とロシア人技師に目撃され国際問題となる一方、各地で王妃殺害に憤激した義兵(義勇軍)による反日闘争が起こりました。国王高宗はロシア公使館に移り親露派政権が誕生し、ロシアは軍事顧問、財政顧問を送り朝鮮への影響力を強めました。ちなみに、日本へ召還された三浦たちは裁判で証拠不十分として無罪になっています。
1897年、高宗はロシア公使館から王宮に戻り、国号を朝鮮から大韓帝国に、称号も王から皇帝へと改め独立国としての気概を示しましたが、国の置かれている状況を変えるものではありませんでした。

■日露戦争後の韓国の抵抗と日韓併合
 1905年日露戦争で勝利した日本は韓国に第二次日韓協約締結を強制し、韓国の外交権を奪い保護国化しました。1907年、高宗は第二次日韓協約の無効を世界に訴えるため、オランダのハーグで開かれていた第2回万国平和会議に密かに使節を派遣しました。しかし、日本も参加する平和会議は、韓国使節の参加を認めず、使節の一人が抗議の自殺を遂げる事件に発展しました(ハーグ密使事件)。日本は事件を理由に、高宗を退位させ、第三次日韓協約で内政も監督下に置き韓国軍を解散させました。
この後、元兵士を中心に義兵闘争が活発化し、1908年には義兵と日本軍との交戦回数は1400回を数えました。1909年、伊藤博文を満州鉄道のハルピン駅で暗殺した安重根(アンジュングン)も義兵でした。
しかし、義兵も徐々に日本軍に制圧され、1910年12月22日、日韓併合条約によって韓国は日本に併合されました。
この夜、ソウルの朝鮮統監寺内正毅は「小早川加藤小西が夜にあらば今宵の月をいかに見るらん」と詠みました。秀吉の猛将たちがなしえなかった朝鮮征服を成し遂げたと得意です。反対に、韓国併合のニュースを聞いた石川啄木は「地図の上/朝鮮国にくろぐろと/墨をぬりつつ秋風を聞く」と詠んでいます。


「よくわかる高校世界史の基本と流れ」(秀和システム)より

第108回 日清戦争と日本による朝鮮の植民地化 おわり

こんな話を授業でした

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