独占資本・金融資本は国内では投資しきれない過剰な資本を海外に輸出しようとします。そのために、政府を動かして投資先の国と条約を結んでゆきますが、相手国が西欧と異なる外交・経済体制をしき資本輸出が困難な場合には、軍事力によって条約を強制したり、その国を滅ぼし直接支配しました。これが、従属国や植民地を求めた理由です。古代ローマ帝国のように領土拡大をめざしたことから、このような政策を帝国主義政策と呼びます。各国は先を争って世界分割に乗りだし、また、そのために軍備を増強しました。
■資本輸出としての鉄道建設と借款
典型的な資本輸出は鉄道建設です。資本と技術が集約された鉄道建設は、製鉄、機械工業に需要をあたえ、沿線での工場建設や鉱山開発を促進し産業全体を牽引しました。
1870年代から世界中で鉄道建設が盛んになり、総延長距離はアジアでは1870年に8000キロだったものが、10年ごとに倍増し1910年には102000キロに延びています。この大部分は帝国主義列強によって建設されたものです。ロシアがフランスの資本を導入して建設したシベリア鉄道は有名です。
相手国政府に資金を貸し付ける借款も資本輸出の一つの形態で、これは相手国の関税収入や鉄道敷設権を担保にして、半植民地化する手段としても有効でした。
■アフリカ分割をめぐる帝国主義国の対立
1880年代以降になると、列国の植民地獲得競争は激化します。アフリカ大陸に関して、ヨーロッパ諸国はお互いの衝突を回避するために、1885年のベルリン会議で、「先に占領した国が領有する」(先占権)というルールを一方的に作り分割していきました。イギリスはエジプトからケープ植民地まで自国の植民地をつなげるアフリカ縦断政策を、フランスはアルジェリアからジブチをつなぐアフリカ横断政策をとりました。その過程で両国軍が、1898年スーダンのファショダで衝突し(ファショダ事件)、両国間の緊張は開戦寸前まで高まりました。フランスの譲歩で戦争は回避されましたが、植民地分割が帝国主義国間戦争に発展する可能性を示した事件でした。
「よくわかる高校世界史の基本と流れ」(秀和システム)より
第112回 帝国主義諸国の世界分割 おわり