こんな話を授業でした

   第12回   ギリシア・ヘレニズム文化 

目次 1自然哲学
2ソフィスト
3ソクラテス
4プラトンとアリストテレス
5文芸
6ヘレニズム文化

1自然哲学

 世界で最初に哲学を生み出したのがギリシア人でした。
古代ギリシアの市民は、ヒマです。
畑仕事などの労働は奴隷がするし、夫婦で家事を分担するなんて発想は全然なくて家事は基本的に女性がみんなやる。
だから市民、といえば男ですが、はヒマでヒマで。
ヒマを持て余して昼間からアゴラと呼ばれる広場に集まってブラブラしているのです。
ベチャベチャとお喋りしたり、戦争のために身体を鍛えたり、そんな事してみてもやっぱりヒマ。
人間ヒマだといろいろ余分なことを考える。

で、彼らは考えたのですね。
何で?何で世界は出来てるの?って。
これが最初の哲学でした。
最初の哲学は自然哲学といいます。今ならさしずめ科学にあたることを考えた。
世界の成り立ちとかをね。ただし、実験道具も何もないからひたすら頭の中で論理で考えた。

 その最初の人がタレース(前580年頃活躍)です。
この人はイオニア地方ミレトスの人です。ギリシア本土ではない。タレース以外にも自然哲学者はイオニア地方やシチリア島の人が目立ちます。ギリシア本土でない分、伝統にとらわれず他民族の刺激などを受けて新しい発想が生まれたとも言われています。
さて、タレースの言葉「万物の根元は水である」。しっかり覚えておこう。
これが最初の哲学の言葉だ。世界は水から出来ている、というのは幼稚に思えるかもしれないが、やはり画期的なんですよ。
一つは、世界の成り立ちを追及した点で、そして二つ目に、これは最も重要ですが世界の成り立ちを神様抜きで考えた点で。
彼も神々を信じていたでしょうが、とりあえずそれはこっちに置いておく。この発想がすごいわけです。
このタレースという人はただ哲学をしただけではない。日食を予言したり、川の流水量を調整して軍隊の渡河を可能にしたりいろいろな技術を持っていました。

ヘラクレイトス(前500年頃)は「万物の根元は火である」。
でもこの人は「万物は流転する」という言葉の方が有名ですね。炎がじっとしていないように、全てのものは一瞬も同じところに止まらない、と考えたと言われています。

火でも水でも空気でも何でもありで、いろいろな考えが出てくるんですが、やがて発想は抽象的になってきます。
その中でもデモクリトス(前460頃~前370頃)は、大事だ。「万物の根元は原子(アトム)である」というのが彼の考えです。モノをどんどん細かく分けていくと最後は小さな原子になるというんだね。現在のわれわれの持っている物理学の知識と基本的には同じでしょ。
頭の中で考えるだけでも、ここまで到達できるんですね。

抽象の極限がピタゴラス(前6世紀)でしょうか。
数学の基礎づくりで有名な人ですが彼は「万物の根元は数である」。

2ソフィスト

 さて、やがて関心は自然の成り立ちから人間の生き方へと移っていきます。
いかに生きるべきか、真とは、美とは、善とは、こんな事をギリシア人達は考えはじめた。
こういう中で、活躍したのがソフィストと呼ばれた人たちです。
ソフィストというのは弁論術教師のことです。
なぜソフィストたちが活躍をするようになったかというと、民主政の発展に関係がある。
アテネの民会を思い出してください。6000人が集まる会議で自分の意見を人に聞いてもらい、さらに人々の支持を得て、自分の意見を通そうと思ったら話術がうまくなかったらダメなんですよ。面白くなかったら聞いてもらえない。議論で相手に勝てなかったら意味がない。議論や話術がうまくなるには、悪い表現を使えば屁理屈をこねる能力が必要です。
理屈が上手いのは、知恵のある人たち、つまり哲学者ですね。
そういう哲学者に政治家志望の若者達が教えを請うたわけだ。

ソフィストというのはもともとは「知恵のある人」という意味です。要するに哲学者だね。ちょっと前に「ソフィーの世界」という本がありましたね。ソフィーというのは女の子の名前ですが、「知恵」という意味です。日本風に言えば知恵ちゃんです。そのソフィストですが、やがて意味が変わってきて、弁論術の教師となった。

 そのソフィストで最も有名なのがプロタゴラス(前490頃~前420頃)です。
ものすごい授業料をとって教えたらしい。軍艦一隻の建造費と同じだけの授業料をとったといいます。1万ドラクメだって言うんですが、今ならいくら位ですかね。1000万円くらいでしょうか。

プロタゴラスの言葉です。
「万物の尺度は人間である。」
エジプト人は人間の身体に鷹や山犬の頭をつけたモノを神と考え、ペルシア人は火を神と崇め、ヘブライ人は神をヤハウェのみとし、われわれギリシア人はまた別の神を持つ。
神ですら、時と所が違えば変わる。どこに絶対的な真理や善やその他もろもろがあろうか。君の正義とわたしの正義は違う。
「万物の尺度は人間」というのはそういう事を言っている。
難しい言い方で価値相対主義。
議論で相手を打ち負かすのが目的になりますから、絶対的真理なんて追い求めていてはダメなわけです。ある時は黒を白と言いくるめ、またある時は白を黒と言いくるめることが必要になる。そう考えると「万物の尺度」を「人間」にするのは都合よいです。

3ソクラテス

 ソフィスト達の言っていることは結構現代人には共感できる点が多いと思います。「奴隷制は人間性に反する」と言っていたり、「神は頭のいい男が人々を従わせるために発明したものだ」とか、面白いことも言っています。しかし、哲学史上は評価が低い。
というのは、彼らと対比される大哲学者が登場するのですよ。
それが、ソクラテス(前470頃~前399)です。

これがソクラテスの彫像です。ソクラテス
見てどんな感じですか。ねえ、、、。
当時の記録では彼は非常にみっともない男とされています。頭は禿げ上がり、目はギョロ目、鼻は獅子鼻で、分厚い唇、おまけに小太りでお腹は突き出ている。さらに、非常に毛深かったそうです。
彫刻を見る限りではそんなにひどい男には見えませんけどねえ。
そして、偉大な人生の先生だった。

彼はアテネで生まれ、アテネで死にます。生粋のアテネっ子。ちょうどペロポネソス戦争末期の時期と彼の人生は重なります。
若いときから哲学の勉強をしていたようです。
ソフィスト全盛の時代なのですが、彼はソフィストと決定的に違う点があった。
彼は若い弟子達に哲学を語りますが、決して授業料は取らなかった。金儲けのための哲学ではなかったのです。
そしてよりよく生きる事を考えた。普遍の真実や善や美が存在すると信じ、それを追及し続けました。
そんなソクラテスには、友人や若い弟子達がたくさんいた。
ソクラテス自身は本を残していませんが、彼の弟子や友人が彼の行動や言葉を記録しています。それで有名なのがこんな話です。

 ソクラテスが40代くらいの事です。ソクラテスの友人にカイレポンという男がいました。カイレポンはソクラテスの大ファンでもあった。ある時、彼はデルフォイの神殿に行った。前にも言いましたが(第9回参照)この神殿では神様のお告げがもらえるんです。
で、カイレポンは神様に尋ねたのです。「ソクラテスよりも賢い人間がいるか?」と。そしたら巫女さんに神様が乗り移って言うには「ソクラテスより知恵のある者はいない」。
カイレポン、やっぱり!、と嬉しくなってアテネに帰ってソクラテスに教えてやるのですよ。
「デルフォイの神託でお前がこの世で一番知恵のある男と分かったぞ!」ってね。

当のソクラテスはそれを聞いて、まあびっくりした。
私よりも知恵のある人はたくさんいる。私が一番知恵者であるはずがない、とね。
しかし、ソクラテスもこの時代の人ですからデルフォイの神託を信じてもいる訳です。神がウソをつくはずもない、とも思った。

そこで、彼はどうしたかというと神託の意味を知るために色々な人を訪ねてまわりました。アテネで人々の尊敬を集めている人、知恵者と呼ばれている人、立派な政治家、才能ある芸術家、そんな人をどんどん訪ねる。そして、質問をぶつけてその人の持つ知恵について確かめるんです。

たとえばこんなふうです。
ソクラテスはある人を訪ねて質問する。
「友人にウソをつくことは正しいか、不正か?」
相手は答える。
「それは不正である。」
さらにソクラテスは質問します。
「では、病気の友人に薬を飲ませるためにウソをつくのは正しいか、不正か?」
相手は答えます。
「それは正しい。」
そうすると、ソクラテスはここぞとばかりに突っ込むのです。
「あなたは、先ほどはウソをつくのは不正と言い、今は正しいと言った。
一体、ウソをつくのは正しいのか不正なのか、どちらなのかね?」
きかれた方は困りますよね。
「うーん、そういわれると私にはもう分からない。」
ここで、引き下がればいいんですがソクラテスは追い打ちをかけるんだ。
「あなたは、何が正しいことで、何が正しくないかを知らないのに、今まで知っていると思っていたんですね。」

 こんな調子でソクラテスはアテネの有名人を次から次へと質問責めにしたんです。
端から聞いていれば、こんなに面白い会話はない。
多分アテネの若者達がソクラテスについて歩いてこんな会話を聞いていたんだろうね。
若者達からは人気者になった。だけど、彼に質問責めにあった有力者達はたまりません。みんなの見ている前で恥をかかされるんだから。うっとうしい、困った男と思われても仕方ないですね。

ソクラテス、多くの人と話をして、最高の知恵者という神託について結論を出しました。
自分より多くの知識を持つ者はたくさんいる。知恵の量では自分は取るに足らない者だ。しかし、自分と他の者には決定的な違いがある。自分より多くを知っている者も全ての事を知っているわけではない。なのに彼らは全てを知っているつもりでいる。私は何も知らない、無知である。しかし、自分が無知であることを知っている。もしも、自分が他の者より知恵があるとすれば、それを知っているからだ!
これが、「無知の知」といわれるものです。

ソクラテスは自分なりのやり方で必死になって真実を追究していたのです。
しかし、その晩年には有力者に憎まれて、告訴され裁判で死刑判決を受けてしまいました。
罪状は「青年を腐敗させ、国家の認める神々を信じない」というものです。
これは現代から見れば罪とも言えないようなものですね。まあ、ともかく有力者に睨まれてこんな事になってしまう。
裁判ではソクラテスは得意の弁論で自分の無実を主張するのですが、結局有罪になる。アテネの裁判は陪審制で票数は281対210だったらしい。
有罪になったあと、どんな罰にするかの裁判が続くのですが、ソクラテスはそこで開き直って言うわけだ。「自分はアテネのために尽くしてきた。悪いことは何一つしていない。そんな私にふさわしい罰はアテネの町が私にお金を贈ることしかない」なんて言うんです。陪審員を敵にまわすようなもんだ。彼を訴えた連中は死刑にしようとは思っていなかったようで、悪くて国外追放、ソクラテスがもう議論をしなければそれでよし、と考えていたようですが、結局死刑判決が出されてしまう。

 ソクラテスは牢獄に入れられるんですが、牢番は結構いいかげんで弟子や友人達が牢獄のソクラテスに会いに来る。で、みんな来ては彼に逃亡を勧めるんです。「手はずはととのえているから逃げよう」ってね。
ところがソクラテスは断るんだ。私は逃げない、ってね。

なぜ逃げなかったか。ソクラテスは自分の思想を裏切りたくなかったんだと思います。
彼は自分の信じるままに行動してきた、それは真実のためでありよりよく生きることでした。その結果が死刑判決ならば、それを受け入れる以外に彼の道はなかったのではないか。
だって、逃げたらそんな奴だったんだって思われるでしょ。自分の過去の言動全てが疑われてしまう。

ソクラテスの死刑は自殺のような形式の死刑でした。
自分で毒杯を飲むんです。
まさにソクラテスが毒杯を飲んで死んでいく瞬間にも弟子達が彼のそばに付き添っているのですが、その弟子達が「先生、死なないで」って泣くの。「おお、足の感覚が無くなってきた、死が近づいてきた」とか言ってるソクラテスが、その泣いてる弟子を慰めたりする。最後まで、自分の哲学を語り続ける。堂々とした立派な死にざまだったんです。

こういうソクラテスの生き方全体が友人や多くの弟子達に深い感銘を与えたのです。よりよい生き方を求め、自分の思想を裏切らないソクラテスの姿勢は、議論で勝つための弁論術の教師とは全然違ったんだね。

4プラトンプラトンとアリストテレスアリストテレス

 プラトンはソクラテスの弟子でした。ソクラテスの死後にその言動をまとめて沢山の本を書いています。
このプラトンですが、ソクラテスの意志を継いで普遍的な真実を追求しました。そして、彼がたどりついた答えが「イデア論」です。

イデアとは何かというと、例えば「バラの花」があるとしましょう。「美しいバラの花」です。しかし、やがて時がたてばこれは枯れてしぼんで美しくなくなりますね。そのときに「美しさ」というものは消えてしまったのか、ということなのです。バラの花が枯れても、「美しさ」というものはどこかに存在しているのではないか、目の前に見える形で存在していなくても、どこかの世界に実在するもの、これをイデアといいます。
イデアの世界がある、とプラトンは言う。
三角形の例は分かり易いかな。完璧な正三角形を現実に描くことはできなくても、正三角形というものは存在する、ある、でしょ。そんな感じのものがイデアです。英語のidea(アイデア)の元です。

プラトンはこんな例を出している。
洞窟がある。
そして、われわれ人間はみんな洞窟の中で縛られて固定されている、と言う。
手足が縛られていて身動きできないのですが、どちら向きに縛られているかというと、洞窟の奥の方を向いて縛られているの。
洞窟の入り口には光がある。そして、その光と縛られているわれわれの背中の間をいろいろなモノが通る。美しいバラの花が通ったり、正三角形が通ったり、重装歩兵が通ったり、真実が通ったり、正義が通ったりする。
すると、洞窟の奥の壁に通過するモノの影が映るね。
われわれは、壁の奥を向いて生きているので、その影をモノの本当の姿だと思い違いをしている、と言う。
背中のうしろを通過しているモノ、それがモノの本体、イデアだ、と言うわけです。
そして、手足を縛られているわれわれですが、首を動かすことはできる。
影を見慣れてしまっているが、勇気をもって後ろを振り向けばそこにイデアが見える、と言うんだ。
この教室も、友達も、窓の外の景色も、黒板も、みんな影にすぎない。

プラトンのイデア、何となく分かりました?
何となく分かればいいです。
私の少年時代にはプラトニック・ラブなんていう表現があって、男女交際ですね、手も握っちゃいけない、キッスなんてとんでもない、そんなこと言われたわけ。そういう清い?肉体抜きの恋愛のことをプラトニック・ラブと言ったのです。女の子を好きになってもプラトニック・ラブでいなさい、なんてね。イデア論が誤解されて使われている。
身も心も焼き尽くすような恋愛をしていても、それは洞窟の壁に映った影にすぎないですよ、本当のラブは、ほら、あなたの後ろにある!というのがプラトンのラブだろうね。

目の前に見えているこの世界、これを真実と考えず別の世界に理念的な存在の実在を認める、そこに物事の本質がある、こんな考えを観念論哲学と言うんですが、プラトンのイデア論はその代表です。
プラトンは「万物の根源は数」というピタゴラスの影響も結構受けているみたいです。

 プラトンは政治の本も書いています。「国家論」と言います。
プラトンは民主政治が嫌いです。
彼の敬愛するソクラテス先生はなぜ死刑になったんですか。
陪審員になった市民たちによって死刑判決を受けた。
市民たちは何の資格で陪審員となったか。
クジで当たったからです。しかも、陪審員は政府から日当が支払われた。
たまたまクジで当たって、日当めあてで裁判に参加した市民たちに、ソクラテス先生の思想が理解できるのか。ソクラテス先生を裁く権利があるのか。
これが、プラトンの発想です。
だから民主政治は嫌いです。
どういう政治を理想としていたかというと、哲人が王となることです。
プラトンはエジプトを旅行して感激している。エジプト人は、王、ファラオを神の化身としてあがめる伝統がある。それを見て感激するんですよ。素晴らしい、って。アテネの議論ばっかり、文句ばっかりの連中よりよっぽど良い。こういう国民を哲人王が支配すれば、国民は王の言うことをよくきいて素晴らしい国になるに違いないって考えたようです。

実はソクラテスも民主政治を批判するようなことを言っています。
こんな事を言っている。
「あなたが家を建てるときどんな大工に仕事を頼むか?
大工を集めてくじを引かせて当たった大工に頼むか、それとも最も腕の良い大工に頼むか?」
「腕の良い大工に頼むであろう。ならばなぜ、われわれアテネ人は政治を行う者をクジで選ぶのか。」
なかなか辛らつな批判ですね。当時のアテネの人々は民主政治に絶大な自信と誇りを持っていましたから、こんな発言はやっぱり許しがたいモノだったんではないかな。ソクラテスが死刑になった原因にはこんな発言があったのかもしれないね。

 アカデメイア、これはプラトンが作った学校です。アメリカの最も権威のある映画の賞、アカデミー賞というのがあるでしょ。あの語源だ。科学アカデミーとか、アカデミックな書物だとか、まあ、物事を権威で飾りたいときの修飾語になっているね。
それくらいプラトン先生には権威があって、その学校アカデメイアにも権威があったということだ。

 プラトンの弟子がアリストテレス。
ギリシアの哲学、科学の集大成をおこなった哲学史上の巨人です。
現代でも哲学の基礎はアリストテレスだね。
哲学を勉強したかったら大学の文学部哲学科というところへ進学するんですが、私は大学時代哲学科ではなかったけど文学部だったんです。興味があったから哲学の講義も取りました。それがアリストテレスのテキストの講読でした。「カテゴリア」という本で、もちろんギリシア語なんて読めないから、英訳したモノだったけどね。大学の授業は90分なんですがホンのちょっとしか進まなかったですね。今では何が書いてあったかすっかり忘れてしまったけれど緻密で論理的でそれなりに面白かった記憶はある。

このアリストテレス、先生のプラトンとは考え方が違います。彼はイデアなんてモノは認めません。この目の前にあるモノ以外に本質的な存在があるとは考えなかった。「美しいバラの花」が無くなれば「美しい」も無くなるのです。
こういう考えを実在論哲学といいます。彼はその元祖です。

 これはルネサンス時代のイタリアの画家ラファエロの「アテネの学堂」という絵です。
でっかい建物の中に古代ギリシアの哲学者、自然科学者を大集合させてしまった絵なんですが、中央に並んで描かれているのがプラトンとアリストテレスです。この二人がどう思われていたか分かるでしょ。古代ギリシアの学問の頂点にいるんだ。
ちょっと絵が小さいですが、左側プラトンの右手に注目。指を立てて天を指しているでしょ。彼はアリストテレスに語りかけているんだ。「イデアの世界が存在するのだ」と。
それに対してアリストテレスの右手も見てください。彼は地を示しています。プラトンに反論しているのですよ。「ここです。ここ以外に世界はありません、師よ」。
描かれている一人ひとりの思想やエピソードを知っていると面白い絵です。

プラトンとアリストテレス

ラファエロ作「アテネの学堂」

左プラトン、右アリストテレス

 アリストテレスはアレクサンドロス大王の家庭教師をしたのでも有名。
アリストテレスが41歳、アレクサンドロスは12歳。それから3年間くらい教えた。
当時考えられる最高の先生だ。
アレクサンドロスの言葉。「私は生きることをフィリッポス(父)に、美しく生きることをアリストテレスに学んだ」。
哲学だけでなく、論理学、政治学、自然科学あらゆる学問に精通していたアリストテレスです。影響を受けたアレクサンドロス大王は東方遠征に出かけるとき、学者をたくさん連れていった。東方の自然、文化を研究しようとしたんだ。
これを後に真似たのがナポレオン。エジプト遠征の時に学者を連れて行き発見したのがロゼッタ・ストーン、という話は以前しましたね。

5文芸

ざっと行きましょ。必要最小限だけ。

 詩。
ホメロス(前8世紀)「イーリアス」「オデュッセイアー」これは、トロヤ文明で話しました(第8回)。 ヘシオドス(前700年頃)「労働と日々」「神統記」

 悲劇。
アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス(前5世紀)。
この三人は三大悲劇作家として有名、三人セットで憶えて下さい。ギリシア神話を題材に悲劇を書いた。ギリシアでは演劇が盛んにおこなわれていました。劇のコンクールもあったんです。

 喜劇もあります。
喜劇作家では、アリストファネス(前5世紀)。この人はソクラテスと同時代の人で、彼の「雲」という劇にはソクラテスがソフィストとして描かれています。
代表作は「女の平和」。
「女の平和」は反戦劇です。ところがこの劇はペロポネソス戦争中に書かれているのですよ。それだけでも驚きですね。簡単にストーリーを紹介しておくと、アテネとスパルタのおかみさん達が、戦争に明け暮れる男達に腹を立てて、なんとか戦争をやめさせようとするんです。男が好きなモノは何か。それはセックスだ。だったら彼らが戦争をやめるまで私たちは馬鹿な男どもの相手をするのはやめよう、というわけでセックス・ストライキをするんです。
男達、合戦が終わって家に帰ってきて、かあちゃん抱かせてくれ、って言うと戦争やめなきゃダメと拒否されちゃう。戦争と女とどちらを取るか、結局戦争を捨てる、という筋書きです。
過激でしょ。

6ヘレニズム文化

 アレクサンドロスの東方遠征からプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの文化をヘレニズム文化といいます。
ヘレニズム文化の特徴はコスモポリタニズムです。世界市民主義と訳している。
ポリスという枠の中で活動していたギリシア人ですが、アレクサンドロス以後世界が広がります。自然に彼らの視野も広がった。世界市民としていかに生きるか、が課題になったと考えてくれたらいい。

いかに生きるかという点では、2つの哲学の流れが生まれます。
ストア派とエピクロス派です。
ストア派はゼノンという哲学者から始まりました。禁欲主義と訳されます。
エピクロス派はエピクロスから始まる。快楽主義と訳されていますが、言葉に惑わされないように。気持ちいいことをしましょ、というのではないのです。心の平安が最高の快楽と考える学派です。
ストア派は禁欲主義で快楽主義とは正反対のように見えますが、禁欲することによって心の平安を目指しているんです。目標はどちらも同じ。

 この時期の哲学者でディオゲネスという人がいます。犬儒学派といわれる人でストア派には分類されないのですが、この時期の哲学者の典型と思うので紹介しておきます。
この人あだ名はイヌ。家は壊れた酒樽。心の平安のためには一切の財産、肉親を不必要と考えて、最小限の身の回りの品物だけを袋に詰め込んで路地裏に転がっている酒樽の中で生活していたんだ。まったくの乞食と同じです。でも有名な哲学者なの。
突飛な振る舞いが多くてエピソードもたくさんある。
ある時、子供が手で水をすくって飲んでいるのを見てディオゲネスは叫んだ。「この単純な生き方において、私はこの子に敗れた!」そして、自分の袋に入っていた水飲みを投げ捨てたといいます。

また、ある時アレクサンドロス大王がギリシア中の哲学者を集めた。哲学好きですからね。ところがディオゲネスはよばれたけど行かなかった。
逆に興味を駆り立てられたのがアレクサンドロス。ディオゲネスの樽まで自ら出かけました。そうしたら、ディオゲネスは樽の前でゴロリと寝そべってひなたぼっこをしている。
大王は近づいて名乗った。「余はアレクサンドロス大王である。」
ディオゲネスはひっくり返ったままで名乗る。「余はイヌのディオゲネスである。」
普通は立ち上がって挨拶するところですから、ディオゲネスの態度は滅茶苦茶無礼。いきり立つ側近を押しとどめて、大王は質問します。
「そなたは、余が怖くないのか。」
ディオゲネス「お前は善い人か?」
大王「余は善い人である。」
ディオゲネス「なぜ、善い人を怖がる必要があるか。」
アレクサンドロスはすっかりディオゲネスが気に入ってしまいます。そして尋ねた。
「そなたが望むものを何でもやろう。遠慮なく申せ。」
ディオゲネスは何と答えたと思いますか。
「そこをどいてくれ。お前のせいで影になって寒い。」
ひなたぼっこの邪魔だからどけ、彼の望みはこれだけ。どんな財産だって手に入ったのに欲しがらないのです。そう、そんなものは心の平安にとっては意味がない、とディオゲネスは考える人なのです。
禁欲して、心の平安をひたすら求める態度としては確かに徹底した生き方ですね。
ただ、厳しい見方をするとソクラテスやプラトンの時代に比べたら活力を失っている。
もし、プラトンが大王から同じ事を言われたら、理想の国家建設のために何か政策を進言したのではないかと思います。
ディオゲネスは自分の事しか考えていない。あくまでも自分の心の平安にしか関心がない。
これがコスモポリタニズムの一面でもあります。

ディオゲネスディオゲネスはここでも寝そべっている

 ヘレニズム文化で忘れてはならないのがエジプトの首都アレクサンドリアに作られた王立研究所「ムセイオン」。
ここでは多くの学者が自然科学の研究をした。
幾何学を大成したのがエウクレイデス。
比重、てこの原理で有名なアルキメデス。
地球の自転・公転説をとなえたアリスタルコス。
地球の周囲を測定したエラトステネス。
この辺が有名どころです。
エラトステネスは地球の周囲を3万9700キロメートルと測定しました。
現在の計測では4万70キロ。ほとんど正確だね。

ムセイオンを中心とする科学研究は相当なレベルに到達していたのです。
ただ、プトレマイオス朝エジプトが滅亡しムセイオンが閉鎖されると、これらの知識は忘れられてしまいました。やがて、地球は平らで太陽が地球の周りを回ると信じられていった。
正しい知識が獲得されても失われることがあるのです。貴重な教訓だと思いませんか。

参考図書紹介・・・・もう少し詳しく知りたいときは

書名をクリックすると、インターネット書店「アマゾン」のページに飛んで、本のデータ、書評などを見ることができます。購入も可能です。

ソクラテスの弁明・クリトン(プラトン) (岩波文庫) プラトン著。ソクラテスを知る最も基本的な本です。
中学、高校の課題図書に必ず出る定番ですね。私見ですが、現代の中高生には難しいかもしれませんが、こういう原典を読むと、教科書的なイメージが覆されるおもしろさがあります。たとえば、古代ギリシア人達が、精霊のようなものを真剣に信じている様子は、われわれが持っているギリシア文明の科学的合理的イメージからは、想像もつかないほどです。
クセノフォーン ソークラテースの思い出 (岩波文庫)
クセノフォーン著。クセノフォーンはソクラテスの親友でもあり、弟子でもあった人。ペルシアに戦争に出かけて、帰ってきたら、ソクラテスが処刑されたのを知り、驚いてこの本を書いた。
哲学的ではないかもしれないが、ソクラテスのエピソードは上の「ソクラテスの弁明」よりも面白い。
クセノフォーンの経歴も、プラトンより面白い(翻訳者佐々木理が「まえおき」で簡単に書いている)。ペルシアの王位継承争いに、一枚かんで、最後はギリシア傭兵部隊をひきいて、小アジア奥地から命からがら帰還する。我々は、ヨーロッパ人の影響で、ギリシアとペルシアを白と黒、善と悪、のように対立的にとらえがちだが、どうみても、ギリシアというのは、ペルシアの一部と思える。オリエント世界の一部というべきか。(本の紹介から、少し、はずれてしまいました)
ギリシア・ローマ哲学者物語 (講談社学術文庫) 古代ギリシアの思想家の列伝ものは種本が同じなので、みな似たようなものだが、やはり、日本人の書いたものは、問題関心が理解しやすく読みやすい。
90分でわかるプラトン 確かに、コンパクトにまとまっていました。高校生の入門には、最適かもしれない。
プラトンの学園 アカデメイア (講談社学術文庫) バイトで学費を稼いでいる苦学生のエピソードなど、プラトンの設立したアカデメイアの具体的な様子が分かる。ギリシア哲学関係では少し変わった切り口の本。

第12回 ギリシア・ヘレニズム文化 おわり

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