世界史講義録
  


第122回  大恐慌とニュー=ディール

1929年にはじまった合衆国の大恐慌は世界恐慌に発展し、各国に深刻な影響を与えました。合衆国ではローズヴェルト大統領がニューディール政策によって恐慌克服をめざしました。

■暗黒の木曜日からはじまった合衆国の大恐慌
 アメリカの「永遠の繁栄」をうたった共和党のフーヴァーが合衆国大統領に就任した半年後の1929年10月24日、ニューヨーク株式取引所で空前の高騰をつづけていた株価が急落しました。いわゆる「暗黒の木曜日」です。株価は下落をつづけ、これをきっかけにアメリカ経済は大恐慌にみまわれました。


 国民総生産、工業生産高、個人消費支出ともに、1929年と比較して1932年には60%にまで落ち込み、失業者は1929年の150万人から33年には約1300万人に増加、四人に一人が失業者となりました。経営悪化と取り付け騒ぎで1930年からの3年間に5000行以上の銀行が破綻し、900万人の預金が引出し不能になりました。都市には配給のパンを求める失業者の列ができ、農村では農作物価格が急落し、輸送代さえ回収できないため農作物は打ち捨てられ、農民は困窮を極めました。破産して小作農に転落する農民が続出しました。

■フランクリン=ローズヴェルトの登場
 自由主義経済を信奉するフーヴァー大統領は、景気の自動的回復機能に期待して積極的な不況対策を講じず、国民の信頼を失いました。かわって32年の大統領選挙では、民主党のフランクリン=ローズヴェルトが「ニューディール(新規まき直し)政策」をかかげて当選しました。
 フランクリン=ローズヴェルトはニューヨーク州の名家出身で、26代大統領のセオドア=ローズヴェルトは彼の伯父です。少年時代には毎夏ヨーロッパに避暑に出かけるような生活の中で何不自由なく成長し、20代で上院議員となり、第一次大戦時には海軍次官補、1920年には副大統領候補とエリートコースをばく進しました。しかし、21年に小児麻痺を患い、その後7年間闘病生活をおくったことは、かれに政治家として幅をもたらしました。

■ニューディール政策の始まり
 1933年大統領に就任したローズヴェルトは最初の「百日議会」で矢継ぎ早に「ニューディール政策」実施のための法案を成立させていきました。
主要なものとして全国産業復興法(NIRA)、農業調整法(AAA)、テネシー河流域開発公社(TVA)があります。全国産業復興法は、企業にカルテルを認める一方、企業活動に対する国家統制権をつよめて生産調整と価格安定をはかり、労働者には団結権、団体交渉権を認めることで購買力の向上をはかるものです。農業調整法では、農産物価格の安定のため農家に補償金をあたえて作付け制限をしました。テネシー河流域開発公社は、ダム建設や森林開発などテネシー河流域の総合開発を政府の公共事業として実施し、同時に失業者を雇用するもので、ニューディールの象徴的な事業となりました。
 またローズヴェルトは、ラジオ放送で「炉辺談話」として国民に語りかけた初めての大統領でした。大統領就任一週間後の「炉辺談話」で「もう銀行は潰れません、安心して下さい」と話したあと、銀行への預け入れ額が引出し額を上まわるようになったと言います。

■社会改革にむかうニューディール政策
 景気は回復にむかいはじめましたが、失業者は1934年段階で1000万人をかぞえ、労働運動に対する企業の弾圧が激化するなどの問題が生じてきました。これに対し、1935年、ローズヴェルトは、失業保険や老齢年金などの社会保障制度をはじめて確立し、労働者の諸権利を保障したワグナー法を制定しました。労働者や一般大衆の要求にそったこれらの社会改革は「左傾化」として保守勢力からは批判されましたが、労働者大衆からは圧倒的に支持され、リンカン以来共和党を支持してきた黒人も民主党支持に回りました。
 1936年の大統領選挙でローズヴェルトは再選され、ニューディール政策は継続されましたが37年には不況にみまわれ、財政支出による有効需要創出策とファシズム諸国に対抗するための軍備拡張によってようやく恐慌から脱出しました。
不況克服という意味ではニューディールの効果は不十分なものでしたが、政府による経済への介入・統制や社会政策はのちに資本主義諸国の経済政策に受け継がれていきました。

■大恐慌から世界恐慌へ
大恐慌によって合衆国が輸入を縮小し、海外に投資していた資本を引き上げたため、恐慌は、五カ年計画を実施していたソ連をのぞく各国に波及して世界恐慌へと発展しました。
1930年以降、世界貿易は縮小し、各国は国際収支の悪化を防ぐため、輸入品に高関税をかけ保護貿易政策をとる一方、金本位制を停止し為替を管理下に置いて自国の貨幣価値を切り下げて輸出の拡大をはかりました。
イギリス、フランスのように広大な自治領や植民地を持つ国は、販路と資源を確保するために排他的な経済ブロックを形成しましたが、そこから閉め出された日本、ドイツ、イタリアは、軍需産業育成によって恐慌の克服をはかり、国際秩序の再編をめざして対外侵略を志向しました。こうして、1920年代後半の国際社会の基調だった国際協調主義や軍縮の流れは断ち切られ、国際的緊張が高まってきました。


「よくわかる高校世界史の基本と流れ」(秀和システム)より

第122回 大恐慌とニュー=ディール  おわり

こんな話を授業でした

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