世界史講義録
  


第123回  ドイツに誕生したナチス政権

ドイツでは世界恐慌ののち、国民の不満を組織したヒトラーのナチスが政権を握りました。一党独裁政治によって、反ヴェルサイユ体制、反ユダヤ主義を実行していきました。

■ドイツ経済を揺るがした世界恐慌
世界恐慌で特に深刻な影響を受けたのはドイツでした。恐慌によってアメリカ資本が引き上げられるとドイツ経済は危機に陥り、1931年、合衆国のフーヴァー大統領による、一年間の賠償金支払い猶予(フィーヴァー=モラトリアム)も効果はなく、失業者は1930年には340万人、32年には600万人を超えました。政府の基盤は弱く、社会民主党など既成政党が有効な政策を打ち出せない一方で、ナチスとドイツ共産党が急速に勢力を拡大してきました。


■大衆に浸透するナチスの宣伝活動
ヒトラーが率いるナチスは、正式名称を国民社会主義ドイツ労働者党といい、ナチスとは反対派による蔑称が一般化したものです。ヒトラーは1923年のミュンヘン一揆が失敗したあと、議会を通じて権力獲得をめざす合法戦術に方針を転換し、ヴェルサイユ条約の破棄、大ドイツ国家の建設、ユダヤ人の排斥、不労所得の廃止などを訴え、特に過激な反ヴェルサイユ体制と反ユダヤ主義で注目を集めていました。
ナチスは効果的な宣伝で支持者をひろげましたが、ヒトラーの演説は意図的なデマと誇張を利用して大衆の感性に訴えるものでした。ヒトラー自身が次のように書いています。「大衆の心情は単純で幼稚である。小さな嘘より大きな嘘に引っかかる。」「大衆の理解力は小さく、忘却力は大きい。効果的な宣伝はスローガンのかたちでくりかえせ。」と。
また、ナチスの軍事組織である突撃隊は反対派に公然と暴力をふるいましたが、失業にあえぐ民衆のなかには、それをある種の力強さと感じる層が存在したのでした。

■保守勢力の協力によるナチス政権の誕生
 国会でのナチスの議席数は、1928年の選挙では12議席でしたが、世界恐慌後の30年には107議席と躍進しました。1932年7月の国会選挙では230議席を獲得して第一党になり、ヒトラーはヒンデンブルク大統領に首相の地位を要求しました。
ヒンデンブルクが代表する財界、軍部、ユンカー(地主層)など伝統的保守勢力は、新興勢力であるナチスとは一線を画していましたが、共産党が議席数を着実に伸ばしている(28年54議席、32年12月100議席)ことに危機感を抱き、ヒトラーと手を結ぶことにしました。
1933年1月、ヒンデンブルク大統領はヒトラーを首相に任命し、ナチス政権が誕生しました。そのときヒンデンブルクは、「ヒトラーのごとき人物を首相に任命する不愉快な義務を負うはめになった」と側近にもらしたといいます。

■またたくまに独裁政治を確立したナチス
 政権を獲得したヒトラーは独裁政権を樹立するため、すぐさま議会を解散し総選挙をおこないました。選挙期間中の2月に国会議事堂放火事件が起きると、ナチスは共産党の犯行と決めつけ、約4000人の共産党役員を逮捕して激しい弾圧をおこないました。それ以外にも、ナチスのテロ行為で50人以上が殺害されました。このような選挙妨害にも関わらず、ナチスの議席は総議席647のうち288で過半数に届きませんでした。
しかし、ナチスは次の国会で、反対議員に対する恫喝と欠席議員を出席と見なす奇策によって、ヒトラーに無制限の立法権を付与する全権委任法を成立させました。また、7月にはナチス以外の政党組織を禁止し一党独裁を確立しました。
1934年8月にヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは大統領と首相を兼ねる「総統」に就任しました。これ以降のナチス支配下のドイツを第三帝国と呼ぶことがあります(神聖ローマ帝国、ドイツ帝国につづく帝国という意味)。

■失業を亡くしたナチス政権
ナチス政権は失業者を減らすことに成功し国民の支持を集めました。自動車道(アウトバーン)建設などの公共事業や軍需生産の拡大によって雇用を拡大したこと、また世界恐慌が底をつき景気上昇期とかさなったこともあり、1933年1月に600万を超えていた失業者数が、35年1月には300万を切り、37年秋には50万以下となりました。
 また、労働者のレクリエーション組織「歓喜力行団」によって労働者に旅行や観劇などのサービスを提供するという先進的な取り組みもおこなわれました。

■秘密国家警察と強制収容所
 一方で、言論思想統制はきびしく、市民生活は秘密国家警察(ゲシュタポ)によって監視されていました。ゲシュタポは「保護拘禁」の名目で誰でも逮捕して収容所に送り込む権限を持ち、最初の強制収容所は、早くも1933年3月にミュンヘン郊外に建設されました。
 収容所には政治的反対派だけでなく、障害者やロマ(ジプシー)、ユダヤ人などの少数者も収容されました。ドイツ民族の優秀さと純血を誇示するナチスは、「不純」な分子を排除しようとしたのです。

*****コラム:ナチスによるユダヤ人迫害*****
 ヒトラーはユダヤ人を劣等民族として徹底的に差別し、失業や不況の原因をユダヤ人に押しつけ、国民の差別意識をあおりました。ユダヤ系の作家、学者、文化人は公職を追われ、トーマス=マンやアインシュタインのような著名人物も国外に亡命しました。
35年のニュルンベルク諸法では、ユダヤ人を法律で定義し、ユダヤ人とドイツ人の通婚を禁じ、国籍を剥奪したうえ職場からも排除しました。38年11月には、ドイツ全土で政府の煽動によるユダヤ教会やユダヤ人商店に対する襲撃、破壊事件が起きました。7000軒の商店が壊され、2万6千人のユダヤ人男性が逮捕されたうえ、政府は被害を受けたユダヤ人に総額10億マルクの罰金を課し、全ユダヤ商店の閉鎖を命じました。割られた窓ガラスの破片から「水晶の夜」と名付けられた事件です。
第二次大戦が始まると迫害はエスカレートし、「ユダヤ人問題の最終的解決」として組織的大量虐殺がおこなわれ500万から600万人のユダヤ人が殺されました。


「よくわかる高校世界史の基本と流れ」(秀和システム)より

第123回 ドイツに誕生したナチス政権  おわり

こんな話を授業でした

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