世界史講義録
  


第129回  植民地諸国の独立と第三勢力の形成

1949年、中国には国共内戦を経て中華人民共和国が成立しました。インド、インドネシアなど植民地諸国は独立を達成し、米ソ両陣営に属さない第三勢力として結集しました。

■大戦後の国共内戦から生まれた中華人民共和国
 連合国の一員として日本と戦った中国は、大戦中に不平等条約を撤廃し、戦後は戦勝国の一員として国連安保理の常任理事国となるほどに国際的地位を高めました。
 ところが、日本の敗北によって共通の敵がなくなると中国国民党と中国共産党は対立を深め、1946年6月、合衆国からの莫大な援助で準備を整えた蒋介石の国民政府は、共産党の根拠地に攻撃を開始して内戦がはじまりました(国共内戦)。

抗日戦での活躍をつうじて民衆の信頼を獲得していた共産党は、内戦の過程で、地主の土地を貧農に分配する土地改革を進めながら解放区とばれる支配地域を広げていきました。
一方の国民政府は、役人の腐敗堕落が激しく、経済悪化も手伝って国民から徐々に見放されました。当初は、兵力も装備も共産党の人民解放軍にまさっていたものの、47年には人民解放軍が優勢となり、49年には蒋介石は台湾に脱出、国民政府も台湾に移りました。
中国本土を掌握した中国共産党は、49年10月、北京で中華人民共和国の成立を宣言、主席に毛沢東(任1949~59)、首相に周恩来(任1949~76)が就任しました。50年の土地改革法で農民への土地分配を全土にひろげ、財閥企業の国有化をおこない社会主義建設政策をすすめました。

■中華人民共和国をめぐる国際環境
中華人民共和国は、1950年には、ソ連と中ソ友好同盟相互援助条約を結び、社会主義陣営に加わりますが、内戦を通じて独力で社会主義国家を樹立した中国共産党は、東欧諸国とは異なりソ連に対して独自の立場をとりました。
蒋介石を支援する合衆国は、中華人民共和国を承認しなかったため、国連では台湾を支配するだけの国民政府(中華民国)が中国代表として議席を保持しつづけ、中国大陸を支配する北京政府は国連への加盟すら認められませんでした。したがって、朝鮮戦争で米軍を主体とする国連軍が中朝国境近くに迫ると、北京政府はこれを米軍による侵略の危機ととらえ、100万近い義勇軍を北朝鮮に派遣したのでした。

■ヴェトナムの独立と南北分断
 フランスの植民地だったヴェトナムでは、大戦中の日本支配時代に、ホー=チ=ミン(1890~1969)を指導者とするヴェトナム独立同盟が抗日運動を展開し、1945年、日本が敗れるとヴェトナム民主共和国の独立を宣言しました。しかし、46年、独立を認めないフランスが軍隊を派遣しインドシナ戦争がはじまりました。9年にわたる戦いの末、54年、フランスはディエンビエンフーの戦いで大敗後、ジュネーヴ休戦協定を結び、ようやくヴェトナムから撤退しました。
こうして、ヴェトナムは独立しましたが、社会主義体制をとるヴェトナム民主共和国は北緯17度線以北の支配しか認められず、南部にはフランスの傀儡政権だったヴェトナム国の支配下に入りました。両国は56年に南北統一選挙をおこなう取り決めでしたが、南ヴェトナム政府は合衆国の支援を得て反共政策をとり、南北統一選挙を拒否したため、南北分断は固定化しました。また、合衆国は、東南アジア地域での共産主義勢力の拡大を抑え込むため、東南アジア条約機構(SEATO、加盟国:米・豪・ニュージーランド・仏・英・フィリピン・タイ・パキスタン)を結成しました。

■インドの独立と分裂
 大戦後、国力の低下したイギリスは遂にインドの独立を認めました。1947年、インドはイギリス連邦の自治領として独立、50年にはインド共和国となり、初代首相にはネルー(任1947~64)が就任しました。
また、全インド=ムスリム連盟の要求を容れたイギリスは、47年、イスラム国家パキスタンのインドからの分離独立を認めました。独立前後、ヒンドゥー教徒とムスリムは流血事件をおこすほど激しく対立し、両者の宥和と統一インドを主張していたガンジーは、48年に狂信的ヒンドゥー教徒によって暗殺されました。

■結集するアジア・アフリカの新興独立国~アジア・アフリカ会議
 大戦後、植民地を維持できなくなったヨーロッパ諸国から、次々と独立したアジア・アフリカの新興国は、米ソどちらの陣営にも属さない国家建設をめざしました。
1954年、中国の周恩来首相とインドのネルー首相が会談して発表した「平和5原則」は、領土主権の尊重・不侵略・不干渉・平等互恵・平和共存を国際関係の原則として主張しました。これは米ソ両国の外交政策に対する批判でした。
翌55年、インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議が開催されました。アジア・アフリカの新興独立国29カ国の首脳が集まり、平和共存と反植民地主義を提唱し、第三勢力をひとつの政治勢力として世界に認知させ、新たな時代の到来を感じさせました。
会議を主催したインドネシアのスカルノ大統領(1901~70)は、1945年の日本降伏後、インドネシア国民党の指導者としてインドネシアの独立を宣言し、支配者として戻ってきたオランダ軍との4年におよぶ戦争に勝利して独立を達成した典型的な第三勢力のリーダーでした。

■第三勢力の高揚~非同盟諸国首脳会議
1961年にはアジア・アフリカにラテンアメリカ諸国も加えて、ユーゴスラヴィアのベオグラードで第一回非同盟諸国首脳会議が開催されました。呼びかけたのは、ティトー(1892~1980)、ナセル(1918~70)、ネルーです。
ユーゴスラヴィア大統領ティトーは、ソ連に従わず自主的な社会主義建設をすすめて注目されていました。エジプト大統領ナセルは英仏軍の武力干渉を排除して56年にスエズ運河の国有化に成功し、当時第三勢力のリーダーとして最も脚光を浴びていた人物です。




「よくわかる高校世界史の基本と流れ」(秀和システム)より

第129回 植民地諸国の独立と第三勢力の形成 おわり

こんな話を授業でした

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