世界史講義録
  


第134回  社会主義諸国の改革とソ連の消滅

社会主義諸国では80年代から市場経済を導入した改革が始まりました。ソ連・東欧では改革が社会制度にまで及び、その結果、社会主義体制は崩壊、ソ連は消滅しました。

■中国~文化大革命の終息と改革・解放路線
 1976年、周恩来、毛沢東があいついで死去しました。絶対的な権威となっていた国家主席毛沢東が亡くなると、そのもとで権力を振るっていた毛沢東夫人江青(1913?~91)など「四人組」と呼ばれる文革派の指導者が失脚、逮捕され、文化大革命は終わりました。


かわって実権を掌握したトウ小平(1904~97)は、大胆な改革・開放路線をとり、経済の自由化をすすめました。中国社会主義の代名詞だった生産と行政の組織である農村の人民公社を解体し、外資の導入、国営企業の民営化、私営企業の容認、と資本主義化をすすめていきました。
経済の自由化をすすめる一方で、政治的には共産党による一党独裁を堅持し、1989年には民主化を要求して天安門前広場に集まった学生たちを軍隊によって弾圧しました(天安門事件)。これはソ連ではじまっていた「ペレストロイカ」に対する中国の答えでもありました。

■停滞するソ連社会
 ソ連では、64年にフルシチョフにかわってブレジネフが書記長となり82年まで政権を担当しました。この時期に、計画経済の硬直化、労働意欲の減退、軍需産業重視による消費財生産の停滞、技術革新の遅れなど、西側諸国に比べてソ連経済のたちおくれは覆いがたいものになってきました。
 79年、ソ連軍は政変のつづくアフガニスタンに侵攻し、親ソ政権を樹立しました。西側諸国の激しい非難を受けるとともに、これ以後、ソ連軍は反政府ゲリラやアラブ義勇軍との戦いでアフガニスタンに駐留をつづけ経済的には大きな負担となりました。

■ゴルバチョフによるペレストロイカ
 1985年にソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフ(1931~)は、「ペレストロイカ(建て直し)」「グラスノスチ(情報公開)」をスローガンに改革に着手しました。86年チェルノブイリ原子力発電所の事故を経て、言論・集会・出版・報道の自由が大幅に認められ、改革は加速しました。
ゴルバチョフは、個人営業の自由を認め、市場経済の導入によって経済の改革をはかる一方、西側諸国との関係改善と緊張緩和につとめ、87年に合衆国と中距離核戦力全廃条約に調印し、88年にはソ連軍のアフガニスタンからの撤退を開始しました。また、同年には東欧社会主義諸国に対する指導性の放棄を表明し、89年には合衆国のブッシュ(父)大統領(任1989~93)と会談しマルタ宣言で冷戦の終結を宣言しました。

■崩壊する東欧社会主義圏
ソ連のペレストロイカは東欧諸国に変革をもたらしました。89年から91年にかけて各国で共産党による一党独裁体制が放棄され、自由選挙や革命による政権交代がおこなわれました。以前とは違い、ソ連はこれらの動きに介入するどころか、改革を促すほどでした。
なかでも、象徴的だったのが東西ドイツの統一でした。88年に一党独裁を放棄し民主化運動が活発化していたハンガリーが、89年5月に、オーストリア国境の鉄条網を撤去すると、西ドイツへの亡命を求める東ドイツ市民がハンガリー・オーストリア国境に詰めかけ、8月、ハンガリー当局の黙認のうちに集団で国境を突破しました。以後、西への移動を求める東ドイツ市民の圧力は高まりつづけ、ようやく改革にふみきった東ドイツ政府が11月旅行の自由を認めると、東西ベルリンの市民によって壁が破壊され、東西ドイツの国境は事実上消滅しました。翌年、東ドイツが西ドイツに吸収される形でドイツは統一されました。

■ソ連の消滅
東欧の激震と平行しながらすすめられたソ連の改革は社会制度にも及び、90年には複数政党制と大統領制が導入され、ゴルバチョフがソ連大統領に就任しました。
ソ連政府と共産党による統制が緩むなか、東欧諸国の改革の影響を受け、ソ連邦を構成する各共和国からの独立要求が高まると、91年8月、改革の進展を望まない共産党保守派がゴルバチョフを軟禁しクーデタを起こしました。クーデタはロシア共和国大統領エリツィン(1931~)の活躍で阻止されましたが、解放されたゴルバチョフは共産党の解散を余儀なくされ、以後ソ連政府とゴルバチョフの権威は空洞化し、12月に各共和国が独立しソ連は消滅しました。ソ連の大部分はエリツィン大統領のロシア連邦に引き継がれ、他の11の共和国とともに独立国家共同体(CIS)が設立されました。
ソ連と東欧社会主義圏の崩壊で、米ソ対立を最大の軸として形成されていた戦後世界が終わりをつげたことを世界中が実感しました。

「よくわかる高校世界史の基本と流れ」(秀和システム)より

第134回 社会主義諸国の改革とソ連の消滅 おわり

こんな話を授業でした

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