世界史講義録
  


第135回  冷戦後の世界

冷戦の終結は、アジアの社会主義国にも変化をもたらしました。また、旧東欧・ソ連圏では民族対立が表面化しました。一方で、ヨーロッパはEUへと統合への歩みをすすめています。

■アジアにおける冷戦の終わり
 ソ連の崩壊と冷戦の終結によって、アジアの冷戦構造にも大転換が起こりました。


1991年に、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が国連に同時加盟し、92年には中国と韓国が国交を樹立しました。78年以降内戦が続いていたカンボジアでは、1992年に国連カンボジア暫定統治機構が設立され、翌年の総選挙を経て新政府が成立し内戦が終結しました。
東欧圏とは違い、アジアの社会主義国は一党独裁を守ったため崩壊しませんでした。市場経済を導入した中国は90年代から急速な経済発展をつづけ、国際社会のなかで存在感を増しています。ヴェトナムも、86年にはドイモイ(刷新)政策として開放経済を採用しました。朝鮮民主主義人民共和国は、個人崇拝にもとづく独裁体制を維持するために、極端な情報統制をつづけた結果、開放経済に取り組むことが出来ず、経済の悪化と政治的な孤立をまねきました。

■旧社会主義圏で噴出する民族対立
 旧ソ連・東欧圏には、自由化と民主化がもたらされましたが、同時にそれまで抑圧されていた民族主義を呼び覚まし、民族対立、宗教対立が各地で噴出しました。
チェコスロヴァキアは、1993年、平和的にチェコとスロヴァキアに分離しましたが、多数の民族と宗教がモザイク状に分布するユーゴスラヴィアでは、91年クロアチアとスロヴェニアの独立をきっかけに内戦が勃発、ボスニア紛争(92~95)、コソヴォ紛争(98~99)と内戦がつづき、数百万単位の難民が発生しました。NATO軍の介入により、紛争は終息しましたが、民族対立が解決されたわけではありません。現在旧ユーゴは5つの国家に分裂しています。
 ロシアでも、1994年ムスリムのチェチェン人が多数を占めるチェチェン共和国が独立を求め、翌年、ロシア軍がこれを鎮圧しています。その後もチェチェン独立派はゲリラ活動、テロ活動をおこなっています。

■統合に向かうヨーロッパ
 民族対立とは逆に、国家統合の動きがヨーロッパでは進展していました。二つの世界大戦を通じて、政治的にも経済的にも地盤沈下のつづいていたヨーロッパ諸国は、統合による復権をめざしたのです。1950年代から始まっていた各国の経済協力は、1967年のヨーロッパ共同体(EC、加盟国:フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)の結成後、イギリスなどを加えた73年の拡大ECをへて、93年ヨーロッパ連合(EU)の発足に至りました。
2002年には、EU加盟15カ国中12カ国で統一通貨ユーロの流通がはじまり、旧東欧社会主義諸国も加盟国に加えながら、政治統合をめざしています。

■唯一の超大国となった合衆国
 ソ連が消滅したことによって、アメリカ合衆国は唯一の超大国となりました。
他の追随を許さない圧倒的な軍事力を保持する合衆国の軍事・外交政策が世界に直接的な影響を与えるようになりました。合衆国の軍事力の発動をためらわせるパワーが存在しなくなったことで、2001年のアフガン侵攻や、2003年のイラク戦争のような、正当性に疑問がもたれる一方的な戦争さえ可能になりました。
それだけに、潜在的なパワーを持つEUや中国の動向は、国連の場における活動も含めて、より大きな意味を持ちつつあるといえます。


「よくわかる高校世界史の基本と流れ」(秀和システム)より

第135回 冷戦後の世界 おわり

こんな話を授業でした

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第134回 社会主義諸国の改革とソ連の消滅