第20回   インダス文明  

   インドの文明を勉強するわけですが、ここで取り扱うのは「インド世界」と考えてくださいね。今のインドだけではなくて、スリランカ、バングラデシュ、パキスタン、ネパールも含めて「インド世界」です。
 地図を思い浮かべてインド洋に三角形に飛び出ているところ、ここをインドと考えがちなんですがヒマラヤ山脈から南は全部インド、くらいに考えてください。

   インドに最初に生まれた文明がインダス文明でした(前2500~前1800)。インドの西側を流れる大河インダス川の中流から下流に成立しました。メソポタミア文明と同じで多くの都市国家が栄えていたようです。モヘンジョ=ダロ、ハラッパーなどの都市の遺跡が有名。資料集にも写真ありますから確認してください。

   インダス文明の特徴をいくつか見ておきましょう。
 まず、これらの都市はすべて都市計画があって計算の上で建設されているのが特徴。有名な話ですが上下水道が完備していたり、ダスターシュートが住宅にあったりするんだ。
 それから、古代の都市国家というのは街の中心に神殿があるのが普通なんですが、インダス文明には神殿がないんです。都市の真ん中に何があるかというと、でっかい公衆浴場つまり風呂がある。で、どうもこの風呂が神殿の役割を果たしていたらしいんですね。浴場とか風呂とか言うとわかりにくい。いい日本語がある。沐浴場。沐浴という言葉、聞いたことありますか。身を清めるの。テレビなんかで時々やってる。田舎の町で神社になんか捧げるお祭りがあるときに年男がふんどし一丁で真冬の海につかって身を清めているシーン。修験道の行者さんが滝に打たれたりするのも広い意味での沐浴かもしれないね。あれです。

   モヘンジョ=ダロやハラッパーの人々は町の真ん中の沐浴場につかりながら身を清め神々に祈りを捧げていたのではないか、と想像されます。この風習は今のインドにも残っていて、ガンジス川のほとりにベナレスという聖地があるのですが、インドの人たちはここでガンジス川につかって沐浴しているね。これは、写真があります。5000年前のインダス文明の人々と同じような心のありようなんだと思います。そして、この心のありようは私たちにも分かるね。文明のルーツが似たところにあるんでしょう。
 勘違いしやすいかもしれないから付け加えておくと、沐浴というのは身体を清潔にするのではないんですよ。結果として清潔になるかもしれないけれど、それは目的ではない。ガンジス川なんてめちゃくちゃ汚いそうですからね。いろんな動物の死体がぷかぷか浮いていたりする。汚水も流れ込んでいる。清潔かどうかと聞かれれば不潔な川です。でも、宗教的には「浄い(きよい)」んです。その水で清めれば魂かなんなのか分かりませんが、浄くなるんですな。それが、沐浴です。

   浄いという意識があるということはその反対の意識も当然あるはずです。それが「穢れ(ケガレ)」です。ふたつ合わせてハレとケ。インダス文明はこの意識を強く持っていた。上下水道が完備していたといいましたが、これは衛生観念が発達していたのではなくてハレとケガレの意識が強かったためだろうね。インド人は現在までこの意識をずっと持ち続けていきます。これはすごく重要な問題を生みます。また、後ほど触れましょう。

   話がそれました。インダス文明の特徴に戻ろう。鉄は知らない、青銅器文明です。潅漑農耕と牧畜が主な生産手段ですが、メソポタミア地方と交易もおこなっていた。
 文字はインダス文字という。これは未解読です。インダス文明では印章が出るんです。写真ありますね。この印章、牛とか鹿とか動物の模様の横にちょこちょこと文字がある。これがインダス文字。こんな形でしか出てこないので解読できません。ちなみにクレタ文明のところで古代には牛が神聖な生き物だったといいましたが、インダスの印章に牛が描かれているのも興味深いね。インドではいまだに牛は神聖な生き物ですしね。

   このインダス文明が滅ぶのが前1800年頃。滅んだ原因はいろいろな説があって結局不明です。
 滅びつつあるときか滅んだ直後かはっきりしませんが、アーリア人という人たちがインドに侵入してきました。これは、例のインド=ヨーロッパ語族です。彼らは中央アジアから南下してきますが、そのうち西へ向かったグループがイラン高原に入いりペルシア人になります。東に向かったのがアーリア人です。アーリア人はインドの先住民族、例えばドラビタ人などを征服したり、もしくは混血したりしながらインドに定住します。ドラビタ人というのはオーストラリアの先住民やニューギニア高地人のような肌の色の黒い人たちと同じ系統の民族です。インダス文明を築いた人たちはドラビタ人ともいわれていますが、このへんははっきりしません。
 アーリア人たちはまだ国家を建設する段階までにはなっていません。小さい集団ごとにインドの密林を開拓しながら村を作っていったんですね。
 前1000年頃アーリア人は、ようやくガンジス川流域まで拡がっていき、小さな国もたくさん生まれるようになったようです。アーリア人も含めてインドにはいろんな民族系統がいて非常に多様なんですが、この時代くらいから彼らをまとめてインド人と呼んでおきます。

   アーリア人がインドに拡がっていくあいだに、現在までのインドを決定する文化が生み出されます。宗教と身分制度です。
 アーリア人はインドの厳しい自然環境を神々として讃える歌を作っていきました。このような自然讃歌の歌集を「ヴェーダ」といいます。最初に成立した歌集が「リグ=ヴェーダ」。その後も「サーマ=ヴェーダ」などいくつかのヴェーダが作られていきました。
 このヴェーダを詠(うた)って神々を讃え、儀式をとりおこなう専門家が生まれてきました。これがバラモンと呼ばれる僧侶階級です。そしてこの宗教をバラモン教という。バラモンたちは神々に仕えるために非常に複雑な儀式を編みだした。そして、自分たちの中だけで祭礼の方法を独占します。他の人たちには真似ができない。神々を慰め災いをもたらさないようにお願いできるのはわれわれバラモンだけである、ということでしだいにバラモン階級は特権階級になっていきました。同時にバラモン以外の身分も成立する。
 最上級身分がバラモン、その次がクシャトリア、武人身分です。その次がヴァイシャと呼ばれる一般庶民、一番下がシュードラでこれは被征服民です。この身分のことをヴァルナといい、種姓と訳しています。
 さらにこの四つのヴァルナのどれにも属さない最下層の身分として不可触民という人々がいます。図表を見るとシュードラ身分の下に書いてあるけど、観念としては「下」ではなくて、四つのヴァルナの外にある身分。もっと言うと身分ですらない。どの身分にもしてもらえない人たち。もっともっと言うと、人ですらないかもしれないような扱いを受ける人たちです。
 不可触民という呼び方もすごいでしょ。触っちゃいけないんだよ。なぜかって、かれらはケガレているからです。触るとケガレがうつる。かれらの正反対にあってケガレから最も遠いのがバラモン、というわけです。

   このヴァルナ(種姓)は現在までつづいています。ただ、バラモンの人が現在でも僧侶をしているとか、クシャトリアがみな軍人とか、そんなことはありません。農民のバラモンもいれば商売をしているシュードラもいます。種姓の四つの分け方は大きすぎるので、この身分は時代とともにどんどん細分化されてきました。細分化は職業や血縁によっておこなわれたようですが、この細かく分かれた身分をジャーティといいます。いわゆるカースト制というのは実はこのジャーティのことです。
 プリントを見て下さい。現在のインド西部のある村の住民を調査した表です。バラモンからシュードラまで四つ、不可触民を含めると5つのヴァルナがあって、さらにたくさんのジャーティに分かれていますね。同じシュードラでも、クンビー、マーリー、ソーナール、スタール、ナーヴィーなどのジャーティに属する人々がこの村にはいます。もともとはそれぞれ、農民、金工、大工、床屋がそのジャーティの職掌、つまりジャーティが受け継いできた仕事、のようです。

   ヴァルナもジャーティもひっくるめて現在のこの身分制度をカースト制と呼んでおきましょう。身分制度というのは差別と一体です。身分差別ね。人権を尊重する現代社会で身分差別なんてあってはならないです。現在のインド政府も当然そう考えていてカースト制をなくそうと努力しているしインドの憲法でも身分差別を禁じています。それでも、このカースト制は全然なくならない。差別は過去のことではありません。インド社会の発展にとってものすごい重荷になっていると思います。インド関連の本を読めばすぐにこの問題にぶちあたるよ。

   たとえば最近インドで柔道を教えている日本人の話を読みました。子ども達を集めて指導しているんですが、まだ小さいときはみんな喜んで乱取りをするんだって。ところが8,9歳くらいになると決まった相手としか乱取りをしなくなる。お前とお前が組め、とその人が命令すると渋々組むんですって。組むけど相手の身体に触れないようにチョイと胴着の端をつまむようにしてね。その日本人の先生は初めは理由が分からなかった。何年かして分かったんだって。カーストが違うと組みたくないんだ。特に相手が不可触民だとね。インドの子ども達も8,9歳くらいになってカースト制の文化の中で生き始めていくんだね。
 インドでは新聞での結婚広告というのが盛んです。自分のプロフィールとか希望相手の条件なんかを新聞に載せるんですが、必ず自分のカーストを載せます。それ以外のカーストの人とは結婚しないことが前提なんですよ。
 もし違うカーストの男女が恋愛して結婚しようとしたらどうなるか。多分親族やカースト仲間から猛反対です。それでも結婚したらどうなるかというと、二人はカーストから追放されて不可触民にされるんです。二人の間に生まれた子供も不可触民です。とんでもないでしょ。結婚差別だね。
 就職差別はどうか。例えばあなたがインド旅行でカルカッタの食堂に入った。ウェートレスのお姉さんが注文を取りに来ます。彼女はどの身分でしょうか。バラモン、クシャトリア?それとも他人にサービスする仕事だから下層身分かな?
 実は食堂なんかで働いている人はコックさんも含めてだいたいバラモン身分だそうです。なぜか分かりますか。もし、シュードラ身分の人を雇ったら、その店にはバイシャ以上の身分の人は来ません。自分より下の身分の者が作ったり出した水や食べ物を口にしたら自分の身分がケガレるからです。逆にバラモンが出す食事ならどの身分の者でも口にすることができる。だから学校帰りや仕事帰りにみんなでちょっと食事に行こうか、なんてことはインドではありえない。誰かを自分の家に食事に招待するなんていうことには非常に神経質だそうです。相手が同じカーストでなくてはいけないからね。
 法律で身分制度が否定されていてもこんなふうに差別は続いているんです。いくら強調しても足りないくらい大きな問題だと思います。

   特にものすごい差別にあえでいるのが不可触民と呼ばれる人たちです。
 この不可触民に対する差別がどれだけすごいか。山際素男という人の本でびっくりしました。この人はインドに留学していて知り合いもたくさんいた。ある時知り合いになったインド人に案内されてドライブにつれていってもらうんですが、田舎道を走ってる途中で白い服を着た集団が歩いていた。そしたら山際さんの乗ったクルマがその中の一人をポーンとはねたんだ。山際さんびっくりして、今人をはねましたよ、止まって下さい、と言うんですが運転手のインド人の友人は無視して走り続けるの。振り返って見ると倒れた人の周りにみんなが集まっているのが見えた。早く戻って手当をしなければ、と山際さんは運転手に訴えるんですが聞いてもらえない。同乗している他のインド人もばつが悪そうに知らんぷりをしているんですよ。これはひき逃げだと当然山際さんは思うわけ。
 翌日新聞にひき逃げの交通事故の事件が載っていないか探すけど載っていない。だけどひき逃げは事実だから気になってしょうがない。そこで、彼は知り合いのインド人を訪ねてこのことを訴えてまわるんですが、みんなは「そんなことは早く忘れなさい」って山際さんに忠告するんだね。あんな連中はどうだっていいんです、と言われる。はねられた人は不可触民だったんだよ。衝撃を受けた山際さんはそれから不可触民の実態を彼らの中に入ってレポートしています。信じられないような話がこれでもかこれでもかと出てくるよ。

   インドの憲法はカースト制を否定しています。実際は守られていないにしてもね。
 この憲法を起草したのがインド共和国の初代法務大臣だったアンベードカル(1891~1956)という人です。このアンベードカルは不可触民出身なんです。
 アンベードカルは不可触民でも例外的に経済的に豊かな家庭に生まれて学校に行くことができました。で、ホントに幸運な出会いとかがあって上級学校に進むことができて、頭も良かったのでアメリカの大学に留学して博士号をとったんです。アメリカでは差別はないからね。インドに帰ってから不可触民差別をやめさせる運動の指導者になっていろんな経過で初代法務大臣になった人です。
 この人の伝記を見てもすごいよ。例えば、学校で先生は彼のノートを見てくれないのです。質問にも答えてくれない。教師はバラモン身分です。ケガレるのがいやなの。それから体育の時間があります。終わったあとはのどが渇くからみんな水を飲む。水道はまだないから、水差しがあってそこからコップについで飲むんですが、アンベードカルは水差しに触らせてもらえない。そしたら、親切なクラスメートがいて水を飲ませてくれた。その飲ませ方というのがこうです。クラスメートはアンベードカルをひざまずかせて、上を向いて口を開けさせる。で、水差しからその口めがけて水をそそぐの。今、われわれがそんなことさせられたら屈辱的だよね。でも、アンベードカルにとってはそのクラスメートが一番親切な奴だったんだ。
 やがて差別廃止の運動に取り組むのも理解できますね。

 ところで不可触民人口はどれくらいと思いますか。インド人口の約二割もいるんですよ。不可触民の問題は決してごく少数の限られた人の問題ではありません。あ、少数者の問題なら無視していいというわけではないですよ。誤解のないように。

   話を元に戻しましょう。このような身分制の始まりが前1000年くらい。これがバラモン教と一体となって生まれてきます。最上級身分バラモンは神に仕えるものとして他の身分の者を、まあ、脅かして威張っているんだね。
 ところが、だんだん都市国家が成長し、都市国家間の交易も活発になってくると王や貴族であるクシャトリア、商人であるバイシャが実力をつけてきます。バラモンの下でへいこらしていることに不満を持つようになるんですね。
 やがて、儀式ばかりのバラモン教に飽き足らない人たちによって新しい哲学思想が生み出されます。さらに、カースト制を批判する新しい宗教も出現してきました。


参考図書紹介・・・・もう少し詳しく知りたいときは

書名をクリックすると、インターネット書店「アマゾン」のページに飛んで、本のデータ、書評などを見ることができます。購入も可能です。

不可触民―もうひとつのインド (知恵の森文庫) 山際素男著。カースト制度は、歴史上の問題ではない。現在もつづいているリアルタイムの問題である。日本人による不可触民の人々の内側からの貴重なレポートだと思う。衝撃的でした。
不可触民の道―インド民衆のなかへ (知恵の森文庫)
山際素男著。同上。
インド社会と新仏教―アンベードカルの人と思想 (刀水歴史全書)
山崎元一著。ちょっと学術的。アンベードカルを詳しく知りたい方はどうぞ。
不可触民とカースト制度の歴史 小谷汪之著。さらに学術的。上3冊とは違って、インド史研究者による歴史の本です。

第20回 インダス文明 おわり

トップページに戻る

前のページへ
第19回 キリスト教の発展、分裂後の東西ローマ帝国

次のページへ
第21回 ウパニシャド哲学と新宗教