世界史講義録
  
第43回  イスラム教の成立


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世界中が2000年?
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 いよいよ2000年になりました。なんかうれしいですね。2000年ですよ。よく人類は滅亡せずに2000年を迎えたなあ、というのが、私の素直な感想ですね。私の高校時代は1970年代です。2000年なんかは遠い将来の話で、現実にそんな年がくるなんて考えられなかった。みんなが40歳の自分を想像できないようなものだ。
 小学生の頃「小学何年生」という雑誌をとっていて、付録に予言者のいろいろな予言が載っていたのを覚えているのですが、1979年に宇宙人が攻めてきて宇宙大戦争が起こるとか、笑ってしまうような予言とかいろいろ載っていた。「嘘つけ!」と思って手帳にしっかりメモしたりした。中学になるとノストラダムスの大予言という本が大ベストセラーになった。誰の家に遊びに行っても「ノストラダムスの大予言」とピンカラトリオの「女の操」はあったな。
 1999年7の月、恐怖の大魔王が空から降ってくる、なんて25年前にいわれたら、何となくそんな気にもなったりする。放射能からダイオキシン、オゾン層破壊による紫外線、恐怖の大魔王は沢山あるからね。ノストラダムスが当たらないにしても、21世紀まで人類は生き延びるんだろうか、と考えていた人は案外多いと思う。

 というわけで、今年の新年はとりわけ「明けましておめでたい」。

 2000年だ、ミレニアムだと、世間も私も騒いでいるのですが、1月7日の朝日新聞の夕刊に面白い記事があったので紹介します。「今日は何日?」という題です。
 2000年というのは西暦です。世界には西暦以外の暦が沢山ある。1月7日は、イスラム暦では1420年9月30日、ユダヤ暦では5760年4月29日、エチオピア暦では1992年4月28日、仏暦では2642年10月白分1日、新月から満月までを白分、、満月からあとを黒分として一ヶ月を二分割するらしい。これらは宗教に関わる暦です。
 たとえばユダヤ暦の5760年というのは、神様が天地創造した日を紀元にしている。

 それぞれの国の歴史的出来事を紀元にする暦もある。インド国定暦では1921年10月17日、台湾では民国89年ですし、日本では平成12年、というわけだ。

 暦というのはそれを使う人の属する文化やそれぞれの価値観を知らず知らずに反映しているのですね。
 その中で西暦はキリスト教の暦なのですが、現在ではもっとも宗教を意識せず世界中で通用する暦だということです。

 さて、イスラム暦ですが、宗教暦のなかでは一番根拠がはっきりしているものです。世界宗教のなかで一番新しい宗教だから事情もよくわかっている。
 今回からイスラムに関する歴史を勉強していきます。

 イスラム教は日本人には馴染みが薄いですが、世界ではどんどんイスラム教の信者は増えています。アラビア地方の宗教と考えたら間違いですよ。世界最大のイスラム教国はどこか知っていますか。
 インドネシアですね。東南アジアのこの国がイスラム教徒の人口が一番多い。
 アメリカでもイスラム教徒が増えている。NHKでやっていましたがニューヨークのタクシー運転手の多くがイスラム教徒です。差別のない清潔な宗教として、キリスト教から改宗する人が多いんですって。
 この宗教の歴史をしっかり理解しておくことは21世紀を生きる君たちにとって大事なことだと思います。

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ムハンマドの登場
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 今は世界中に広がっているイスラムですが、生まれたのは7世紀のアラビア半島です。

 当時のアラビア半島の人々はどんな暮らしをしていたのか。
 アラビア半島の住民はアラブ人が大多数です。セム語系の人たちです。
 当時かれらは国家をつくっていません。民族としても全然まとまっていません。部族単位の暮らしをしていた。

 暮らし方も多様でした。ラクダの遊牧民、小規模農業、隊商貿易などです。アラビア半島の西側、紅海に面した方ですが、ここはインド洋と地中海を結ぶ交易ルートになっていて隊商貿易の商人たちが都市をつくっていた。

 宗教は多神教でした。土着の神様をそれぞれ信仰していたようです。また、ユダヤ教やキリスト教も商人によって伝えられていた。

 このアラビア半島にメッカという町がある。隊商貿易で栄えていた町で、住民も商人が多い。この町で生まれたムハンマド(570?~632)がイスラム教をつくるのです。
 ムハンマドは、マホメットという呼び方の方が有名ですが、ムハンマドで覚えてください。

 ムハンマドの父親はメッカの商人でしたが、ムハンマドが生まれる前に旅先で死んでしまう。母ひとり子ひとりですが、母親も6歳の時に死んでしまって、ムハンマドはお祖父さんのもとに引き取られます。そのお祖父さんも8歳の時に死んで、今度は叔父さんのもとに引き取られる。
 要するにムハンマドは孤児で、親戚の間をたらい回しにされるという幼年時代を送ったのですね。叔父さんも隊商貿易に従事する商人で、ムハンマドは幼いときから叔父さんのキャラバンについていった。雑用をしていたんでしょう。そのまま成長して、ムハンマド自身も隊商貿易の商人となりました。

 メッカに、かなりの財産をもったハディージャという女性がいた。未亡人のハディージャはお金を出して、商人に隊商貿易をさせて儲けていたんですが、ある時、ムハンマドが彼女に雇われて隊商貿易を取り仕切った。
 ムハンマドの仕事ぶりを気に入ったんだろう。このあと、ハディージャはムハンマドに求婚しました。

 逆玉です。財産のないムハンマドには、おいしい話だ。ところが一つ問題があった。年齢です。このときムハンマドは25歳。ハディージャは40歳。常識的に考えて、バランス悪いです。もし、このシチュエーションで結婚したら、財産目当てだと思われる。
 ムハンマドは非常に普通の発想をする人だから、財産目当てなどとほかの商人たちに思われたくはないし、逆に自分を婿にしてただ働きさせるつもりじゃあないか、と疑うわけです。そこで、人を介してハディージャの真意を尋ねた。結局、ムハンマドはハディージャが真剣に自分を愛しているということを確信して結婚します。
 二人の間には子供は産まれたけど、男の子はみんな死んでしまう。跡取りの男の子をつくるために何人も妻を持ってもよいんですが、ムハンマドはそういうことはしない。ハディージャが死ぬまで他の妻を迎えなかった。仲の良い夫婦として過ごしていたようです。

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イスラム教の成立
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 結婚後のムハンマドはメッカの商人の旦那として不自由のない生活を送るようになった。そのあとは何事もなく日々は過ぎて、ムハンマドは40歳になった。

 ムハンマドは趣味があった。瞑想です。メッカの近郊にヒラー山という山がある。暇があるとムハンマドはヒラー山に登り何日も洞窟にこもって瞑想をするのです。
 ある日のこと、いつものようにムハンマドが山のなかで瞑想をしていると、いきなり異変が起こった。金縛りにあったように身体が締め付けられて、ぶるぶる震えてきたんです。そして、目の前に大天使ガブリエルが現れてムハンマドに向かって「誦(よ)め!」と迫った。
 ムハンマドは、今自分に起こっていることがなんなのかわからない。恐怖でいっぱいで、「誦めません!」と抵抗した。

 「誦む」と訳しているのですが、この「誦む」という字は「声に出して読むこと」なのです。朗々と歌うように読むことをいう。大天使ガブリエルというのは、ムハンマドがあとあとになってそう解釈したもので、その時点ではなんだかわかりません。

 とにかく、訳の分からない魔人のようなのが「誦め!」という。その手には文字を書いた何かを持っていたんだろう。ムハンマドは字が読めなかったらしい。だから、「誦めません!」というのですが、そうすると、大天使ガブリエルはさらにムハンマドの身体をぐいぐい締め付けて「誦め、誦め!」と責める。

 苦しさのあまりに、口を開いて声を出したら、誦めた。

 すると、自分を締め付けていたわけのわからない力が、スッと抜けてガブリエルも消えて、ムハンマドはもとの状態に戻ったのです。
 ムハンマドは、あわてて山から降りてハディージャの待つ我が家に帰った。とにかく怖かったのです。
 当時、砂漠にはジンと呼ばれる悪霊がいると信じられていた。砂漠で道に迷って死んだりする商人がいると、ジンにとりつかれたんだといわれていた。そこで、ムハンマドは自分にもその悪霊がとりついたんだと考えたんだね。

 ムハンマドは、この体験をはじめは誰にもしゃべらない。自分の胸にそっとしまっておく。しゃべって変に思われるのを怖れたんじゃないかと思う。ところが、それ以後何回も同じような体験をするんですね。とうとう、ムハンマドはハディージャに打ち明けた。
 これこれ、こんなふうに悪霊に取り付かれて、俺は気が変になっているんじゃないだろうか、とね。ハディージャは「大丈夫よ、あなたは変じゃないわ。」と言ってなぐさめた。

 それ以後もムハンマドに何かがとりつく、ということはしばしば起きるのね。その時に聞こえてくる声を、ムハンマドはハディージャに伝えるようになる。ハディージャも、ムハンマドの身に起こっていることが何なのか、だんだん気になってきます。
 心配になったハディージャは、物知りのいとこに相談するんですが、このいとこはアラブ人には珍しいキリスト教徒だったのです(一神教に詳しかっただけで、キリスト教徒ではなかったという説もあります)。

 相談を受けたいとこは、「ムハンマドみたいな声を聞いた奴は、昔から何人もいたんだよ。」と答えた。「たとえば、アブラハムだろ、ノア、モーゼ、イエス、預言者といわれた人たちは、皆同じような経験をしたんだ。」とね。アブラハムというのは旧約聖書に出てくる有名な人物です。
 ハディージャは「そうか!」と安心して、その話をムハンマドにする。ムハンマドもその話を聞いて、胸にストンと落ちるものがあったんだろうね。自分が陥っている事態をそういうものとして受け入れた。

 そういうものというのは、つまり、自分に聞こえているのは神の声で、自分は神の声を授かるもの「預言者」である、ということです。

 で、神はムハンマドに何を言っているかというと、「神は自分だけである。」「かつて、イエスに言葉を与えたけれど、その後の人類はイエスの言葉を間違って解釈していて神の教えがゆがめられている。」「だから、お前ムハンマドに自分の言葉を託すから、人々を教え導け。」こんな事を神はずっとムハンマドに伝えていた。
 これが、悪霊の仕業でなく、本当に神の声だと確信したんだから、ムハンマドは布教しなければならないのですよ。それが、預言者というもんです。

 ところが、ムハンマドという人は滅茶苦茶に普通の人なんですよ。いきなり、神の声を聞け!なんて言っても、みんな信じてくれないよな、変人扱いされるのが関の山だよな、布教活動なんて恥ずかしいな、って思った。
 だから、イエスやシッダールタみたいに、いきなり街角で辻説法なんてできません。どうしたかというと、自分の身内から布教を始めた。身内なら、こいつおかしいんちゃうか?と思っても、いきなり邪険にはしませんからね。
 で、最初にムハンマドが布教したのが奥さんのハディージャ。ハディージャは愛する夫の言うことだから黙って信者になりました。信者第一号です。あと、親戚連中を訪問して布教します。いとこ連中や叔父さんたち。入信してくれる人もあれば、馬鹿にする人もいた。
 この布教の初期の頃のムハンマドの行動を見ていると、この人は本当に普通の常識的な人だったんだなあと思いますね。

 ところで、信者になった人たちの入信の理由ですが、ムハンマドは他人の前でもしばしば神がかり状態になった。そうなると、顔面蒼白になって、身体がブルブル震えて、見るからに異常になる。で、その口から神の言葉がでてくるんですが、神の言葉は詩になっているの。きちんと韻がふんであって、誦む、というのにふさわしく、朗々と歌うように神の言葉がでてきた。
 ムハンマドは詩の才能は全くない、これは周囲のみんなが知っている。アラビアでは詩のコンテストがあったくらいに、詩人というのは尊敬されていた。そういう、天才詩人がつくるような言葉で神の言葉が語られるのです。ムハンマドには才能はないのだから、やはりこれは神がムハンマドの身体を借りて話しているんだ、と見ている人は思ったそうです。

 さて、親戚連中に対する布教が終わると、今度は他人にも布教せざるを得なくなる。ようやくメッカの商人仲間にも布教を始めるんです。仲間のなかには親切に忠告してくる人もいる。「お前、馬鹿なことはやめておけ。商人として、一応の地位を築いてきたのに、信用を失うぞ。」とね。

 はじめは、親切心からムハンマドに布教を思いとどまるように言っていたメッカの商人たちですが、ムハンマドから見れば、神の声を信じない不届きものですから、かれらの忠告を無視せざるを得ない。自分の布教を邪魔するものとして対立していきます。
 また、いつの時代でも新興宗教というのはうさんくさい目で見られるものです。メッカの有力者、商人たちのムハンマドに対する態度は忠告から、弾圧へと変化してくる。それに対して臆病だったムハンマドも、戦闘的になっていきます。

 メッカで弾圧を受けていた頃のムハンマドの言葉です。というか、神がムハンマドに伝えた言葉です。
 「悪口、中傷をなす者に災いあれ。彼らは財を蓄えては、それを数えているばかり。財が人を不滅にするとまで考える。必ずや地獄の炎に焼かれるであろう。」
「お前は最後の審判などうそっぱちだなどという輩をみたか。連中は孤児を手荒に扱い、貧しい者に糧食を与えようとはしない。災いあれ…。」

 蓄財に走る商人、貧しいものを救おうとしない金持ちに対して、呪いの言葉を投げつけているでしょ。ムハンマドは、未亡人や孤児を大事に扱えと教えていますが、この辺は自分の体験がもとになっているんでしょうね。
 イスラム教の成立の背景として、メッカなどの商業都市での貨幣経済の活発化にともなう貧富の差の拡大があった、といわれています。うなずけるところです。

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ヒジュラ
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 ムハンマドが布教を開始したのが610年頃、その後12年間メッカで布教を続けるんですが、弾圧は激しくなるばかりで、信者や自分の命すら危ない状態になってきます。

 ムハンマドとその信者たちは弾圧を逃れて、メッカから200キロほど北にあるメディナという都市に移住することにした。
 622年のことです。ムハンマドなどは追っ手に命を狙われながら、命からがらメッカからの脱出に成功する。このときの信者はいったい何人いたと思いますか。布教開始から12年ですよ。驚きますよ、信者の数はわずか70人です。たったこれだけ。今の日本にだって信者数70名くらいの宗教団体ならそれこそ星の数ほどある。
 だから、ムハンマドグループのメディナへの移住は、世界の片隅で起きた小さな小さな事件に過ぎなかったはずです。

 ところが、ムハンマドたちがメディナに移住したあと、そこで信者が爆発的に増加するのです。そこで、イスラムではメッカからメディナへの移住のことを「ヒジュラ(聖遷)」と呼び、ヒジュラの年、622年をイスラム暦元年としています。

 当時メディナの町はアラブ人、ユダヤ人が住んでいた。アラブ人住民は部族間の対立が激しく、またアラブ人とユダヤ人との対立もあって、非常に不安定な状態だったのです。

 一方移住してきたムハンマドと信者たちは、みんな部族の絆を断ちきってムハンマドについてきた。部族を超えてアラブ人がまとまっている。これは、アラブ人の歴史上始めてのことで、かれらもこのことを意識している。
 部族を超えた信者たちのまとまり、共同体のことを「ウンマ」という。「ヒジュラ」とか「ウンマ」というようなイスラム独特の表現はしっかり覚えてください。

 部族対立が激しくなっていたメディナの町でムハンマドたち「ウンマ」の存在は、部族を超えた中立な調停者としての立場を得ることになった。ムハンマドは、相争う勢力を自分の同盟者、ウンマの一員にすることでメディナに安定をもたらした。
 宗教的というより、政治的に勢力を拡大するのです。「部族対立を解決したかったら私の信者になり、ウンマの一員になりなさい。」ということです。

 メディナで勢力を広げる過程で、ムハンマドは自分の宗教の儀礼を定めて、宗教としての体裁を確立していきます。この段階でイスラム教というものになった、ということです。

 メディナでイスラム教のウンマがある程度の大きさになると、砂漠の遊牧諸部族もこれと同盟を結んだ方が有利と考えるようになる。部族間の小競り合いはしょっちゅうある。イスラムの信者を兵力として借りることができればそれだけ敵より有利になるよね。
 ムハンマドはそういう部族に対して、信者になったら助けてやる、という。いわれた部族は丸ごと入信します。敵対部族もやっつけられないためには、自分たちもウンマの一員になればよい。こっちも部族丸ごと入信するわけだ。
 こんなふうに、あとは雪崩式に勢力は拡大していった。これが、イスラムの発展になるのですが、結果としてこういう布教方法は国家を持たなかったアラブ人に政治的まとまりをもたらすことになったのです。

 部族に関係なく、信者はみんな平等だと教えるムハンマドの言葉を紹介しておきましょう。
 「 …もはや何人たりとも地位や血筋を誇ることは許されない。あなたがたは、アダムの子孫として平等であり、もしあなたがたの間に優劣の差があるとすれば、それは神を敬う心、敬神の念においてのみである。」

 630年には、ムハンマドは、ずっと敵対してきたメッカを征服、631年にはアラビア半島を統一しました。
 おっかなびっくり始めた宗教活動が、アラブ人をまとめるまでになった。すでに、イスラム教そのものが国家です。

 その翌年、632年にムハンマドは死去します。
 しかし、かれの死後、イスラムはさらに発展していきます。

【参考図書】
小杉泰著『興亡の世界史 イスラーム帝国のジハード (講談社学術文庫)』キンドル版

第43回 イスラム教の成立 おわり

こんな話を授業でした

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