世界史講義録
  
第44回  イスラム教の特徴


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イスラム教とは
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 ムハンマドが始めたイスラム教はどんな特徴を持っているのか、簡単に見ておきましょう。

 まず、一神教である、ということ。ここはしっかり頭に入れておくこと。只一つの神しか認めない。しかも、その神は人格神です。山の神とか、火の神とか、太陽の神とか、そういう自然神とは全然違う。
 こういう一神教の宗教は世界で三つだけです。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教。ムハンマドが神がかりになったときに、相談したハディージャのいとこはキリスト教徒でしたね。また、ムハンマドがイスラム教の教義を確立したメディナの町はユダヤ教徒の住民がかなりいたところで、ムハンマドはかれらからも大きな影響を受けています。
 つまり、イスラム教はユダヤ教、キリスト教の兄弟宗教で、一神教三兄弟の末っ子なのです。

 イスラム教の唯一神をアッラーといいますが、アッラーというのは神様の名前ではありません。注意してください。アッラーというのはアラビア語で「神」という意味です。一般名詞です。日本語で「神さまー」というように、アラビア語で「アッラー」というのね。だから「アッラーの神」という言い方は間違いです。
 では、神様の名前は何かというと、あえて言えば「ヤハウェ」です。キリスト教徒が信じているのと同じ神さまをイスラム教は信仰しているのです。
 イエスはユダヤ教を改革しようとした人でしたね。だから、キリスト教の神さまはユダヤ教と同じ「ヤハウェ」でした。そして、その同じ神をイスラム教も信じている。
 だから、人類はアダムとイブからはじまったとイスラム教徒も考えているのですよ。

 ムハンマドが神がかり状態になるときに、神の言葉を授かるのですが、神はずっと昔からムハンマド以外の人にも言葉を与えてきた。それが、「ノアの箱船」のノア、「出エジプト」のモーセなど、旧約聖書の登場人物たちです。ムハンマドはそれらの人物を預言者として認めます。
 さらに、イエス。かれも預言者の一人だった、とムハンマドは言う。
 ただし、神はこれまでの預言者たちにすべてのことを伝えたわけではない。言い残した言葉がたくさんあったんだ、という。人間たちに言い残した言葉を伝えるために選ばれたのがムハンマドなのだ。

 というわけで、イスラム教でのムハンマドの位置づけは「最後にして最大の預言者」です。何しろ、神さま今まで言い残していたすべてをムハンマドにしゃべってしまったので、もう何も人類に伝えることはない。だから、ムハンマドは最後の預言者なのです。
 キャッチフレーズとしては滅茶苦茶にうまい。おいしいところに目を付けたな、という感じですね。
 ムハンマドが他の人間と違うのはそこだけで、他に奇跡を起こしたりとか特別な能力を持っていたりということはありません。

 イスラムという言葉ですが、これは「神への帰依」という意味です。帰依というのは「深く信仰し、その教えに従う」という意味ですよ。だから「イスラム教」という言い方はそのまま訳すと「神を信仰する宗教」という意味になってしまって、なんだか居心地が悪いね。

 イスラム教徒のことを「ムスリム」といいます。意味は「神に帰依した人々」です。この言葉、教科書でも頻繁に出てきますので、しっかり覚えてください。

 神がかり状態のムハンマドの言葉を集めたイスラム教の聖典が「コーラン」です。この「コーラン」は、考えようによってはものすごい本です。たとえば仏教のお経やキリスト教の新約聖書は、ガウタマ=シッダールタやイエスの言葉がどれだけそのまま伝えられているか、という点から見ると、かなりあやふやなものです。
 しかも、ガウタマ=シッダールタやイエスは人間ですから、かれらの言葉が正確に書かれていても人間の言葉に過ぎない。

 ところが、「コーラン」は神の言葉そのものなのです。神がムハンマドの肉体を通じて語りかけたのだから。しかも、それをリアルタイムで聞いていた信者たちが、書き留めてまとめたものです。
 他の宗教の経典はのちの時代の信者たちが教祖の言葉を解釈してまとめたもの。「コーラン」は神の言葉を解釈抜きで書き留めたもの。この違いはすごい。
 またまた、ムハンマドはおいしいところをとりましたね。

 ムハンマドはアラブ人ですから、アラビア語をしゃべりました。神がかり状態の時もアラビア語でしゃべったのです。ということは、神はアラビア語でしゃべったのです。
 神の言葉を人間が勝手に変えることはできません。だから、翻訳した「コーラン」はもう神の言葉ではない。日本でも本屋に行けば日本語訳の「コーラン」を売っていますが、正確には、これは「コーラン」ではありません。私たちが、イスラム教がどんなものか知るのにはそれで充分ですが、もし、入信するならアラビア語で誦まなくてはダメです。

 だから、ムハンマドの死後、イスラム教が西アジアからアフリカ北岸に広がっていくとアラビア語もそれにつれて広まっていった。「コーラン」によってアラビア語が西アジアに広がったということは知っておいてください。

 「啓典の民」という言葉も覚える。これは、イスラム教が同じ神を信仰しているユダヤ教徒、キリスト教徒を呼ぶ言い方です。ユダヤ教、イスラム教を尊重した言い方だからね。
 ただ、イスラム側が尊重するように相手方は尊重してくれないんですが。まあ、「最後にして最大の預言者」がムハンマドで「コーラン」が神の言葉、などと言われては尊重できないでしょうね。

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イスラム教徒の義務
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 ムスリム、つまりイスラム教徒にはどんな「おつとめ」があるのか。
「六信五行(ろくしんごぎょう)」という義務があります。

 「六信」とはムスリムが信じなければならない六つのことです。
 「神」「天使」「啓典」「預言者」「来世」「天命」。この六つ。
 「啓典」は、「コーラン」のこと。ユダヤ教やキリスト教の教えを引き継いでいますから、イスラムでも最後の審判はあって、人々は天国と地獄に振り分けられる。「来世」とはそういうことです。最後の「天命」というのは、どういうイメージなのか私はよくわかりません。

 「五行」は、ムスリムが行わなければならない五つのことです。
 「信仰告白」「礼拝」「断食」「喜捨」「巡礼」の五つ。

 「信仰告白」というのは、「アラーの他に神なし。ムハンマドはその使徒なり。」と唱えることです。声に出さなければダメですよ。この「信仰告白」というのは、次の「礼拝」と一緒におこなわれます。

 「礼拝」のシーンは資料集にもありますし、テレビでも見たことのある人は多いと思います。正式には一日五回、メッカの方向を向いておこなう。
 ムハンマドはイスラムの教義を作り上げていくときに礼拝の方向を決めました。はじめはイェルサレムに向かってとか、いろいろ試行錯誤するんですが、最終的にはメッカのカーバ神殿に向かって礼拝することにきめました。世界中のムスリムが礼拝の時間にはメッカのカーバ神殿に向かって拝むのです。

 このカーバ神殿というのは、ムハンマドが生まれるずっと前からメッカの町にあった神殿で、多くのアラブ人の信仰を集めていました。イスラム教の登場以前のアラブの宗教は多神教ですから、カーバ神殿にはたくさんの神さまの像が祀られていた。
 ところが630年、ムハンマドはメッカを占領したときに、これらの神々の像を全部破壊しました。イスラム教の特徴の一つに偶像崇拝の徹底的な否定というのがある。ユダヤ教でもキリスト教でも偶像崇拝は否定しているのですが、イスラム教はもっとも徹底して否定する。唯一の神以外の神像は、当然破壊するし、唯一神は偉大なものだからそれを人間が描くなんてもってのほかです。しかも、神像を拝むと言うことは神そのもの以外のものを拝むことになりますから、一神教の教義に反するのです。

 この絵はムハンマドがメッカ占領の時に、カーバ神殿からいろいろな神さまの像を引きずり出して破壊しているところです。多くの像が砕かれているでしょ。
 偶像を破壊しているこの男がムハンマドなんですが、顔がベールで隠されています。実際にムハンマドがベールを付けていたわけではないのですが、偉大な預言者を描いてしまうと、信者が思わず拝んでしまうかもしれません。これこそがイスラム教が否定する偶像崇拝ですから、そうならないように顔を隠して描いている。そのほかにも人間であっても重要なイスラム教の指導者は顔を隠して描くのが一般的です。

 話はそれますが、20年ほど前大学時代に映画を見に行ったら「ザ・メッセ-ジ」という映画の予告編をやっていた。ムハンマドの伝記映画なのです。サウジアラビアとかリビアとか、アラブ諸国が制作費を出して作った映画だったのですが、面白かったのは、主人公はムハンマドなんですが、ムハンマドがいっさい画面に出てこない。主人公が登場しない映画なんて前代未聞だね。
 どうしているかというと、カメラがムハンマドなんです。ムハンマドが見ている設定で映画は作られている。偶像崇拝否定というのは徹底したものです。

 カーバ神殿に戻りますが、ムハンマドはそれまでの神像を全部破壊して、そのあと神殿の中はどうなったか。空っぽです。なーんにも入っていない。神殿の建物があるだけです。

 宗教というのは「祈る・拝む」という行為と切り離せません。礼拝のない宗教はない。拝むときには、やっぱり拝む対象が欲しいでしょ。みんながてんでバラバラの方を向いていたんでは信者同士の連帯感も生まれにくい。
 ムハンマドが苦肉の策で、考え出したのが空っぽの神殿に向かって拝むということだったんでしょう。
 だから、世界中のムスリムは空っぽに向かって礼拝をしているのです。

 ただ、正確に言うと、カーバ神殿には何もないのではなくて、神殿の壁の一カ所に「カーバの黒石」と呼ばれる石がはめ込んであります。資料集に写真がありますね。いん石らしいのですが、この石がアッラーの指先とされています。ここに巡礼に来た人たちが千年以上もさわり続けて、だいぶんへっこんでいます。

 とにかく、このメッカに向かって「礼拝」をする。ところが旅行中とか外国にいるとメッカがどちらの方向かわからなくなる。そこで、旅行者向けに「メッカ探知機セット」が売られている。この地図で緯度と経度を調べて、コンパスでメッカの方向がズバリわかる。こんな商品があるくらいに、「礼拝」は大事な「行」です。

 「礼拝」の手順がプリントにありますね。
 まず、メッカを向いて直立。次に、手のひらを広げて耳の両脇に持ってきて「神は偉大なり」と唱える。手を下ろして、お辞儀をしながら「神は偉大なり」をもう一度。
 ひざまずいて額を地面につけながら「神は偉大なり」。これを二回繰り返して、また立ち上がって、お辞儀。この時も「神は偉大なり」と言う。
 また、ひざまずいて額をつけて「神は偉大なり」を二回。
 最後に、ひざまずいたままで軽くうつむいて、神を讃えて預言者とムスリムへの神の祝福を祈ります。さらに、首を左右に振って「アッサラーム・アライクム(あなたの上に平安がありますように)」と唱えておしまい。この時、両手は膝の上に置いているのですが、右手をよく見てください。人差し指だけを伸ばしている。これは、神は唯一、という印です。

 立ったり座ったり、なかなか忙しい。これが礼拝ですが、正式には礼拝にはいる前に手や顔を決まった手順で清めなければならない。また、立っている間に「コーラン」の一節を唱えたりもしますから、結構時間がかかります。

 この写真はサウジアラビアの風景ですが、砂漠に道路が走っている。ここで礼拝している人たちがいるね。わかりにくいのですが、ここに車がとまっている。かれらは、自動車で砂漠を旅していたんですが、「礼拝」の時間になったので車から降りて祈っている。

 実際に一日五回の「礼拝」は、イスラム教国に住んでいれば問題なくできますが、そうでない地域で生活していると実行は難しい。
 たとえば、このクラスにムスリムの生徒がいて、授業中に「先生、礼拝の時間になりましたので失礼します」といって、「アッサラーム・アライクム…」とやられてはちょっと困る。学校ならまだ許されるかもしれませんが、出稼ぎで日本の工場で働いていたりすると、5回の礼拝は無理です。
 ですから、今では住んでいる地域によって、朝晩以外の礼拝は簡略化してもよいとか、しなくても構わないとか、柔軟になっているようです。

 「断食」。一年に一ヶ月断食月があります。ラマダーンと呼ばれる月です。これは、まったく何も食べないのではない。日の出から日没まで、太陽の出ている時間帯に食べ物を口にしない、というものです。日が沈んだら、食べてもよいのです。
 なかなか、しんどそうですね。
 ところが、イスラム教国の人たちには、このラマダーンはそれなりに楽しいものらしい。お祭りに近いものがあるということです。

 自分だけダイエットして、好きなものが食べられなくて空腹というのはつらいけれど、ラマダーンにはみんなが食べられない。「あー、腹減ったな、つらいな。」と思う。隣の奴の顔を見るとそいつも「あー、腹減った。」という顔をしている。こいつも、あいつも、みんなつらいけど我慢しているんだと思うと、なんだかともに戦っている、みんな仲間だという連帯感が芽生えてくる。
 さあ、日が沈みます。「やったー!」ってみんなが思うのですよ。この時の開放感がたまらないらしい。親戚や友人がみんなで食べ物を持ち寄って、夜はパーティです。イスラムはお酒は禁止だから、食事会。こういうお祭り気分が一ヶ月続く、それがラマダーン。イスラムの「断食」です。

 「喜捨」。これは富めるものが貧しいものに財産をわけあたえることです。イスラムは商人の倫理が根っこにあるから、まともな取引で儲けることはいいことなんですが、儲けっぱなしで、財産をため込むことを卑しいこととします。儲けたなら、それを貧しいものに施すことを勧めます。
 これは、逆から見ると、貧しい者は豊かな者から恵んでもらって当然だ、という考えになる。日本人がイスラムの国に旅行した。駅を降りると乞食の人が寄って来るんだって。「金をくれ!」と言うその乞食の人の態度が滅茶苦茶でかい。日本人から見ると威張っているように見える。ムッとして「なぜ、お前に恵まなければならないんだ?」と問いかけたら、「お前は日本人だろう、お金をたくさん持っているはずだ。俺は貧しい。豊かな者が貧しい者に恵むのは当然のことだ。俺がお前の金をもらってやる。そうすればお前は喜捨ができて、来世で救われるのだ。」と理屈を言ったそうです。
 本で読んだか人の話か忘れましたが、そんな感じらしい。貧しい者がもらってやらなければ喜捨はできないので、貧しい者も卑屈になる必要がない。貧しいということは、どんな世界でも決して楽しいことではないはずです。でも、こういう喜捨の考え方があれば、表面だけでも貧しい者が卑屈にならなくてもすむのかもしれません。

 喜捨と関係するのですが、イスラム世界ではイスラム銀行という銀行がある。この銀行は日本や欧米の銀行とは違って利子がないのです。預金を何年しても利子が付かない。なぜ、預金者はこんな銀行に預けるのか?
 銀行は預金の運用益を喜捨的な事業に使うのです。だから、イスラム銀行に預けるということは間接的に喜捨をすることになる。

 巡礼。これは、メッカに巡礼することです。一年に一回巡礼月があって世界中からイスラム教徒がメッカに集まってくる。テレビでも最近よくやるので見た人もいるでしょう。現在メッカはサウジアラビアにあるので、サウジ政府は巡礼者の受け入れに非常に気を配っている。また、それがサウジ政府の威信を高めることにもなっているようです。
 メッカに巡礼するということは、交通の不便だった昔はなかなかできることではなかった。一生に一度はメッカ巡礼を果たすことがイスラム教徒の悲願でした。だから、今でも巡礼をした人は「ハッジ」と呼ばれ地域の人々から尊敬をされます。

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その他の特徴
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 六信五行以外にイスラムの特徴を見ておきます。

 聖戦。ジハードともいう。
 これは、イスラム教徒が異教徒と戦うことです。

 イスラム法。
 イスラム教徒はコーランにしたがって生活します。コーランには宗教的な話だけではなくて、日常生活のルールもいろいろ定めている。ムスリムとして生活しようとすると、宗教生活以外でもコーランに縛られることが多いのです。また、ムスリムが生活上でいろいろなトラブルがあった場合にも、コーランの記述に基づいて裁く。
 こうして、イスラム世界ではコーランに基づく法律が発展しました。これをイスラム法という。
 イスラム法を学んだイスラム法学者、ウラマーという人たちが、人々の日常的な生活の相談から政治的な指導までする。そういう世界です。
 日本や欧米では、政教分離が原則ですね。政治に宗教が関わらないように制度上さまざまな工夫をしている。ところが、イスラムでは政治・法律と宗教を切り離すことができない。すべてがイスラム教に関わっているのです。
 だから、一日五回の礼拝や、断食月なども可能になるのです。

 たとえば結婚ですが、ムスリムは結婚前に両者が契約書を作る。何が書いてあるかというと、離婚する場合の条件が書いてある。離婚の場合、夫はどれだけの金額を妻に渡すとかなんとか。契約書をイスラム法学者に見せて問題がないのを確認してもらってから、正式な結婚となります。こういう結婚の仕方がイスラム世界でどこまで一般的かはわかりませんが、そういう地域もあるということ、生活のすべての面がイスラム法、コーランに基づいているということを覚えておいてください。

 聖職者の存在を認めない。
 イスラム教ではお坊さん、聖職者はいません。信者はすべて対等です。キリスト教の牧師や神父のように、神と人間をつなぐ一般信者以上の存在は認めていません。
 テレビを見ていると「○○師」という名前で聖職者のような人が出てくるときがありますが、あれはイスラム法学者で聖職者ではないのです。イスラム法を解釈するだけで、神との関係で特別な地位にあるわけではない。
 ただ、一般民衆の心情として「聖者」を求める気持ちはあって、地域地域でいろいろな聖者がまつられています。ただ、これは公式的なイスラム教から見ると変則的ということになる。

 商人の倫理を重視。
 ムハンマド自身が商人だったこともあって、イスラムは商業倫理を尊重しています。仏教でも、キリスト教でも商売を軽視、もしくは蔑視するところがある。これは、農民のように額に汗して手に豆を作って働きもせず、右のものを左に動かすだけで儲けることを卑しいこととしたためです。イスラムにはこういう面はない。
 むしろ、商人が正しい契約によって利益を得ることを積極的に肯定している。

 このため、イスラム世界では商業が発展した。中国から地中海にまでまたがる交易ネットワークが形成された。唐の時代に広州にはムスリム商人がたくさん住んでいました。日本にまでイスラム教徒は来ているんですよ。室町幕府の三代将軍足利義満に仕えたムスリム商人がいて、この人は河内の女性と結婚して子供を作った。この子が幼名ムスル、日本名が楠葉西忍(くすばさいにん)という。やっぱり室町将軍に仕えて、日本商人を引きつれて中国の明に貿易に行ったりしている。
 歴史に名前を残しているのはかれくらいですが、そのほかにも記録に残っていないムスリム商人がたくさん九州あたりには来ていたかもしれないと思うと面白いです。

 手形や為替のような商業システムも整備されました。

 商業が発展すると、当然都市も発展する。
 都市はその中心にモスクがあります。モスクは礼拝所です。寺院に近いですが、正確には寺院ではない。信者が礼拝のために集まる集会所と言った方がよい。イスラムは偶像崇拝禁止ですから、モスクの中にも何もない。ただ、部屋の壁にメッカの方向を示すくぼみが作ってあるだけです。ご本尊やご神体をまつってある寺院ではない。

 もう一つ都市の中心にあるのが市場です。バザールです。すっかり日本語になっているほどです。ここで、さまざまな取引がおこなわれる。

 それ以外に都市には、隊商宿、公衆浴場、公衆便所、賃貸アパート、貸店舗などが整備されていました。

 こういう都市の公共施設は、富裕な商人たちが拠出した信託財産によって維持されています。この信託財産のことをワクフという。だいたいイスラム教国の町にいくと水飲み場とか噴水とかきれいにしてある。政府ではなく、町の富裕な商人たちのワクフで整備している。
 イスラムの教えに基づいて、お金持ちがワクフとか喜捨とかキッチリするならば、弱者救済や公共事業が民間でできるわけで、政府なんていらないようなものです。実際、イスラム世界の人たちにとって政府、国家は上から突然やってきて税金だけ取る不要なもの、という感覚が強いようです。よく言って必要悪というところ。
 ムハンマド時代、そしてムハンマド死後のしばらくの間は、イスラム世界には国家はなくて「イスラム」だけで人々は生活していたわけですから、本来ムスリムの共同体=ウンマがしっかりしていれば国家などなくてもよいということになる。

 おまけですが、プリントにエジプトの研究所で働く女性の写真を載せておきましたが、これは、典型的なイスラム女性のイメージではないかな。
 全身を服で覆って頭からすっぽりヴェールをかぶっています。肌はどこも露出していない。
 ただ、これは極端な格好で、インドネシアやマレーシアでは女性もここまで肌を隠してはいません。せいぜい頭髪をスカーフで覆っているくらいです。

 日本でもイスラム教に入信する人が増えています。多くはイスラム教徒の男性と結婚して改宗する女性のようです。
 数年前の新聞記事ですが、地方都市の女性がイランの男性と結婚してムスリムになった。で、戒律に従って頭髪をヴェールで覆って長いスカートと長袖の服を着てできるだけ素肌を見せないようにしていたの。この女性が免許の更新で警察にいった。免許の写真を撮る段になって、警官が「ヴェールを取れ」と彼女に言ったんですね。彼女は宗教上の戒律で頭のヴェールははずせません、顔はこのままでもわかるはずだから、このままで写真を認めて欲しいと訴えたんですが、聞き入れてもらえなかった。
 免許がないと困るので、泣く泣くヴェールをはずして免許の更新はしたのですが、後から考えるほどに腹が立つ。憲法で保証されている「信教の自由」を侵害されたと怒っているという記事。こんな事件も起きているんだね。
 ちなみに東京などでは同様の女性がたくさんいるようで、ヴェールを頭に着けたままで免許の更新を認めていると書いてある。

 それはともかく、なぜイスラムでは女性はヴェールをつけるのでしょう。

 イスラムでは人間は弱いものだ、という発想がある。人間は意志が弱いという前提でイスラムの倫理は組み立てられている。先ほど、結婚の前に離婚の条件を決めておく話をしましたが、夫婦の愛も永遠に続かないかもしれないという、非常に冷静な判断をはじめにしているのです。人は弱いから。決して、永遠の愛は誓わない。

 同様に、男の理性は性欲に打ち勝てないかもしれない、という前提に立つのです。
 弱い男の理性を崩壊させないように、女は肌を隠す、ということらしい。面白い理屈です。

 だから、単純に女は引っ込んでおけ、という発想のファッションではないようですね。しかし、現代では、肌を出すことができないことは女性に対する抑圧だという意見がイスラム世界の女性からも出ているようです。

 実際のところ、こういう格好をしている女性はどんな感覚なのか。日本人女性でエジプトの大学に留学した人がそのあたりを体験を含めて書いている。

 目をのぞいて全身を覆うと、気分的には楽になるそうです。男たちに見られるというプレッシャーから完全に自由になれる。逆にヴェールの内側から男をじろじろ見ても誰にも気づかれることはないわけでしょ。それほど、悪いものではないらしい。あくまでもその日本女性の感覚ですよ。
 イスラムでは一夫多妻で男は妻を四人持てるというのは有名な話です。あれも、男尊女卑の典型のように思われがちですが、ムハンマドとしては女性を保護するためだったらしい。
 イスラム以前のアラブ社会も一夫多妻で、男は何人でも妻を持つことができた。ムハンマドのイスラムはそれを四人に制限したのです。
 しかも、ムハンマドは「すべての妻を平等に愛せるならば」四人まで持ってよいと、条件を付けている。これ、厳密に考えたら複数の女性を平等に愛するなんて不可能でしょ。だから、現実には一夫一婦制に限りなく近い。ムハンマド自身もハディージャが亡くなるまでは、他に妻を迎えませんでしたね。

 それなら、はじめから一夫一婦制にすればよかったんじゃないか、という声も聞こえますが、ムハンマドがメディナに移住したはじめの頃は、イスラム教対メッカの戦争などでムスリムの男性は多く戦死しました。結果、未亡人がたくさん出現した。残った男たちに、彼女たちの生活の面倒を見させるために一夫多妻を認めた、というのが四人の妻を認めた理由です。

 また、公共の場では男女を一緒にしないのがイスラム世界では一般的です。先日イランの映画を見ていたら、小学校では男子と女子の登校時間が違うんだね。女子が帰宅してから男子が登校するの。
 イランではスキー場でもゲレンデが男女別になっていて、家族でスキーに行ってもお父さんとお母さんは別のゲレンデ、兄と妹も一緒には滑れないようになっています。銭湯みたいですね。

 最後に、サウジアラビアとかイランとか、女性が顔を隠すのが一般的な国では恋愛はどうなっているのでしょうか。
 イスラム教であろうと年頃になれば女の子が好きになる。ところが、若い男が女の子と知り合う機会は全くない。町を歩けば女性とすれ違うけれど、容姿どころか年齢すらもわからないんだから好きになりようがないです。まことに可哀想です。
 だから、結婚は親が決めたお見合い結婚が一般的らしい。

 それでも恋愛結婚もあることはある。
 これはどういう場合かというと、ほとんどはいとこ同士です。親戚同士なら幼い頃から行き来があるし顔を見ることができるわけですよ。だから、男の子にとって思春期になったときに知っている女の子といったらいとこしかいないわけ。彼女しか知らないのだから当然彼女を好きになる。男子と知り合う機会のない女の子にとっても事情は同じです。
 でも、彼女はヴェールの向こう側からしっかり比較検討していたはずです。

【参考図書】
片倉もとこ著『イスラームの日常世界 (岩波新書)
井筒俊彦著『イスラーム文化?その根柢にあるもの (岩波文庫)
中田考著『 私はなぜイスラーム教徒になったのか』キンドル版

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