世界史講義録
  

第62回  絶対主義

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イギリス
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 イギリスは、ノルマン征服で成立したノルマン朝以来、他のヨーロッパ諸国にくらべて、王権が比較的強いという伝統がありました。しかも、1455年から三十年間つづいたばら戦争で国内の有力な封建諸侯は没落してしまった。しかも、ばら戦争後即位したテューダー朝のヘンリ7世は意欲的に王権の強化につとめました。
 また、このころから新興市民階級が力をつけてきます。具体的には商人と、新興地主層です。イギリスの新興地主層を特に「ジェントリ」と呼びます。地主ですが、貴族ではありません。
 さて、ヘンリ7世の次がヘンリ8世。この王は宗教改革で登場しました。イギリス国教会をはじめた王でした。



 この頃、16世紀になるとイギリスの農村ではジェントリによる「第一次囲い込み(エンクロージャー)」が盛んになる。囲い込みとは何か。ジェントリたちが、自分の土地を耕している小作人を追い払って広大な農地を柵で囲って、文字通り囲い込むのです。小作人を追い払って、そのあとどうするのかというと、広大な農地に牧草を育てて、大量に羊を飼う。そして羊毛をとる。とった羊毛は、これをネーデルラントに輸出するのです。
 ネーデルラントは毛織物工業で発展していたと、前回も話しましたが、その原料はイギリスが輸出していたわけです。だから、ネーデルラントの発展は、即イギリスの羊毛輸出量の増加、つまりイギリスの発展につながるのです。

 こういう流れの中で、16世紀半ばにエリザベス1世が即位し、イギリスの後の大発展の基礎を築きます。
 これがエリザベス1世の肖像画。よくわかりませんが、多分すごい美人なんでしょう。大きな蛇腹の襟巻きとか、ふっくらした袖とか、真っ白に塗った化粧とか、ファッションだけでも見ていてあきない。

 即位したのが25歳。美人で独身で、イギリス王ですから、ヨーロッパ各地の王侯貴族からのプロポーズがたくさんあった。その中でも、スペインのフェリペ2世は有名。フェリペ2世はエリザベスの姉、メアリと結婚していたという話は宗教改革の時にしました。
 メアリが死んだあと、妹のエリザベスにプロポーズするんですね。政略からですが、それにしても節操がないというか、統治階級の人にとってはすべてが駆け引き、大変ですね。

 さて、今でこそイギリスは一流国ですが、当時のイギリスはまだまだヨーロッパの中では弱小国です。スペインやフランスのような大国のはざまで、何とか国家の独立と発展をはかろうと必死な状態。
 で、エリザベスは、美人で独身という自分の魅力を最大限に発揮して、フェリペ2世のような有力者のプロポーズを受けるようなそぶりをして、気を持たせて、なかなか正式な返事をしない。じらしてじらして、相手からイギリスにとって有利な条件を引き出そうと、自分の結婚を外交カードとして最大限利用した。

 結局エリザベスは生涯誰とも結婚しません。イギリスの国益ということを最優先に一生を過ごしました。なぜ、結婚しないのかときかれて、エリザベスは「私は国家と結婚している」と言ったという。この言葉に彼女の生涯は象徴されているようです。イギリス国民もまた、そういう女王を愛しました。「愛すべき女王ベス」なんて呼ばれています。

 さて、エリザベス1世はどんな政治をしたか。

 まず、イギリス国教会を確立します。姉がローマ=カトリックでしたから、これをイギリス国教会にもどした。そのための法律が「信仰統一法」(1559)。

 次に、ネーデルラント独立戦争を援助する。
 なぜかというと、先ほども述べたようにジェントリが生産した羊毛はネーデルラントに輸出されるのでした。だから、ネーデルラントの平和と発展がそのままイギリスの発展につながる。
 スペインのフェリペ2世はネーデルラントに重税を課し、これに反発してネーデルラント独立戦争がはじまる。経営感覚のないフェリペ2世に統治されるより、独立したほうがネーデルラントの発展につながる。エリザベス1世がネーデルラントの独立を援助するのはそういう理由からです。

 また、イギリスはスペインと宗教問題でも対立していたから、徹底的にスペインの邪魔をします。スペインが困ればネーデルラントは楽になる、イギリスにも利益、という理屈です。
 有名なのが海賊にあたえた私掠特許状。イギリスは海に囲まれた国でしたから海賊がたくさんいた。エリザベスはこの海賊に「略奪してもおとがめなし」という免許状をあたえたのです。これが私掠特許状です。ただし、イギリスの商船を襲うことは許されません。スペイン船ならオーケーというのです。イギリスとスペインは戦争しているわけではないから、スペイン船なら襲っていいなんていう理屈はどこにもない。これは、れっきとした犯罪行為です。今風に言ったらテロ支援国家イギリスです。
 海賊の親分で有名なのが、ホーキンズとかドレイクという人たちです。プリントの挿し絵はエリザベス女王がドレイクを自分の臣下にしているところ。ひざまづいているドレイクの肩をエリザベスが剣で打っている。これが臣下にする儀式です。ただ、この絵はあとから描かれた想像画のようですが。

 女王から許可をもらった海賊たちは大西洋に乗りだして、アメリカ大陸からお宝を満載してスペインに向かう商船をつぎつぎと襲って、スペインに多大な損害を与えた。
 とくにドレイクは1577年から1580年まで世界一周海賊旅行をした。出発前にエリザベス女王や金持ちの貴族たちから出資金を集めて、出発した。途中で、スペイン商船やスペインの港を襲いながら、西回り航路で地球を一周してしまった。イギリスに帰ってきたときには30万ポンドの利益をえていたと言います。これは、イギリスの当時の国庫収入と同額。エリザベス女王は出資金の4700%の配当金を得たそうです。
 余談ですが、このときのドレイクの航海はマゼラン艦隊についで世界で二番目の世界周航でした。

 はじめスペインのフェリペ2世は、エリザベスが海賊に特許状をあたえているとは思っていませんから、海賊の取締を要請しますが、エリザベス自身が海賊の総元締めだから、効果があるわけない。やがて、フェリペ2世もイギリスがしていることに気がつくわけだ。おまけに、イギリスはネーデルラントの独立を支援している。
 こうなると、スペインとしてはイギリスを放っておけません。

 ここで、スペインはイギリス征服作戦を開始した。スペインの誇る無敵艦隊が百三十隻、将兵二万三千人を乗せてイギリスに向けて出撃した。これが、1588年です。スペインは当時ヨーロッパ最強。一方イギリスはというと、まだまだ弱小国です。エリザベス女王が海賊にスペイン船を襲わせていたのも、もとはといえば、貿易でも戦争でも正面から立ち向かって勝ち目がないから。だから、ゲリラ戦をやっていたにすぎない。そもそも、イギリスには当時海軍すらなかったのです。
 このままでは、イギリスはスペインに占領されてしまう。このときに、イギリスの危機を救うために集結したイギリス海軍、もとは私掠特許状をもらった海賊たちでした。

 これが有名なアルマダの海戦です。ドーヴァー海峡にやって来たスペイン無敵艦隊の戦法は衝角戦法という。自分の船を相手の船にぶつけて沈没させる伝統的な戦法です。
 これに対してイギリス船は、射程距離の長い大砲を載せていて、これでスペイン艦隊を撃つ。イギリス船は小型の船が多いのですが、これが狭いドーヴァー海峡を動き回って無敵艦隊に攻撃を仕掛けた。無敵艦隊の方はというと、大きい船が多く、イギリス船に近づく前に大砲で撃たれてしまう。たまたま、嵐も重なって、操船がうまくいかず大敗北をしてしまいました。そのあとの海戦にも敗れ、逃げるように大ブリテン島のまわりをグルッと廻ってスペインに帰った。
 結局、艦隊の三分の一が失われた。フェリペ2世はイギリス征服を断念します。このあと、スペインはずるずると、世界史の主役の座から滑り落ちていきました。

 スペインに取って代わって、世界の海に乗り出していったのが、ネーデルラントとイギリス、ということになるのです。
 イギリスは1600年、東インド会社を設立してアジア貿易に乗り出していきました。

 エリザベス女王は足かけ46年間在位し、その間に国内の宗教問題を解決し、イギリスの国際的地位を向上させ、経済発展の基礎を固めたのでした。
 この肖像画(山川出版社、世界史写真集のパネル)は多分晩年のものだと思いますが、実に面白い構図です。エリザベスの左右に二枚の絵が飾られている。アルマダの海戦を描いたものです。左が開戦直前。向こうから無敵艦隊がやって来ています。手前に固まっている船隊がイギリス海軍。実体は海賊船。右が海戦の最中です。嵐の中で、沈んでいく無敵艦隊が描かれています。二枚の絵を後ろに掲げて「私が無敵艦隊をしずめたのです。」とエリザベス女王が自慢している声が聞こえてきそうです。そして、さらに注目が、彼女の右手。地球儀の上に置かれています。「七つの海は私のもの」と言っているようではありませんか。

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絶対主義
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 スペインのフェリペ2世やイギリスのエリザベス1世の時代は、それぞれの国で国王による中央集権化が完成する最後の段階でした。諸侯や貴族たちはすでにかつてのような力がなく、国王が比較的自由に国政をリードすることができました。この時代のことを、「絶対主義」といいます。国王が、貴族・封建諸侯の権力を制限し絶対的な権力を握ったことから、こういう呼び方をしています。
 フェリペ2世や、エリザベス1世以外にも、このような王様が何人かいます。エリザベス1世のあとを継いだジェームズ1世や、フランスのルイ14世が有名です。彼らの話は次回以降にします。とりあえず、今日は絶対主義という言葉を覚えてください。また、絶対主義の政治を絶対王政、絶対主義の王様を絶対君主とも言います。

 最後に絶対主義の一般的な特徴を三つ述べておきます。

一、「官僚制」と「常備軍」
 絶対君主が権力をふるうためには、王権を支える組織が必要です。それが、常備軍と官僚制です。
 官僚は、従来の貴族や封建領主に代わって国王の手足となって働く。
 常備軍は、いつもある軍隊です。それまでは、戦争の時にだけ傭兵を雇うのですが、平時にも常に軍隊を養っておいて、これで国内、国外ににらみを利かせる。

二、「重商主義」
 官僚も常備軍も常に雇っておかなければならない。王は彼らに給料を払わなければならないわけだ。これは、金がかかります。金を稼ぐために、絶対君主は積極的に海外貿易を推進します。各国が東インド会社を作るのはそのためです。海外貿易を行うことによって、国が豊かになるというのが当時の経済理論で、これを「重商主義」という。

三、「王権神授説」
 王は、俺が一番偉いのだ、と威張る。これに反発する者も当然います。かつては王と同格くらいに力を持っていた封建諸侯、そして、新しく力を伸ばしつつある新興市民階級です。国民の反発に対して、王が絶対に偉いのだ、ということを理論化したのが、王権神授説。簡単に言えば、王の権力は神から授けられたものである。王の言葉は神の言葉に等しい。王に逆らうことは、神に逆らうことと同じである。だから、国民は文句を言わずに王に従いなさい、ということになるわけです。

 ただ、国民もそうそう王権神授説をありがたがるわけではない。最初に国民が王の権力に対して異議を申し立てたのがエリザベス1世以後のイギリスでした。次回は、その話。

第62回 絶対主義 おわり

こんな話を授業でした

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