世界史講義録
  



第80回  フランス革命3

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国民公会
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 8月10日事件で、王権を停止すると同時に、新しい国会を開くことが決められました。立法議会は立憲君主制の1791年憲法にもとづいていたから、当然ですね。立憲君主制の憲法ではまずいわけです。新しい憲法を作るための議会が1792年9月に成立しました。
 これが、国民公会。この議会は男子普通選挙で選出された。普通選挙というのは、財産や納税額で選挙権を持つ人を制限しないということです。8月10日事件は下層市民の力で成功したし、対外戦争の危機を乗り切るためには、下層市民の力を結集しなければならなかったわけだね。



 国民公会は、さっそく王政の廃止と共和政樹立を宣言した。共和政というのは王や皇帝のいない政治制度です。これ以後のフランスの政治体制を第一共和政という。この言い方はしっかり覚えておいてください。ちなみに今のフランスは第五共和政です。

 このあと問題になったのは、ルイ16世の処遇です。王政がなくなったので王様はいらない。かれをどうしたらよいのか。やがて、裁判が始まります。王宮の隠し戸棚から、王が外国の使節と秘密にやりとりしていた文書がたくさん発見されて、王がフランス政府と国民を裏切っていた証拠はたくさんでてきた。
 結局、賛成387、反対360で死刑と決定した。ただし、賛成387のうち、26は条件付き賛成という内容で、それを除けば、361対360という微妙な評決でした。
 1793年1月21日、パリの革命広場で二万人の市民が見守るなかで王は処刑された。最後の言葉は、「私は無罪だ。私は敵を許そう」というような内容だったらしい。王にたくさんしゃべられて、市民が動揺してはまずいので最後の方の言葉は、兵士の鳴らす太鼓の音にかき消されてよく聞こえなかったらしい。

 ちなみに、処刑の方法はギロチンです。この処刑道具は、フランス革命のなかで発明されたものです。発明者はギヨタンという医者。革命がはじまって以来、反革命の容疑で多くの人が死刑になるようになった。それまでの死刑は、首切り役人が、斧で受刑者の首を切る。切られる方は、首切り台の上に首をのせてうつぶせになっているわけですが、実際問題として、首を切られるまでおとなしくじっとしているわけではない。まわりの刑吏が身体を押さえつけても、何とか逃げようとじたばたもがく。だから、ねらいを定めて斧を振り下ろしても、一撃で首をはねることはあまりなかったようで、肩を切られ、頭の一部を切られ、あちこちズタズタにされてようやく絶命したという。死ぬ方も苦しいですが、首切り役人も大変な重労働だったらしい。
 ギヨタンはそういう処刑方法を見て、受刑者にとって残酷だと思ったんだね。どうせ死ぬなら、一撃で苦しまずに死なせる方法はないか、ということでギロチンを発明した。理性にもとづいた人道的な発明だったわけだ。

 こののち10月には王妃マリー=アントワネットも死刑になっています。プリントには馬車に乗せられ処刑台に連れて行かれるマリー=アントワネットの絵がありますね。のちにナポレオンの肖像画を描くことになるダヴィッドという画家がいる。この人は国民公会の議員でもあったのですが、このダヴィッドがマリー=アントワネットが処刑台に連れて行かれると聞いて、通りに飛び出してその場でスケッチをしたものです。
 そう思って見ると、粗い絵ですが臨場感があるね。マリー=アントワネットは心労で髪が真っ白になっていたといいますが、この絵ではちょっとわからない。長い髪は短く切られています。ギロチンにかけるときに、髪が長いと邪魔だから切られてしまったのです。頭には、市民がつける帽子をかぶらされている。服はよくわかりませんが、質素なもののようです。後ろ手に縛られて馬車の台に座らされているのでしょう。
 このころは政治の変動が激しくて、彼女の処刑はあまり話題にものぼらなかったようです。

 国民公会がルイ16世を処刑したことは、諸外国にショックを与えた。これをきっかけに、反フランス、反革命のヨーロッパ諸国の軍事同盟がつくられた。これを第一回対仏大
同盟という。この同盟は1793年から97年までつづきます。
 参加国は、イギリス、ロシア、オーストリア、プロイセン、スペイン、オランダなど、ヨーロッパの主要国は参加している。どこの国の王家も、王を殺すという行為を見過ごすことができなかったわけだ。
 対仏大同盟の結成を呼びかけたのはイギリス。当時の首相はピットという。この名前は覚えておくこと。
 イギリスは、ピューリタン革命、名誉革命を経験していて、王を処刑したこともある。なのになぜ対仏大同盟の中心になったのか。実は、フランス軍はヴァルミーの戦いのあと優勢に転じて、国境を越えて進軍していた。1792年の11月にはベルギーを占領する。そして、ここで封建制を廃止した。難しい言い方をすれば革命の輸出という。簡単にいえば、フランスが領土を拡大して占領地域に自国の政治制度を押しつけていたのです。フランス軍は、次はオランダに進出するかもしれない。イギリスにとっては市場を奪われることになるわけです。特にオランダは、金融市場の中心だったので、ここをフランスに奪われたくはなかった。ようするに、経済的な利害関係からイギリスはフランスを警戒していたのです。

 対仏大同盟との戦争が国境線ではじまり、フランスの対外的危機は深まります。

 一方、国内でも経済危機が深まり、経済政策をめぐって政治的対立が激しくなっていた。
 政府は財政難のために紙幣をどんどん増刷したので、インフレがすすんだ。紙幣の価値が下がるのです。農家は、小麦を売っても紙幣の価値が下がれば損なので、売ろうとしない。商人たちも、売り惜しみをします。結局市場に小麦が出回らない。インフレによる物価高と食糧不足で、生活を直撃されるのが下層市民です。かれらの不満は政府の無策に向けられた。

 政権を担当していたのはジロンド派というグループでした。

 国民公会では、大きく分けてふたつの派閥があった。ジロンド派とジャコバン派。
 ジロンド派は、裕福な商工業者である上層・中層市民が支持している。政策は穏健。急速な改革はこのまない。現実主義的です。
 ジャコバン派は、職人、小商人など下層市民が支持している。急進的に革命の理念を実現しようとします。理想主義的です。指導者にはロベスピエール、マラー、ダントンという人気者がいる。

 話を戻すと、パリで商人達の買い占め、売り惜しみで食糧不足になると、下層市民は政府に対策を求めるでしょ。ジロンド派の大臣ロランはなんと言ったか。
「議会が食糧についてなしうる唯一のことは、議会は何もなすべきではないということ、あらゆる障害を取り除くことを宣言することであろう」
わかりますか?食糧不足に対して「何もなすべきではない」と言っているのです。
 なぜか?ジロンド派は自由が好きです。革命前は、貴族達に頭を押さえつけられて、自由はなかった。フランス革命で、自由になった。政府は自由を制限すべきではないと考えているのです。経済活動も自由です。買い占めや売り惜しみも自由。それで儲かる人には儲ける自由がある、と考えるのです。

 確かに理屈としては筋が通っている。でも、現実に飢えている下層市民はどうなるのか。自由の名のもとに、ジロンド派は市民を見殺しにしようとしているのだ、とジャコバン派は反論します。
 民衆に近い立場のエベールという政治家の発言。
「商人たちに祖国はないのだ。彼らは革命が自分たちに有利だと思われた間はそれを支持し、貴族と高等法院を破壊するためにサン=キュロット(下層市民)に手を貸した。しかし、それは自分たちが貴族にとって代わるためだった。」
言っていることは、わかりますね。
 次はロベスピエール。
「権利のうち第一のものは生存する権利である。だから社会の法は社会のすべての成員に生存の手段を確保する法であった。他のすべての法はそれに従属する。」
大商人の経済の自由よりも、下層市民の生きる権利の方が大事でしょ、と言っている。
 若さと美貌の「革命の大天使」、切れ味鋭いサン=ジュストは言う。
「金持ちも貧乏人もあってはならない。富裕は汚辱だ。」
「富裕は汚辱」ですよ。じつに過激です。
 次のマラーは過激でいいじゃん!と言い放つ。
「過激な手段によってしか自由をうちたてることはできない。諸国王の専制を打ち破る為には、一時的に自由の専制を組織しなければならない時がきたのだ。」
本当の自由を手に入れるためには、自由を制限しなければならないときがある、と言っているんですよ。ジロンド派では駄目だ、ということです。
 ここで、「諸国王の専制」と言っているのは、対仏大同盟のことで、対外的な戦争の危機も迫っているのに、経済問題でジロンド派と悠長に議論なんかしている時ではないという気持があります。強力な権力を打ち立てて、機敏に危機に対処していかなければいけない、とジャコバン派は考える。パリの民衆も、その考えを支持します。

 1793年6月、ついにジャコバン派は、実力で議会からジロンド派を追放し独裁政治を開始した。いよいよ、フランス革命のクライマックス、ジャコバン独裁のはじまりです。


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あのギロチンを使ってルイ16世の処刑を執行したパリの処刑人サンソンの伝記です。革命によって、身分差別が消えていくことを喜ぶ反面、敬愛する国王を処刑しなければならなかったサンソン。読み物としても、充分楽しめました。

第80回 フランス革命3 おわり

こんな話を授業でした

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