世界史講義録
  


第95回  露土戦争その他

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ヨーロッパ諸国
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 主要国以外の19世紀後半の様子を簡単に確認しておきます。
 オランダ・ベルギー。ここは、ヨーロッパでも先進地域。立憲君主国として工業が発展します。
 スペイン・ポルトガル。商工業ブルジョアジーが弱く、大地主による政治支配がつづいている。
 スウェーデン。19世紀はじめに憲法を制定し、責任内閣制度が確立。
 ノルウェー。ウィーン会議後スウェーデン領になっている。1905年に国民投票で独立します。
 デンマーク。1864年、デンマーク戦争でシュレスヴィヒ・ホルシュタイン地方をドイツにとられてから農業牧畜による経済建設をすすめる。
 フィンランド。1809年以降ロシアの支配下。1917年に独立。
 スイス。1848年に民主的連邦制憲法を制定。


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露土戦争
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 オスマン帝国の弱体化については、以前にも触れました。ヨーロッパで起きていた政治や経済の変化を取り入れることが出来なかったのが衰退の大きな原因です。
 オスマン帝国のヨーロッパ部分の領土がバルカン半島。オスマン帝国の弱体化にあわせて、このバルカン半島でスラブ人による民族運動が活発化していきます。これを、パン=スラブ主義という。スラブ人の大国であるロシアが、このパン=スラブ主義の運動を後押ししていた。オスマン帝国内のスラブ人の独立運動を支援するのですね。これは、南下政策です。ロシアの友好国ないしは同盟国をつくることによって、南方に勢力を拡大しようということです。

 具体的に、1875年には、ボスニア・ヘルツェゴヴィナでオスマン帝国の支配に対して反乱が起こり、ブルガリアでも独立運動が起こります。
 当然、これはオスマン帝国によって、弾圧されましたが、バックにいるロシアとオスマン帝国の対立は、また激しくなった。

 こういう流れの中で、またもやロシアとオスマン帝国の戦争がおこります。
 1877年から78年までの露土戦争です。オスマン帝国内のスラブ人救済を名目にロシアが宣戦してはじまった。戦争が長引いて、クリミア戦争の時のようにイギリスやフランスが介入してこないように、ロシアは戦いを有利に進めると、急いで休戦条約を結んだ。休戦条約をサン=ステファノ条約という。
 この条約でロシアは大ブルガリア国の独立をオスマン帝国に認めさせました。これは、ロシアの南下政策にとっては、画期的な成果でした。なぜか。大ブルガリア国の領土を確認して欲しいのですが、現在のブルガリアよりもかなり大きい。そして一番のポイントは、どこを領土に含んでいるかなんです。大ブルガリア国は、黒海海岸を領土に持つと同時に、地中海岸にも領土あるのです。これは、どういうことかというと、大ブルガリアの地中海岸の港にロシアの軍艦を浮かべれば、ボスフォラス海峡とダーダネルス海峡を通過しなくても、地中海で軍事行動がとれる。クリミア戦争後、両海峡は軍艦の通航が禁止されているから、ロシアにとってこれは画期的だった。大ブルガリアはロシアのおかげで独立できたわけだから、完全なロシアの同盟国です。ロシアの要求を断るはずがないので、ブルガリアの港がロシアの軍港として利用されるのは確実だったのです。

 この条約の中味を知って、文句をつけてきたのがイギリスとオーストリアです。
 イギリスは、東地中海地域を勢力圏にしたいので、ロシアの南下政策を止めたい。オーストリアは、バルカン半島に領土的野心を持っていたので、大ブルガリア国の成立によってロシアの勢力が拡大するのを防ぎたかったのです。
 両国は、サン=ステファノ条約に反対してロシアと対立しました。いよいよ、ロシアとイギリス・オーストリア連合の戦争がはじまるか、というくらいに緊張が高まりました。

 開戦前夜の状況になって登場してきたのがドイツです。ドイツの宰相ビスマルクが、この対立の仲裁を買ってでます。
 じつは、当時ビスマルクは、海外に植民地を持とうとか、ドイツの勢力圏を拡大しようということは、全然考えていなかった。ビスマルクにとっては、ドイツの内政整備が最重要課題でした。ドイツ帝国成立以来まだ日が浅い。建国以来10年もたっていません。国内問題に専念したい。専念するためには、平和が欲しかったのです。ドイツが戦争をしなくても、国境を接する他国が戦争を始めれば、当然その影響がドイツにも及びます。国内政治に専念するための条件として、ビスマルクは「ヨーロッパの安定」を何よりも望んでいまいした。ロシアもオーストリアもドイツの隣国ですから、この両国が戦火を交えるのは絶対に阻止したかった。

 ビスマルクは「誠実な仲介者」として、戦争回避のための会議を呼びかけた。各国にとっても、戦争をせずに問題を解決できるのなら、それにこしたことはない。ビスマルクに領土的野心がないことは、みんな知っているから、呼びかけに応じて会議が開かれます。1878年のベルリン会議です。
 会議の結果むすばれたのがベルリン条約。中味は以下のとおり。

 ブルガリアは領土を縮小して、オスマン帝国内の自治国とする。地図で確認すると、大ブルガリア国との違いがすぐわかる。ようするに、地中海岸の領土を削った。ロシアの南下政策が阻止されたわけです。しかし、それだけでは、ロシアは損するだけ。面目丸つぶれ。これでは、「誠実な仲介者」にならないので、ブルガリア以外にも、スラブ人の国家の独立を承認した。新たに独立を認められたのが、セルビアとモンテネグロ。スラブ系ではありませんが、ルーマニアも独立を承認された。
 スラブ系国家ばかりが独立すると、ますますバルカン半島にロシアの影響力が大きくなる。これでは、オーストリアが不満を持つので、オーストリアと国境を接するオスマン帝国の二つの地域ボスニア・ヘルツェゴヴィナの統治権をオーストリアにあたえた。
 そして、イギリスはキプロス島を獲得。キプロス島は、シリア・パレスティナ・エジプト方面ににらみをきかせる絶好の場所にありますね。

 以上が、ベルリン条約の中味です。オスマン帝国は、自分の領土を勝手にとられたり独立させられたりしているのですが、この会議には呼んでももらえなかった。もう、やられっぱなしで文句も言えない弱体ぶりです。


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結構広い時代をカバーしていますが、ウィーン体制以後のヨーロッパ全体の流れをつかむには適している。


第95回 露土戦争その他 おわり

こんな話を授業でした

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