こんな話を授業でした

   第15回  帝政の成立(ローマつづき)  

1帝政の開始

  カエサルを暗殺したブルートゥスとその仲間達は当然ローマ政界の主導権を握ろうとしました。
カエサルの独裁を面白く思ってなかった元老院の貴族達はそれでよいのですが、問題はカエサルの兵士達だったんです。

アントニウスという男がいます。彼はカエサルの右腕、有能な将軍でした。この男、兵士達に人望がかなりあった。彼が平民達の前でブルートゥスに対する弾劾演説というのをやって、平民達は反ブルートゥスになったといわれています。

現実問題として、金の問題があったと思われるんです。
カエサルにはガリア遠征以来多くの兵士がいた。さらにポンペイウスを破ったあと彼の兵士のかなりの数をそのまま自分の軍隊に受け入れたらしい。
正確ではないけど万単位の兵士を持っていたと思います。
前回にも話しましたが、この兵士はローマ兵でありながら実際にはカエサルの私兵ですね。

要は、誰が彼らに給料を払うのか、ということです。兵士にとってはこうです、「ブルートゥスさん、カエサル将軍を殺したのはいいけど、あんた、わしらに給料を払ってくれるんだろうな。」
ブルートゥスはカエサルみたいな富豪じゃないから払えない。
給料を払ってくれない、そんな人物を兵士は支持しない、兵士はイコール平民です。彼らの支持を得ることが出来なくてブルートゥス一派はローマから逃亡しました。

誰が兵士の給料を払って彼らの支持を得たかというと、オクタヴィアヌスでした。正式な子供がいなかったカエサルは、いまわの際に養子を指名して財産を相続させたんですが、それがオクタヴィアヌスです。カエサルの姪の息子というからほとんど他人みたいなもんですな。でも一族の中では優秀でカエサルは可愛がっていたようです。

オクタヴィアヌスはこの時19歳ですから政治的にも軍事的にも実績なんかないんですが、カエサルの財産がある。これで給料を払う。兵士はただそれだけで彼を支持することになったわけだ。こんなふうにしてあっという間にオクタヴィアヌスはローマ政界の実力者になったのです。

 前43年からはオクタヴィアヌスとアントニウス、レピドゥスの三人が第二回三頭政治をはじめました。レピドゥスもアントニウスと同じくカエサルの武将だった男。ただ、政治的な力量であとの二人より大分劣りのちに失脚しました。オクタヴィアヌスとアントニウスの関係が焦点になってきます。
東方に逃げていたブルートゥス達を倒したあと、ローマ領の東をアントニウス、西をオクタヴィアヌスという分担が出来ます。

東方におもむいたアントニウスが出会ったのがクレオパトラ。アントニウスは40歳、クレオパトラは28歳。
クレオパトラは贅のかぎりを尽くしてアントニウスを歓待し、彼の心を虜にした。カエサルに代わるローマの実力者をパトロンにしたわけ。
クレオパトラにとってこの行動は政治的打算から始まったのでしょうが、実際にこの二人はかなり強い精神的な結びつきもできたみたいですね。
正式に二人は結婚し、クレオパトラは彼の子を三人産んでいる。アントニウスはローマ領をクレオパトラに譲ったりしています。アントニウスは独断でこんな事をするのでローマ政界での評判はどんどん悪くなる。

オクタヴィアヌスは政略結婚で自分の姉をアントニウスの妻にさせるんですけどね、アントニウスはクレオパトラと出会ったあと。形だけの結婚で姉さんには見向きもしない。

当然の成り行きとして、オクタヴィアヌスとアントニウスは決裂。
前31年、アクティウムの海戦でアントニウス・クレオパトラ連合軍はオクタヴィアヌスに敗れて二人は自殺した。伝説ではクレオパトラは毒蛇に乳房を咬ませて自殺したとか。

これでエジプトはローマの属州となり、オクタヴィアヌスはローマ随一の実力者として政権を掌握した。

 前27年、オクタヴィアヌスは事実上の帝政を開始しました。
「事実上」というのは名目上は帝政ではない、ということだね。
オクタヴィアヌスは「事実上」皇帝になったわけ。

しかし、考えてみて下さい。
このわずか20年前、彼の養父カエサルは王になろうして殺された。
なぜ、オクタヴィアヌスはすんなり皇帝になれたのか。
カエサル死後の混乱から元老院貴族達も学んだんだと思うよ。
巨大な領土を持つこのローマを平和に維持するためには今までみたいな元老院を中心とする合議制では限界にきていることを。カエサルが試みた道しかないということをね。

アウグストゥス像

一方、オクタヴィアヌスもカエサルの二の舞にならないように馬鹿丁寧に元老院を尊重し共和政を守るポーズをとり続ける。
彼しか政権を担当できる者がいないのに、ということは彼しか兵士に給料を払えないということなんですが、何度も政権を元老院に返上する儀式を繰り返したりしてね。
そのたびに元老院は、あなたにお願いします、あなたしかいませんってオクタヴィアヌスに頼むわけだ。

元老院は彼にアウグストゥスという称号を捧げた。これは「尊厳なる者」という意味。
これに対してオクタヴィアヌスは謙遜して、いえいえ私はただのプリンケプスです、と言う。これは「第一の市民」という意味です。序列一位のローマ市民にすぎませんということ。

だから、事実上の帝政というわけ。
オクタヴィアヌスが死んだときの正式の肩書きです。
「最高司令官・カエサル・神の子・アウグストゥス・大神祇官長(ポンティフェクス・マクシムス)・統領13回・最高司令官の歓呼20回・護民官職権行使37年目・国父(パテル・パトリアエ)」
皇帝という言葉がない。そもそも、皇帝というものがそれまでなかったんだから言葉自体が存在しないのですよ。
この後、カエサルという言葉が皇帝という意味で使われるようになりました。
ドイツ語のカイザー、ロシア語のツァーリ、両方皇帝という意味ですが語源はカエサルです。

 初代皇帝としてオクタヴィアヌスは大過なくローマを治め70を越えて大往生。
ただ、子供には恵まれなかった。女の子は産まれたんですが、男子はいなかった。
系図を見て下さい。かなり複雑。
ローマ人は一夫一婦制なんですが、みんなたくさん妻や夫がいるでしょ。
彼らは盛んに結婚離婚を繰り返すのね。性的にはかなり乱れているんですよ。結婚していても夫婦関係以外の性的関係を男も女も当たり前のように持っている。
セネカという哲学者がいますが、彼は言っている。「妻の浮気相手が二人だったらその妻は貞淑だ、夫は幸せ者だ」とね。
その割にはというか、その為なのか分かりませんが、当時の貴族の家では子供が少ないです。名門貴族の家系で跡継ぎがなくて途絶えるのが結構あるのです。

オクタヴィアヌスの三度目のそして最後の妻がリヴィア。リヴィアには夫がいてしかもお腹も大きいというのにオクタヴィアヌスはみそめてしまった。そして夫と別れさせて結婚したんです。しかし、結局彼女はオクタヴィアヌスの子供を産むことはなかった。
オクタヴィアヌスはそのリヴィアの連れ子を養子にして、その子が二代目の皇帝になった。
ティベリウスといいます。即位したときはもう50代。どちらかというと日影の人生を送った。陰気な人という評判です。別荘に引きこもって政治は側近に任せきり。

 彼も息子がいなくて死後跡を継いだのが、彼の甥の息子とオクタヴィアヌスの孫娘の間に生まれたカリグラ。
この人は精神的にどうもおかしかったといわれる。
私の大学時代、アメリカの男性雑誌ペントハウスの社長が「カリグラ」という映画を作った。カリグラの人生を忠実に描いたらしい。出来上がった作品は18禁。私は見に行かなかったんですが、いった友人によると全編ぼかしだらけで何がなんだか分からなかったらしい。
まあ、そんな皇帝です。

ちょっとだけいうと、自分の妹たちと肉体関係結びさらに売春もさせる。馬をコンスル(執政官)にしようともしました。
ある時、有名な騎士階級の者の息子がきれいな髪をしているという理由で死刑にした。そして、その日にその父親を宴会に招待して何回も乾杯させるのね。父親は宴会が終わるまで悲しいそぶりや怒りの感情を見せずにカリグラに付き合った。なぜかというと、彼にはもう一人息子がいたというんだ。ちょっとでもカリグラに批判的な素振りをみせたらもう一人の息子が処刑されるかもしれないと考えたんだ。
良家の子女を集めて売春宿を作って、市民に買わせる。滅茶苦茶ですわ。
自分の娘を売春婦にさせられた貴族達の怒りはいかばかりか。

カリグラ帝は、正真正銘のサディストだったんだろうね。自分の目の前の誰かに屈辱を与えることが楽しくて楽しくてしょうがなかったんだと思います。
彼を精神異常だと書いてある本がほとんどなんですが、ローマ帝国皇帝なんて、とんでもない権力なわけです。それををたかだか25歳の平凡な若者が手に入れてしまったらどうなるか。その実例がカリグラです。権力の大きさに自分自身が押しつぶされてたんじゃないかな。弱い者いじめでしか自分の力を確かめることができなかった心の小さな男だったんだろう。
自分の周りのあらゆる人に滅茶苦茶するものですから最後には親衛隊に殺されてしまった。
即位わずか4年。


カリグラ

カリグラは自分の地位が狙われるのを恐れて一族の男はほとんど殺していた。
残っていたのは叔父クラウディウスのみ。
なぜクラウディウスが殺されなかったかというとちょっと頭が弱かった。カリグラはこんな馬鹿に帝位をねらえるはずがないと思って、殺さずにいじめて楽しんでいた。

ところが、クラウディウス、即位すると急に頭が良くなる。実に理路整然と話をしてみんなを驚かせた。実はカリグラに殺されないように馬鹿のふりをしていたというんだ。
でも、こういう面白い話は大抵ウソですから真に受けないようにね。

クラウディウスは女運が悪かった。4人の女性と結婚しましたが公然と浮気をする妻がいたり、最後の妻には毒殺されてしまう。
この最後の妻がオクタヴィアヌスの曾孫でカリグラの妹の一人。
彼女も離婚経験があって連れ子がいた。この連れ子を早く帝位につけるためにクラウディウスを殺してしまうのね。

 連れ子がネロです。
暴君で有名ですが、多分普通の男の子だったと思うよ。即位したのが17歳。みんなと同じ年齢だ。若いときはセネカという有名な哲学者や優秀な親衛隊長が補佐して評判よかったんですが、大きくなるにつれてわがままになった。
まずは口うるさい母親を殺してしまう。
離婚した妻に世間の同情が集まるとこれも殺してしまう。
補佐してくれたセネカ達も追い払われてわがまましほうだいになった、というけれど、カリグラに比べれば可愛いもんです。

盛んに詩を作ってコンクールに出たり、競馬やオリンピックに出場したりする。
他の出場者は皇帝に勝つわけにはいかないから、ネロは必ず優勝するのです。で、自分のことを天才だと思いこんでしまう、他愛ない人です。
これも最後は地方の総督が反乱を起こし親衛隊に見捨てられて自殺するのですが、最後の言葉。「おお、私の死によって、何と惜しい芸術家がこの世から消えてしまう事よ。」
皇帝という地位を離れても、自分自身に価値があることを信じたかったんでしょう。ネロという人は必死であがいていたようです。

2五賢帝時代

 ネロの死でオクタヴィアヌス、ティベリウスの血統、これをユリウス=クラウディウス家というんですが、は途絶えます。
このあと短い内乱のあとフラウィウス朝が成立しますが、これも最後の皇帝が暗殺されて断絶します。
その後始まるのが五賢帝時代(96~180)です。

フラヴィウス朝が途絶えたあと帝位を継ぐ者がいない。
そこで、元老院で話し合い、自分たちの中から皇帝を選ぶことにしたんです。
一番温厚で良識ある人物が皇帝に選ばれた。
これがネルヴァ(位96~98)です。即位したとき66歳ですからもうお爺さんだね。枯れてるわけ。カリグラみたいになるおそれは絶対ない。
ネルヴァは財政難と政治的混乱を収拾して黄金時代の基礎を作った。
ネルヴァは子供がいなかったんです。そこで養子を迎えて帝位を譲ることにした。

元老院議員の中から優秀で人望があって良識的で軍隊からも支持される人物を養子にした。これがトラヤヌス(位98~117)です。
彼の時代にローマ帝国は領土が最大になった。トラヤヌスの凱旋門というのが現在も残っています。写真あるね。ローマでは将軍や皇帝が戦争で大勝利を収めて帰ってくるときに凱旋式という盛大な儀式をする。その時に帰還した指揮官がくぐるのがこの凱旋門。
パリの凱旋門はナポレオン時代にこれを真似たのです。

トラヤヌスも子供がいなかった。そこでまた元老院議員から養子です。
これがハドリアヌス(位117~138)。
優秀な人物を養子にしているんだからこれも立派な皇帝になる。
ハドリアヌスも子供がいない。また養子です。
アントニヌス=ピウス(位138~161)がそれ。
で、もう想像つきますね。アントニヌス=ピウスも子供がいない。また養子です。

5人目がマルクス=アウレリウス=アントニヌス(位161~180)。
この人は皇帝としても優秀だったけど、さらに哲学者として有名。哲人皇帝と呼ばれています。「自省録」という本を書いている。彼は辺境地帯の戦場で生活しながら夜は自分の天幕でロウソクの明かりで哲学書を書いたんですよ。
日本でも出版されている。学校の図書室にもあるし、私も持っています。2000年前のローマの皇帝の書いた哲学書ですよ。
例えば日本の総理大臣の小渕さんが哲学書を書いてそれを今から2000年後の西暦4000年のイタリアの人が読むと思いますか。小渕さんがダメだというわけではなくて、それくらいマルクス=アウレリウス=アントニヌスはすごいじゃないか、ということです。

彼は立派な人物でしたが一つだけ欠点があった。本当は欠点ではないんですが。何かというと、彼には子供がいたの。ここまで優秀な皇帝が続いたのは養子でそういう人物にあとを継がせたからですよね。しかし、実子がいればその子を跡継ぎにしたいと思うのは哲人皇帝でも同じ。というわけで五人続いた優秀な皇帝は途絶え五賢帝時代は終わります。

五賢帝時代はローマ帝国の最盛期とされています。パックス=ロマーナ、「ローマの平和」と言われる時代です。

 ちょっと話はそれますが、五人の皇帝中最後のマルクス=アウレリウス=アントニヌス以外はみんな子供がなかったというのはどう考えたらいいのか。
もう、これは偶然とは呼べない。全般的に出生率が低下している。当時のローマ貴族は性的関係は滅茶苦茶だといいましたがそれと関係があるようなんです。次回の話に関係してきますから、ちょっと頭の隅に入れておいてください。

五賢帝以後の皇帝についてはごちゃごちゃしているので省略。
一人だけ覚えておくのがカラカラ帝(位188~217)。カラカラ帝は212年、ローマ領内のすべての自由民にローマ市民権を与えました。相続税を支払うのはローマ市民だけだったので、ローマ市民を増やすことで増収を狙ったとされています。
理由はともかく、これでローマ人と属州人との区別はなくなってしまった。名目的だけでも残っていた都市国家的な形式が消えて、ローマは普通の領域国家になった。それに応じて支配形式も変わっていくのですがそれはまたあとの話。

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ローマの歴史 (中公文庫 D 22) モンタネッリ著。コンパクトでありながら読み物として面白い。授業で使えるエピソードもたくさん。授業で使えないエピソードもたくさん。ローマの皇帝達は変態が多い?
古代ローマ帝国―その支配の実像 (岩波新書) 吉村忠典著。
コンスルが同時に2名いたり、別個に強大な権力を持つ護民官が存在したり、我々日本人とは権力や支配の概念が違うのではないかと感じていたが、この本で胸のつかえがとれた。とくに、「命令権」という考え方は目から鱗ものでした。

第15回 帝政の成立(ローマつづき) おわり

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