世界史講義録
  

第56回  アメリカの征服とヨーロッパの変容

----------------------
古代アメリカ文明の展開
----------------------
 コロンブスの到達以来ヨーロッパ人が続々とアメリカ大陸にやってくることになるのですが、アメリカ大陸にはどんな人々がどんな暮らしをしていたのか。それを、見ておきましょう。
 インディオとかインディアンという言い方は抵抗があるのですが、ほかに便利な呼び方がないので、教科書にしたがってスペインが支配した地域の先住民のことをインディオ、イギリス・フランスが支配することになる北アメリカの先住民をインディアンと呼ぶことで授業は進めていきます。

 アメリカ大陸の先住民は約2万年前アジアからやって来た。われわれと同じモンゴロイドです。シベリアとアラスカの間、ベーリング海峡が氷におおわれてつながっていて歩いて渡れたのです。かれらはやがて南北アメリカ大陸と周辺の島に広がっていった。中でも中央アメリカのメキシコ高原と南アメリカのアンデス高地に高度な文明が発展します。


 メキシコ高原から見ていこう。ここには前6000年頃には農耕文化が成立する。主な農作物はトウモロコシです。アメリカ大陸には小麦とか米とかの穀物はないのね。ちなみに家畜の種類も少ない。あとで見るアンデス高原にはアルパカとかリャマというらくだに似た大型の家畜がいますが、メキシコ高原にはいなかった。
 メキシコ湾岸地域に最初に現れる文化がオルメカ文化。前9世紀頃のことです。
 オルメカ文化がもとになって前2世紀頃からメキシコ高原で発展したのがテオティワカン文明。これは「太陽のピラミッド」なんていう遺跡が有名だね。資料集にも写真があります。
 メキシコ湾につきだしているユカタン半島というのがある。ここで生まれたのがマヤ文明(3世紀~10世紀)。聞いたことあるでしょ。これもオルメカ文化の影響で成立したものです。ここもピラミッドや石造りの神殿など巨大な遺跡が残されています。複雑なかたちをした絵文字も有名です。マヤ文明は10世紀を境にして衰退していて、スペイン人がここにやってきたときには、マヤ人たちは巨大な建造物を造るような力を持っていなかった。だから、古代エジプト人がここにわたって文明をつくったんだとか、アトランティス大陸が昔あって、かれらが残した遺跡だ、とか言われたこともあった。全然科学的根拠はないんですけどね。

 メキシコ高原ではテオティワカン文明のあとトルテカ文明が引き続いて栄えます。いろいろな民族が興亡を繰り返すのですが、スペイン人が来たときに栄えていたのがアステカ帝国です。首都はテノチティトラン。人口20万を超えていた大都市でした。当時の世界で最大級です。アステカ帝国の繁栄ぶりをしめしているね。テノチティトランは湖のなかに浮かぶ中之島にあった。島に渡るための堰堤が三本つくられていて歩いて渡っていけた。はじめてここを見たスペイン人たちはその壮麗さに驚いたという。
 現在では、湖はなくなってしまって、そこにメキシコシティがあります。
 アステカ帝国はスペイン人によって滅ぼされ、テノチティトランも破壊されたのです。

 アンデス高原にはメキシコとは無関係に独自に文化が発展します。
 前10世紀に生まれるのがチャビン文化。
 7世紀にアンデス高原一帯に都市を建設をしたのがティアワナコ文明。トウモロコシ、ジャガイモ栽培、家畜ではアルパカやリャマを飼育します。
 この文化をうけて15世紀に成立したのがインカ帝国です。首都クスコを中心にして道路網を整備し中央集権的な国家を建設していました。クスコの町に今も残っている石積みの壁は全然隙間がなくてカミソリの刃一枚通らないという。そういう高度な石造建築が残されています。このインカは文字を知りませんでした。ただし、文字の代わりにキープと呼ばれる記録方法をとっていた。キープは「結縄」と訳されています。縄を結んでコマをつくり、その結び目の形や数で数字をあらわした。税の徴収を記録するために使われたようです。

 メキシコ高原のマヤ、アステカ、アンデスのインカに共通して言えることですが、基本的にこれらの文明は孤立している。だから、高度な石造建築術や複雑な暦法をあみだしている割には旧大陸で当たり前のものを知らなかったりします。
 金属器に関して言うと、金、銀、青銅は利用していますが鉄器を知らない。面白いのは車輪を知らなかったことです。コロみたいに上に何かを載せて転がすことも知らなかったらしい。ピラミッドなどをつくるための巨大な石材をどうやって運んだのか、と思いますね。「ろくろ」も知らなかった。回転するという技術を利用しなかったのですね。

 動物では馬がいなかったので当然ですが騎馬を知らない。だから、マヤ人たちはスペイン人が騎馬でやってきたときにそれを一つの動物だと思ったといいます。
 鉄器も持たず馬に乗ることもないアメリカ先住民たちがスペイン人がやってきたときに簡単に征服されてしまったのはある意味では当然かもしれない。

 アメリカ大陸原産の農作物です。トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、トマト、唐辛子、この辺が有名どころ。トウモロコシやジャガイモは旧大陸にもたらされて、あっという間に世界中に広がった。特にジャガイモは寒くてやせた土地でも収穫できたので、世界中でどれだけ多くの人を飢餓から救ったかわからない。唐辛子がアメリカ原産というのは知ってましたか。コロンブスがアメリカに行ったのが1492年でしょ。その百年後、日本が朝鮮半島に攻め込みます。戦国時代を統一した豊臣秀吉の朝鮮出兵です。このときに日本軍が朝鮮にもたらしたのが唐辛子だという。百年間で唐辛子はグルッと地球を一周したのですね。その伝わるスピードの速さ、面白いですね。韓国・朝鮮料理に欠かせないキムチですが、ある意味ではコロンブスのおかげかもしれない。
 脱線しますが、梅毒という性病があります。これもアメリカにしかなかったんですがコロンブスが早速ヨーロッパにもって帰る。日本ではじめて梅毒の記録が現れるのがいつかというと、驚くなかれ1512年。梅毒は地球一周にわずか20年。うーん。人間というのはすごい動物ですね、という話でした。

------------------
アステカ帝国の征服
------------------
 コロンブス以来スペイン人がアメリカで植民地経営をはじめるのですが、はじめはキューバ島やその東のイスパニョーラ島が中心でアステカ帝国やインカ帝国には気づいていなかった。
 ところがインディオの奴隷狩りに出かけた船がたまたまユカタン半島に漂着して、初めてスペイン人はマヤ人に接触したんだ。マヤ文明は衰えたといっても、マヤ人たちはそれまでスペイン人が知っていたインディオたちとは全然違って高い文明を持っていた。そしてマヤ人たちの情報からアステカ帝国の存在を知ります。
 このアステカ帝国の征服に出かけたのがコルテス。成功すれば莫大な財宝と地位と名誉が手に入る。コルテスはかなり強引で野心的な人で、キューバ総督の制止命令を無視して遠征に出かけた。兵力は約500、馬16頭、銃50丁。武力としては少ない。何しろ目指すアステカ帝国の首都テノチティトランの人口は20万以上ですよ。ひとつの国を滅ぼすのに500の兵力はやっぱり少ないでしょう。ところがコルテスは成功してしまう。
 実はコルテスはアステカ帝国の首都に攻め込む前に周辺の民族から細かく情報収集をしている。アステカ帝国は、新興のアステカ族が建設したばかりの国でした。アステカ族は武力は強いが支配の仕方が乱暴だったので支配下に入った多くの民族から反感をかっていた。

 アステカ族がどういう具合に反感をかっていたかというと、たとえば宗教儀式です。アステカ族は太陽神を信仰しているのですが、この太陽神の活力が衰えるのを防ぐために生贄をささげる儀式を毎日のようにしていた。生贄は生きた人間です。これを祭壇の上に寝かせて王が黒曜石のナイフでその胸を切り裂く。ドックンドックンとまだ脈打っている心臓をつかみ出してそれを祭壇の後ろにある太陽神の像にバシッと投げつけるのです。石造に真っ赤な血がべっとりとつく。その生き血が太陽神に活力を与えると信じられていた。そのあと生贄は首を切り落とされて、その首は物干し竿みたいな棒に串刺しにされてさらされた。胴体は祭壇の下の溝に落とされる。そこにはジャガーが飼ってあって、その餌になったというんだね。なんともおどろおどろしい話ですが、生贄にされたのがアステカ族に支配された他民族の捕虜。
 プリントにあるのはその太陽神の像です。太陽神は舌をベーッと突き出していますが、この舌の上にのせているのが黒曜石のナイフ。生贄の心臓を取り出すナイフです。こういう絵柄で、太陽神が生きた心臓を要求している様子を現しているのです。
 アステカ族以外の民族にとっては、この太陽神を信仰しているわけではないですから、儀式は異常に残酷で理解しがたい。しかも自分たちが生贄にされるのですから、アステカ族は当然のように反感を買うわけだ。

 そこへ、スペイン人のコルテスがアステカを征服するためにやってくる。他民族はすすんで協力を買って出るんだね。こんなふうにしてアステカ族以外のメキシコ高原の民族を従えて進撃してくるコルテスを見て、アステカの王は反撃するのをあきらめてしまいます。コルテスに黄金を贈ってお引取りを願うんですが、黄金を見てコルテスはますますやる気満々。テノチティトランに入り無抵抗のアステカ王を捕らえて自分の傀儡にしてしまった。

 その後、王の弱腰ぶりに怒ったアステカの人々がコルテスが不在の隙をついてスペイン軍に反乱をおこします。このときに捕まえられたスペイン人の捕虜が例の太陽神の生贄にされたりする。コルテス側はこの反乱を鎮圧するために結構苦労して、この過程でテノチティトランの街は徹底的に破壊されてしまった。最終的にはスペイン側が勝利してアステカ帝国は滅亡します。1521年のことでした。

----------------
インカ帝国の征服
----------------
 インカ帝国を滅ぼしたのがピサロ。1533年のことです。ピサロははじめて太平洋に到達したバルボアの副官をやっていた男。バルボアは黄金を求めてたまたまパナマ地峡を横断したんでしたね。その部下だったピサロも当然、アメリカのどこかに黄金郷はないかとずっと探索をつづけていた。そんなときにコルテスがアステカ帝国を発見し滅ぼし、莫大な財宝を手に入れたと聞く。俺も第二のアステカを見つけるんだと躍起になります。南アメリカの太平洋岸を探索しているうちにインディオから、ペルーの山の上に大帝国があるという情報を得るんだ。これがインカ帝国。ただ、探検をおこなうにも軍資金が必要なので資金提供者を集めたりするのにかなり苦労します。その後7年間くらいかけてピサロはインカ帝国の政治情勢とか情報収集します。

 ちょうどそのころインカ帝国では前の王が死んで、腹違いの二人の息子の間で王位継承戦争が起こっていたんです。兄のアタワルパが勝利して即位式の準備をしようか、というときにピサロ一行はインカ帝国征服をめざしてアンデス山脈を登りはじめます。ピサロの兵力はコルテスよりもさらに少ない。兵180、馬27、銃の数は不明。インカの人口は一千万ともいわれていますから、無謀とも言える。
 インカ帝国は今のエクアドルからチリの中程までアンデス山脈の太平洋岸につながる長い国です。首都のクスコを中心にして道路網が発展していて、かなり中央集権的な政治機構ができあがっていました。このあたりが部族連合国家的だったアステカ帝国と違うところです。ピサロはコルテスのようにインカに反発する他の民族を味方につけるということもできなかったのです。
 で、新しい王アタワルパは、ピサロたち白人の一行が武器を持って山を登ってくるという情報をちゃんとつかんでいました。200人にも満たないと聞いてアタワルパは完全に見くびっています。しかも兄弟を倒した戦争の直後で、かれは3万の兵士を率いているのです。悠々とピサロ一行がやってくるのをカハマルカという湯泉の都市で待ちかまえていた。やがてピサロは使者をアタワルパに遣わして会見を申し込みます。アタワルパは話を聞いてからゆっくり捕まえて奴隷にしてやろうと、会見を承諾しました。場所はカハマルカの広場と決定した。

 兵力で段違いに劣るピサロの作戦は奇襲によってアタワルパ王を生け捕りにしてインカ軍の動きを封じることだった。事前に部下を広場の周りにこっそり配置します。スペイン兵の中には圧倒的な敵軍の数におびえてオシッコを漏らすものもいたという。ぎりぎりのバクチみたいな作戦だったんです。
 会見の当日になって、インカ軍3万は町の広場に入場してきます。そこにピサロは側近と宣教師をつれて近づきます。スペイン人はいつも宣教師を連れているのです。
 アタワルパは護衛の兵の担ぐ輿に乗ってやってきます。ピサロとアタワルパが挨拶を交わしたあと、宣教師がアタワルパに聖書を渡す。アタワルパは聖書を手にとってペラペラとページをめくるのですが、そもそもインカには文字がありません。当然本だってない。聖書を見せられたってそれが何かわかるわけがないです。そこで、アタワルパは聖書をポーンと放り投げた。そのとたん宣教師が「神に対する冒涜だ!」と大声で叫んだ。
 これが合図で、ピサロは輿に飛びかかってアタワルパを引きずりおろして連れ去ろうとした。同時に隠れていたスペイン兵が一斉に広場に結集しているインカ軍に対して銃弾や矢を打ち込んだ。

 インカは鉄砲なんて知りませんから、いきなり轟音がしたと思ったら味方がばたばたと倒れていくから、とたんにパニック状態になってしまった。かれらがいた広場は壁に囲まれていたので、逃げようとして出口に殺到していっそう混乱が増すでしょ。押しつぶされて死んだインカ兵もたくさんいたという。
 大混乱のなかでピサロはアタワルパを生きたまま捕虜にするのに成功しました。王が人質にとられしまってインカ軍は抵抗することができなくなってしまった。

 こんなふうに結果的に見れば実にあっけなくインカ帝国はピサロによって征服されてしまったんです。
 捕虜となったアタワルパはピサロの目的が黄金だとすぐに気づいた。有名な話ですが、アタワルパは自分がとらえられている石牢のなかで背伸びしてのばした腕で壁に線を引いてピサロに言うのです。「この部屋のこの線まで黄金で満たしたら釈放してくれるか?」
 渡りに船だ。ピサロは釈放してやると約束したので、アタワルパは牢のなかから全土に黄金を集めるように命令します。中央集権的な国ですから王の命令に従って、村々から黄金が差し出されてあっという間にかれの石牢は黄金でいっぱいになった。ピサロは約束を守るはずはなく、このあとアタワルパを殺して、別の王族のものを傀儡皇帝としてインカ帝国に号令します。事実上このときにインカ帝国は滅んだと言っていいでしょう。これが1533年でした。
 ただ、インカの残存勢力がその後もアンデスの山奥に立てこもってスペイン人に対してゲリラ活動をつづけています。有名なマチュ・ピチュの遺跡、資料集に写真もありますが、これはこの時期にインカのゲリラ活動の根拠地として利用されたという都市遺跡です。標高2500メートルの山頂でしょ。どうやって建設したのか、ここに住んでいた人たちはどこへいってしまったのか、考えていると幻想的な気分になります。

----------------------------
スペインのアメリカ植民地統治
----------------------------
 スペインはアメリカ植民地を経営するのにエンコミエンダ制という仕組みをしきました。スペイン人の入植者に土地とインディオに対する支配権をあたえる制度です。そのかわり入植者はインディオにキリスト教を布教する義務を負います。支配権の代償が布教というのはなにかへんですが、レコンキスタ以来強烈な宗教的情熱を持つ国だから、こんな制度を作ったのですね。
 この制度は結果としてスペイン人が自由にインディオを酷使してかまわないということを意味しました。インディオは事実上の奴隷です。

 はじめスペインは香辛料を求めてアメリカに来てはみたものの、結局アメリカには香辛料はないわけでしょ。そこで、スペインはカリブ海の島々で農園を経営する。おもにサトウキビです。この砂糖をヨーロッパで売りさばいて儲けようというわけだ。
 サトウキビ農園で働かされたのは奴隷とされたインディオたちでした。ところが、インディオは過酷な奴隷労働に耐えられずにばたばた死んでいく。またかれらは、スペイン人がもたらした天然痘や「はしか」などの伝染病に対して免役が全くなかったから、これも死亡の大きな原因になったようです。たとえばハイチ島の原住民の人口です。1494年30万人、50年後にはなんと500人。これは絶滅です。
 少なくなった奴隷を補充するためにキューバ島から大陸に奴隷狩りに向かった船が難破して、これがマヤ文明発見のきっかけになったりしている。結局、カリブの島々では先住民インディオは絶滅していきます。労働力を補充するためにスペインはアフリカ大陸の黒人を奴隷としてつれてきた。今、ジャマイカでも、ハイチでもキューバでも国民の多数はアフリカ系の人たちかスペイン人の子孫ですね。

 アステカ帝国、インカ帝国の征服によってスペイン人の植民地は一気に広がります。インカ帝国の旧領土では銀の大鉱脈が発見されてスペインに莫大な富をもたらすことになった。ポトシ銀山というのが特に有名です。ここで働かされたのもインディオです。

 ちょっと絵を見ましょう。こちらは鉱山の内部の様子を描いた絵。坑夫たちの多くは村々から徴発されたインディオたちです。
 坑道は深さ300メートル、真っ暗な穴のなかでロウソクの光を頼りにインディオたちは鉱石を採掘するのです。掘り出した鉱石を地上に運びあげるはしご、これが縄ばしごです。20メートルの縄ばしごを何本も乗り換えて登り降りするんですが、坑夫たちは背中に鉱石を背負っている。縄ばしごなんてふらふら揺れて不安定でしょ。ロウソクを持つことができないので、かれらは親指にロウソクをくくりつけられている。それに、みんな裸ですね。地中は暑いにしても、素っ裸とは一層悲惨な感じがする。

 こちらは別の絵。インカの王族の血を引くワマン・ポマという人がいます。この人が17世紀のはじめにインカ時代からスペイン統治時代までの歴史の本を挿し絵つきで書いていて、これは挿し絵です。
 坑夫を集めきれなかった村長と、鉱山で反抗したか逃亡しようとしたインディオを処罰しているところです。ここでもインディオは素っ裸にされている。身体に模様みたいにたくさんの線が描かれていますが、これは鞭で打たれた傷です。一人が両手を縛られ裸でリャマに乗せられている。これを右の男が鞭で打っています。この鞭をもっている男は服装髪型からみてインディオですね。インディオのなかにもスペイン人に取り立てられて奴隷がしらみたいに仲間を監視するものがいたのがわかる。その奴隷がしらの働きぶりを右端の男が椅子に座って見物しています。この人物がスペイン人ですね。
 下には三人のインディオが裸で杭に縛り付けられています。一人は逆さ吊り状態。見せしめにされているのだと思います。その右の男は服を着て手を合わせています。これは神に祈っているのですね。スペインはインディオをキリスト教に改宗させていきましたから、この祈っている対象はキリスト教の神でしょう。よく見ると、この人の足は枷にはめられていて、これも何か罰を受けているのでしょう。
 男たちが鉱山に連れていかれたあとのインディオの村の様子がこの絵です。残された女性が機織をしている。背中に赤ちゃんを背負っているから母親ですね。彼女の髪をつかんでいるのがスペイン人の宣教師です。織りかけの布を指差している。「もっとたくさん織れ」と命令しているようでもある。男を坑夫にするだけでなく、女には機を織らせてそれを税金がわりに取り立てるのです。この女性は泣いているんですよ。よく見ると目の下に線がかかれているでしょ。これ涙です。

 多くのスペイン人はインディオを奴隷扱いしたり虐殺することを、ひどいこととも思っていなかった。キリスト教を知らない野蛮人に対しては罪悪感もなかったようです。
 しかし、インディオに対する非人間的な扱いに抗議をしたスペイン人宣教師がいました。ラス・カサスという人です。この人はもともと従軍司祭としてイスパニョーラ島やキューバ島で先住民の征服に付き従っていた。
 征服はこんな具合にやる。まず、スペイン人たちはインディオの村に入っていく。そして、村人を集めて、スペイン王への服従とローマ教会への改宗を勧告します。この勧告はスペイン語でやります。聞いているインディオたちには何のことかさっぱりわかりませんから、当然降伏するとも改宗するとも返事をするわけがない。これをスペイン人は拒否とみなして武力で征服するのです。虐殺もある。ラス・カサスもキューバ西部のカオナオ村というところで3000人を虐殺した現場に居合わせている。

 こういう征服戦争に参加した功績でラス・カサスは土地とインディオを手に入れるのですが、ある日聖書を読んでいて改心するんだ。それ以後は自分の所有していたインディオを解放し積極的にインディオの救済運動を開始します。
 スペイン国王にインディオの待遇改善を訴えたり、インディオの実態についての報告をヨーロッパに送る。インディオの相次ぐ反乱や急激な人口激減で労働力不足も問題になっていたので、スペイン王カルロス1世はラス・カサスを招いてインディオ問題の会議を開いた。1543年にはインディオの待遇を改善する新しい法律が発布されています。まあどれだけ効果があったかわかりませんが、そういう問題を提起したスペイン人もいたということは覚えておきましょう。
 次の文は1552年にラス・カサスが書いた『インディアスの破壊についての簡単な報告』という本の一節です。
 「この40年間、また、今もなお、スペイン人たちはかつて人が見たことも読んだことも聞いたこともない種々様々な新しい残虐極まりない手口を用いて、ひたすらインディオたちを斬り刻み、殺害し、苦しめ、拷問し、破滅へと追いやっている。例えば、われわれがはじめてエスパニョーラ島に上陸した時、島には約300万人のインディオが暮らしていたが、今では僅か200人ぐらいしか生き残っていないのである。」(染田秀藤訳、岩波文庫)
 結果から見ると、アンデス山脈の山の上など辺鄙な所にいたインディオ以外は白人と混血するかほとんど絶滅に近い状態になってしまった。そしてスペインは労働力としてアフリカから黒人奴隷を輸入することになっていきます。

--------------------
ヨーロッパ世界の変容
--------------------
 ポルトガルのアジア貿易とスペインのアメリカ植民地経営でヨーロッパ社会が大きく変化していきます。

 まず、商業革命。
 大航海時代以前はイタリアを中心とする地中海貿易圏がヨーロッパの商業・経済の中心でしたが、これが、ポルトガル、スペインを中心とする大西洋岸に移動した。いまのベルギーとオランダは当時ネーデルラントといってスペインの領土でした。ネーデルラントはドイツ、イギリス、フランスの中心にあって特にここが商業の中心になっていきます。

 次に価格革命。
 アメリカから大量にもたらされた金銀が西ヨーロッパにインフレを起こす。たくさん金銀が入ってくるから金銀の価値が下がる。逆にいろいろな商品の値段が上がる。だから価格革命といっています。
 もっと簡単に言えば、アメリカの金銀は奴隷労働で採掘しているのだから、ただ同然なわけ。ただで手に入れた金銀が、スペインやネーデルラントから西ヨーロッパ全体に流れる。西ヨーロッパ中がアメリカから奪った富によって豊かになったということです。商人の中には莫大な富を蓄えるものがあらわれるし、農民でも豊かになるものがでてくるわけで、これが封建的な身分制度を急速に変化させていきます。

 最後に国際分業の成立。
 ネーデルラントはもともと毛織物業が盛んだったね。ここがスペインの窓口として商業の中心にもなるわけで、ここと経済的にもつながりの深いイギリス、フランスなど西ヨーロッパの商業、工業がとりわけ発展していく。
 それに対して東ヨーロッパでは、西ヨーロッパの工業地帯に輸出するための穀物や原材料を生産することが主要な産業になっていきます。輸出穀物は安いほど売れるわけで、安く穀物を生産するためには農民の地位が低いほうがよい。だから東ヨーロッパではこの頃から農奴制が強化される。領主たちは農民の権利を押さえ込んでいきます。こういう新たな農奴制を「農場領主制」と言っています。

 さらにこれにアメリカ植民地が絡んで国際貿易の環ができる。
 東ヨーロッパの安い穀物、原材料が西ヨーロッパに。
 西ヨーロッパはこれを利用して工業を発展させ、毛織物などの製品を東ヨーロッパやアメリカ大陸に輸出して、儲ける。
 アメリカではインディオや黒人奴隷によって金、銀、砂糖などが生産され、西ヨーロッパをさらに豊かにする。アメリカ、アフリカでは資源や人間そのものが収奪され、使い捨てられ伝統的な社会が破壊されていく。

 この商品の流れの中で主導権を握り、もっとも豊かになるのは西ヨーロッパです。西ヨーロッパはこの位置を守るために、他の地域にその役割を押し付けつづけていくことになります。

第56回 アメリカの征服とヨーロッパの変容 おわり

こんな話を授業でした

トップページに戻る

前のページへ
第55回 大航海時代2

次のページへ
第57回 ルネサンス(1)