アジア諸国がどのような状態だったのかざっと見て行きます。
第二次世界大戦後のアジア諸国は、独裁政治の国が多かった。例外的に民主主義が行われていたのは、日本ぐらいです。第二次大戦後、特に20世紀後半の独裁政治のことを、開発独裁ということがあります。各国の独裁者たちは、独裁政治を行いながらも、国内の産業を発展させ資本主義を進展させた。産業開発、経済発展をさせていったので、開発独裁といいます。「独裁政治ではあるが、俺は、これだけこの国の産業を発展させているぞ」という形で国民の支持を得ていこうとした。これが開発独裁。
具体的に名前を覚えおいてほしいのが、まず韓国の朴正煕(パクチョンヒ・ぼくせいき)。韓国建国時に、李承晩が初代大統領になりました。この人も独裁者でした。そして、民主化を求める運動が激しくなって失脚する。その後しばらくの混乱期ののち、軍人であった朴正煕が軍事力を背景に権力を握って大統領となった。
この人は、第二次世界大戦中は、日本軍の軍人でした。朝鮮半島は、日本でしたからね。僕の少年時代の韓国の大統領は、ずっと朴正煕で、怖いイメージしかない。反政府運動をやっている学生や、労働組合の指導者を捕まえて、拷問をしているというイメージしかない。在日韓国人の若者が、韓国の大学に入学したら、北朝鮮のスパイの容疑で捕まった、という事件もありました。韓国に行ったらひどい目にあう、というイメージ。この時代の韓国は闇の国です。私の中では、北朝鮮と同レベルの闇の国でしたね。
朴正煕は、反政府運動の指導者たちをめちゃくちゃに弾圧しますが、彼の時代に経済が発展し始めます。彼は独裁者というイメージしかなかったのですが、死去して数十年経って、韓国の経済がどんどんと発展してくると、この経済発展の基礎は朴正煕が作ったのだということで、評価が一定程度上がっています。彼がおこなった経済政策と、現在の韓国の発展の間に、どれくらい具体的な因果関係があるかは、よくわからないのですけれどもね。サムソンとかヒュンタイのような大企業が発展したのは、彼のおかげだと考えている人も多い。その評価の上で、後に彼の娘が大統領になりました。パククネ(朴槿恵)ですね。皆さんは覚えていないかもしれませんが。
インドネシアではスハルトという独裁者がいました。インドネシア独立時の大統領はスカルノでした。 このスカルノは1965年、9・30事件と呼ばれるクーデタ事件で失脚します。その後、スカルノに代わって権力を握ったのが、軍人のスハルトでした。名前が似ていますから注意してくださいね。 スハルトは1990年代まで独裁政治をやっていました。
シンガポールは、リー・クアン・ユーという独裁者がいました。シンガポールは、非常に美しい都市で、評価が高い。良い国だと思っている人も多いかもしれませんが、独裁政治の国です。今でも強権的な国家です。街が綺麗なのは、ゴミを捨てたら逮捕されるからです。シンガポールは開発独裁の名の通り、まさしく経済発展しました。
フィリピンにはマルコスという独裁者がいました。
シンガポールを除き、これらの国々は概ね貧しい。農業国で、産業はこれから発展するところ。プランテーションが多くがあり、一部の地主や富裕層が、多くの貧しい民衆を抑え込んでいる。独裁者は富める者の味方です。貧しい人々は、この独裁政治を倒し、貧富の差をなくしたいと思いますよね。そういう時に貧者が魅力を感じる思想が、社会主義思想です。貧しい人々が団結をして、社会主義革命が起こってしまったら、富裕層が持っている土地・財産が全部奪われてしまうから、富裕者は革命を恐れ、独裁者を仕立てて、貧しい人々を弾圧する。弾圧されれば、さらに反政府運動の土壌が広がる。また、これを抑えるために独裁者が活躍する。この独裁者達が人権を無視しても、民主主義を無視しても、社会主義になる危険性を事前に摘み取ってくれるのならば、いいじゃないかということになる。
そして、こういう発展途上国の独裁者を、アメリカが支援します。 アメリカは社会主義の国が世界に広がるのが嫌ですからね。だから、アメリカとソ連が対立しているときは、社会主義の国が増えないように、社会主義に共感しているような貧しい国の貧しい民衆を弾圧する支配者を、アメリカは支援していたという構造がある。(ちなみに、この構造がうまく機能しなかったのが南ベトナム、ゴ・ディン・ジェムでした)
朴正煕も、スハルノも、リー・クアン・ユーも、マルコスも、みんなアメリカと仲良しです。アメリカは、どんなに人権を抑圧する独裁者であっても、社会主義を抑え込んでくれれば、これを応援するのです。アメリカは、民主主義を守る国といいながら、ダブルスタンダードなのです。
ソ連が崩壊するとこの構造がなくなる。なのでソ連崩壊後、各地の独裁政権は崩れて行きました。だって、アメリカが支援しなくなりますから。社会主義が具体的な危機ではなくなるので、独裁者を支援する必要がなくなるわけです。これは中南米においても同じ構造が起きています。
インドネシアのスカルノの話をちょっとしたいのですが、スカルノはバンドンでアジア・アフリカ会議を主催しました。平和十原則を採択した。これは簡単にいえば、第三世界の国づくりに、アメリカもソ連もちょっかいを出すなという主張です。アメリカやソ連と、縁を切るということではなく、逆にアメリカともソ連とも、均等に付き合いますよ、ということです。
エジプトのナセル大統領も、この方向ですね。だからアスワンハイダムの建設資金を、ソ連から調達しようとしました。アメリカとも、ソ連とも、均等に付き合う。スカルノも同じで、この人は国内の共産主義者を弾圧しません。スカルノ時代に、インドネシア共産党は非常に大きな勢力になっていました。彼らの協力も得ながら、スカルノは国づくりを行った。
これはアメリカの方針からすると、とんでもないことですね。インドネシア国内には、当然スカルノの方針に反対する政治勢力も会った。共産党を嫌悪し、インドネシアの社会主義化を恐れるグループですね。多分、こういうグループと、アメリカの何らかの勢力・思惑が結びついて、1965年のクーデター、9・30事件が起きて、スカルノは失脚したのだと思います。
代わって権力を握ったスハルトは、徹底的にインドネシア共産党を弾圧して、壊滅させていきました。こういう具体的な例から、開発独裁のイメージを作ってくれたらな、と思います。