台湾です。台湾もずっと独裁政治でした。中国共産党との戦いで敗れた蒋介石は台湾に逃れて中華民国を維持しましたが、政治的には国民党の独裁政治でした。蒋介石が台湾でおこなった政治は独裁政治です。戒厳令がずっと布かれていました。軍政です。蒋介石が死んだ後は、息子の?経国が後を継ぎます。息子に跡を継がせるんですからね、バリバリの独裁国家でしょう。1988年、蒋経国の後に台湾の総統となったのが、李登輝(りとうき)です。 韓国で民主的に選ばれた大統領、盧泰愚が登場したのも1988年です。同じ年なのは偶然ではないです。ゴルバチョフが登場しているから、冷戦が終わりそうだから、論理的に考えれば独裁は無理です。蒋介石・蒋経国親子が亡くなり、李登輝が登場して民主化を積極的に進めていきました。現在の台湾は民主的な国家になっていますね。
フィリピンにはマルコスという独裁者がいました。これはちょっと早めですが、ゴルバチョフが登場した翌年、1986年に失脚しました。マルコスにもアキノというライバルがいました。ずっとアメリカに亡命しているのですが、1983年フィリピンに帰ってきたとたん、マニラ空港で暗殺された。誰が考えてもバックにマルコスの指示があったことは明らか。これに国民の怒りが爆発。アキノが殺されて終わりかなと思ったら、アキノ夫人、コラソン・アキノが支持者に押されて、大統領選挙に出馬。コラソン・アキノが当選。しかし、マルコスも自分の当選を主張します。
冷戦構造が強固な時なら、こういう時にアメリカはマルコスの当選を支持するのでしょうが、この時はもうアメリカはマルコスを見捨てたのだと思います。マルコスは国民や軍の支持を失い、アメリカに亡命した。こうしてアキノ政権による民主化が行われました。
インドネシアはねばりました。1998年冷戦が終わって約10年後にようやくスハルトの独裁政権が崩壊し民主化が始まりました。
1991年に南アフリカ共和国でアパルトヘイト政策が撤廃されました。南アフリカ共和国が人種隔離政策をおこなっていたことは知っていますね。黒人を徹底的に差別していた。アパルトヘイト政策は世界中から非難されていました。経済制裁も行われていた。しかし冷戦構造の中でやはり南アフリカ政府をアメリカが支えている面があったのでしょう。冷戦構造が崩れてアメリカの支えがなくなると、南アフリカの白人政権はアパルトヘイト政策の継続を断念しました。その後に黒人にも白人と同じ政治的権利が与えられて大統領選挙をおこなたら、1994年黒人のリーダーであったマンデラが大統領となった。人口比率で言ったら当然そうなる。以後現在に至るまで南アメリカの大統領は皆、黒人の人。
マンデラはアパルトヘイトに反対して何十年も牢屋に入れられていました。牢屋にいながらもみんなの心のリーダーだったんですね。アパルトヘイトがなくなって、牢屋から出されて、もうおじいさんになっているのだけども、大統領選挙で当選した。マンデラを描いた映画もたくさんあります。『マンデラの名もなき看守』という映画があった。牢屋に入れられたマンデラの面倒を見ている白人の看守が主人公。この看守はもちろん黒人に対して差別心を持っていたのですが、毎日毎日マンデラと接しているうちに段々と影響されていくんだね。町で黒人が殴られてる場面に遭遇すると、心が痛むようになってくるんですね。
『インビクタス』という映画もあった。マット・デイモンが主演をしていた。マンデラが大統領になってから後の話です。ラグビーの世界選手権があって、南アフリカチームは白人黒人混合チームを作るのですが黒人は一人しかいない。チーム編成をどうするかというような問題があったりする。白人中心のチームを黒人たちは応援しないのですが、だんだん勝ち進むのうち、人々の心に少しずつ変化が訪れるというような話でした。ちょっと理想的に描いているとこがありますけれどもね。監督はクリント・イーストウッドです。クリント・イーストウッドの映画にハズレなし。たくさんの映画を作っていますがどれを見ても絶対に満足できます。
南米のチリです。南米でもたくさんの独裁国家と独裁者がいるのですが、特に有名なのがチリです。1970年に選挙があってアジェンデ政権が成立しました。アジェンデは社会主義者で、合法的にチリを社会主義の国にしようと考えた。途端にアメリカの支援を受けた軍人ピノチェトがクーデター起こして、1974年権力を握って軍事独裁政権を樹立します。
しかしやはりゴルバチョフですね、その登場の後1990年に退陣して民主化が行われました。ピノチェト政権のもとで、たくさんの反政府的な若者たちが行方不明になったり、殺されたりしました。行方不明になった息子や娘達の写真を持ってデモ行進をする人たちの写真はたくさんあります。何万人という人たちが闇に葬られて行きました。そのチリでも民主化が行われたということです。ピノチェト軍事独裁政権の人権抑圧は、非常に有名だったので、チリが民主化するということが国際的な大ニュースになっていました。
ミャンマーは全然逆の動きです。 1988年に 軍事クーデタが起きます。アウンサン=スーチーら民主化運動指導者は弾圧される。スーチーは自宅軟禁状態に置かれました。ようやく2011年、軍事独裁政権は政権維持をあきらめて、民政移管します。スーチーは解放されて、大統領にはなりませんでしたけれども、ミャンマーの事実上の最高指導者となりました。ところが、おととしぐらいからミャンマーの少数民族ロヒンギャ族を虐待しているということで、スーチーは国際的な非難にさらされた。今年また軍人たちがクーデター起こして独裁政権が成立していますね。民主主義を求める民衆と軍事独裁政権との対立が今も続いていてニュースになっていますね。スーチーは拘束されたままのようです。ちょっとミャンマーは特殊な動きをしている。
最後は中国です。
1985年ソ連にゴルバチョフが登場して、市民の自由を次々に認めていった。社会主義をやめるのかもしれないな、と多くの人々が思い始めていく。
ゴルバチョフが見本にしたのが中国の改革開放路線でした。ケ小平は改革開放で市場経済を導入しますが、共産党による一党独裁体制は維持し続けていました。
ゴルバチョフは経済の自由化するし一党独裁も止めます。それに共産党以外の政党もみとめて一党独裁を放棄します。東ヨーロッパも自由にやっていいよという話だったよね。
東ヨーロッパ諸国が次々に社会主義を放棄していくと、中国の若者たちも中国は何時まで一党独裁をやっているのかと考え始めるのは当然の流れ。そして学生たちは、北京の天安門広場を埋め尽くし政府に民主化を要求しました。ソ連のような民主化を中国でもおこなうように要求したのです。
ここがケ小平の考えどころでした。ソ連のように政治の自由化を認めるべきかどうか。独裁を続けるか、民主化をするか。ケ小平が下した決断は独裁維持です。世界がケ小平の決断を見守っていましたが、 世界の流れとは逆の判断をした。ケ小平は学生達が集まっている天安門広場に軍隊を投入し、これを弾圧しました。
その後も中国は共産党による一党独裁を維持し、そのまま現在まで続いています。しかし経済はものすごく発展している。歴史において何が正解かはわかりませんが、中国政府はそういう選択をしたのだということです。
ケ小平は1997年に死去して、その後の中国の最高指導者は、江沢民(こうたくみん)、胡錦濤(こきんとう)、そして現在の習近平へと続きます。
現代史篇 おわり