時間切れ!倫理

 108 聖徳太子

 最初に仏教の中身を理解したのではないかと思われるのが聖徳太子です。厩戸王(うまやどおう)ともいいます。社会科(正確には地歴科)というのは、非常に横の繋がりが悪い教科で、世界史の教科書に載っているブッダの名前が、倫理の教科書では違う表記になっていたり、日本史の教科書と倫理の教科書では説明が微妙に違ったりする。聖徳太子もその一例で、聖徳太子という呼び方は随分と後になってからの呼称で、本人はそんな名前は知らない。実際には厩戸王といわれていた人なので、日本史の教科書では厩戸王という名前で主に出てきます。
 聖徳太子は様々なことをやったといわれていますが、冠位十二階にしても十七条憲法にしても、当時は使われていなかった言葉が入っていたりするので、後から作られたか、後から付け加えられたかしたことが多いとされています。日本史研究の最前線からみると、「聖徳太子」が本当は何をしたかは、よくわからない状態です。しかし倫理の教科書では、きっちりと聖徳太子と太文字で書いてあって、憲法十七条は彼の業績だと、疑いないしにかいてあります。そういうことも頭の隅に入れておいてください。
 さて、聖徳太子といわれている厩戸王の業績として、一般的には仏教と儒教を基本にして日本の政治の確立を目指したといわれています。有名なのが十七条憲法です。

 「和をもって尊しとなす」

 めちゃくちゃ有名な言葉ですね。これは日本的な感覚だなといわれていますね。和を大事にしなさいといっているので、なんとなくこの文化が2000年間続いているような感じがしていますが、実際に聖徳太子がこの言葉をいった時に、みんなが和を大事にしていたかどうかは分かりません。みんなが喧嘩ばかりしているので仲良くしろといっているのかもしれない。論語に「和して同せず」という言葉があるので、実際には儒学のから取り入れたのかもしれない。

 「篤く三宝を敬え、三宝とは仏、法、僧なり」(第二条)。
 これは明らかに仏教の影響ですね。

 「民を治める本は、要するに礼にある」(第四条)。

 この言葉はまさしく儒家、孔子の教えですね。どこまでこれらの言葉の意味が理解されていたかはわかりませんが、すでにこういうものが日本列島に入っていたことは分かります。
 聖徳太子の周りには渡来人のブレーン、参謀がたくさんいるので、そういう人が知恵を出し合ってこういう文章を作っているのかもしれませんね。
 「世間虚仮、唯仏是真(せけんこけ、ゆいぶつぜしん)。」この世はかりそめ、ただ仏の教えだけが真実という意味です。
 これは何かというと、聖徳太子が死んだ後、その夫人だった妻橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が、太子を偲んで天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)という大きなタペストリーを作らせます。そこに刺繍された8文字でこれが聖徳太子の言葉だと伝えられています。本当に聖徳太子の言葉とすれば、仏教の精神を理解していたことになりますね。
 『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』は太子の著作とされる「法華経(ほっけきょう)」「勝鬘経(しょうまんきょう)」「唯摩経(ゆいまきょう)」の注釈書です。本当に書いたとすればものすごい学識の高さです。

 2023年6月12日

次のページへ
前のページへ
目次に戻る