時間切れ!倫理

 111 平安時代の仏教1 最澄

 奈良時代までの仏教は国家管理の元にありますが、平安時代になると国家管理から離れて日本的な仏教が生まれてきます。その一人が最澄です。
 最澄は遣唐使船に加わり中国に行き、短期間の中国滞在中に、たくさんのお経を集めて日本に持って帰りました。その後、天台宗をたて、比叡山延暦寺を開きます。最澄は政府の有力者ともつながりのある影響力のある僧となります。
 彼が持って帰ったお経の中で、天台宗・延暦寺の中心に据えたのが法華経です。他にもたくさんのお経を持って帰ったのですが、法華経を重視しました。そしてこの言葉に注目します。
 「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょう、しつゆうぶっしょう)」。すべて命あるものは仏の本性を持っているのだという意味です。大乗仏教のお経ですから、当然の中身ですね。大乗仏教の教えの特徴を、はっきりと意識して受け入れたことがポイントだと思います。
 これ以前も大乗仏教のお経は入ってきているのですが、鎮護国家の仏教としか考えていないので教えの中身にはあまり注目されていませんでしたが、最澄になると教えの中身をきちんと理解しています。
 また、一乗思想も唱えました。一つの乗り物に乗るように誰もが仏性を自覚し修行すれば悟りが得られる、という思想です。「大乗仏教だから当たり前じゃん」、なんだけれども、当時は天皇や貴族中心の仏教です。救いを得られるものは地位の高い人、たくさんお寺に寄付した人と理解されていましたが、誰もが救われる、誰もが悟りを得られると説いたところが、最澄らしいところです。
 先ほど鑑真が戒壇を作った話をしましたが、最澄は「大乗仏教は大乗仏教で別の戒壇を作りたい」といいます。つまりは、比叡山で独自の戒壇を作るということです。最澄が生きている間は、政府はこれを認めなかったのですが、死後政府から独自の戒壇、大乗戒壇の設立を認められました。この大乗戒壇は、日本で独自に作ったものなので戒律を授ける基準が緩い。時代が経つと、さらにどんどんと緩くなっていきます。自誓受戒といって、戒律を授けるものがいなかったら、自分で誓って受戒することもできた。
 大乗戒壇というのは、最澄の教えが、鎮護国家の宗教である南都六宗、つまり奈良時代の仏教から、日本独自の仏教思想が自立してくる動きとして考えるとよいと思います。

 2023年7月3日

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