時間切れ!倫理

 141 中江兆民

 成立した当初の明治政府は、幕府を倒すのに活躍した薩摩藩、長州藩出身の者たちが政府の高官を担っていました。戊辰戦争の時に兵力を出した肥後藩、土佐藩も、明治政府の中で多少の勢力は持っていますが、傍流です。
 福沢諭吉は明治政府を応援しながら、政府には入らず、天賦人権思想を説いているわけですが、福沢たちの啓蒙思想が広まっていく中で、当然、「政府は薩摩・長州出身者の独裁ではないか」という疑問・不満が出てきます。富農・豪農層、薩摩・長州以外の士族から、「我々の意見も取り入れろ、自分たちの権利を尊重しろ、政治に参加させろ」という形で、おこってきたのが自由民権運動です。
 福沢諭吉は天賦人権思想と言っているではないか。我々にも権利をよこせ。なぜ薩摩長州出身者ばかりが選挙もせずに権力を独占しているのだ!これが自由民権運動の主張です。
 この自由民権運動のオピニオンリーダーが中江兆民です。兆民の兆は一十百千万兆の兆です。大衆、民衆を「万民」という表現がありますが、「万」のうえの「兆」をつかって、さらに多くの民衆の声を代表するという思いが込められた名前です。
 彼の代表的著作である『民約訳解』はルソーのの社会契約論の抄訳です。ルソーの思想はフランス革命のバックボーンとなったのですが、このルソーの思想を日本に広めたのです。また、『三粋人経綸問答』は国家のあり方について3人の人物が仮想問答を繰り広げる本です。この本は、現在の日本国憲法のもとでの政治の議論として読んでも、全く古びていません。びっくりするほど射程の長い本です。  中江兆民は土佐藩出身です。兆民は幕末期には、坂本龍馬のもと、海援隊で働いていました。坂本龍馬は、昔、司馬遼太郎という小説家の書いた『竜馬が行く』という本であまりにも有名です。坂本龍馬は、土佐藩を脱藩して、勝海舟の元で操船術を身につけて、薩摩藩の出資で長崎に亀山社中、改名して海援隊という民間貿易会社を作った。たぶん日本で初めての民間貿易会社。坂本龍馬の思想は進歩的で、封建的な考え方からは自由だったようです。そういう思想を中江兆民も受け継いでいる。
 さらに明治になると、兆民はフランスに留学しました。フランス革命の国です。中江兆民はここで、ヨーロッパの中でも進歩的な思想を身につけて、日本に帰ってきました。
 肥前藩や土佐藩出身の人たちは、薩摩長州中心の明治政府の中であまりいい思いをしていなかった。そのなかで、土佐藩の板垣退助などは明治政府から離れて、自由民権運動の側に立って、政府を批判していきます。土佐出身の中江兆民は、そういう流れの中で活動を始めた。自由民権運動が挫折した後も、中江兆民は言論活動を続け、一時は衆議院議員にもなっています。
 入試的には、「恩賜的民権」から「回(恢)復的民権」へという中江兆民の主張が出されます。兆民の分析では、自由民権運動は失敗に終わり、日本における人権状況は、政府から与えられている人権に過ぎない。限定的に与えられている人権の事を中江兆民は「恩賜(おんし)的人権」という。しかし、ルソーによれば、自然状態ですべての人は完全な人権を持っていたはずです。今は与えられた人権だが、これを発展させ、フランスが革命で手に入れたような人権をやがては獲得するべきだ。そうあるべきだと言っている。これが「恢復(回復)的民権」。
 民権思想家では、兆民の他に、やはり土佐藩出身で植木枝盛(うえきえもり)という人がいます。『民権自由論』という本を書いています

 2024年4月18日

次のページへ
前のページへ
目次に戻る