ドイツのルター(1483生)は、カトリックの聖職者でヴィッテンベルク大学の神学教授でした。エラスムスがカトリック教会のラテン語聖書の誤訳を指摘したり、様々な人が聖職者の堕落を指摘したりして、カトリック教会の権威は揺らいでいましたが、やはり信仰の拠り所はこの教会でした。
1517年、ルターはそのローマ教会への質問状を発表します。西ヨーロッパ社会を大きく揺るがす宗教改革の始まりです。
ルターの教会批判は、教会による贖宥状販売の批判から始まります。少し長くなりますが、贖宥状について説明します。
当時、イタリアはルネサンスの真っ只中で、ミケランジェロやラファエルをはじめとして、天才的な芸術家がたくさん現れている。時のローマ教皇は、メディチ家出身、大の芸術愛好家で、ローマ教会の総本山であるサン=ピエトロ大聖堂の大改築をしていた。様々な芸術作品で飾り、豪華な教会堂を作ろうとした。そのためには建設資金がいくらあっても足りない。そこでローマ教皇は資金集めのために贖宥状の販売を始めました。
贖宥状とは、簡単に言えば神社の御札のようなものです。この御札を買えば天国に行けるというものです。さらに、すでに死んでしまって、地獄で苦しんでいるかもしれない父母がいるならば、かれらの分の御札を買えば、地獄にいる父や母もすぐに天国へ行けるといって、贖宥状を販売したのです。
いくらで売るかというと、贖宥状の販売員たちは相手の様子を見て、金持ちだったらば高い金額、貧乏人ならそれなりの金額を請求します。みんな天国に行きたいから買う。
これは、お金を払えば天国に行けるという理屈です。イエスが布教をした時、かれは誰の味方だったか。貧乏人や差別されている人の味方でした。「金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るよりも難しい」とイエスは、いっている。金持ちは天国に行けないといっているわけですね。ところが贖宥状販売の理屈は、「お金を払えば行ける」です。
これは、イエスの教えと全く違うではないか、とルターは批判した。教会の聖職者の腐敗や堕落を批判する人はいましたが、ルターは教会のあり方そのものを、真っ向から批判しました。
ローマ=カトリック教会とルターの間で、大論争がはじまります。ルーターは破門されて生命の危機さえあったのですが、彼を支持するドイツ人の諸侯や民衆に守られて、最終的にローマ=カトリック教会と分離して別の教会を作ります。ルター派教会です。
それまでは、西ヨーロッパに、キリスト教の宗派はローマ=カトリック教会しかなかった。そこに初めて、別の宗派を作った。それがルターです。
ローマ=カトリック教会と真正面から対立したルターは、ものすごく勇気が必要でした。だから、ルターが登場するまでは、別宗派をたてる人はいなかったのですが、ルターが成功すると、これに続いて次々と別の宗派がたてられていきました。ルター以降の新しい宗派を全てひっくるめてプロテスタントと呼びます。