イギリス経験論
15世紀、16世紀はルネサンス文化が広まるだけでなく、大航海時代が始まり、ヨーロッパ人が地球規模に広がっていく時代であり、宗教改革の時代であり、また近代科学の始まりの時代でした。
思想・哲学の分野でも、中世キリスト教神学とは違った新たな展開が始まります。
ベーコン
まず最初に紹介するのはベーコンです。
ベーコン(1561生まれ)はイギリスの哲学者。貴族、政治家でもある。時代的には、ニュートンに先立つ人です。経験論の祖。ベーコンはイギリス人なので、イギリス経験論と言われます。
経験論とは、様々な経験や、観測した個々の事実から、一般的な法則を見出すやり方です。たくさんの経験から法則を導き出すので、経験論という。帰納法ともいう。
これは、パッとわかると思いますが、科学の実験や観察の方法です。天体観測でいえば星々の動きを観察して、そこから地動説を導き出す。様々な物体を落としてみて、落下の法則を数式化する、こういうやり方です。
経験というのは、全て感覚です。したがって、法則は感覚から導かれる。静かに自分の精神を見つめて、そこから何かの真実を導き出す方法とは違う。こちらは数学の方法です。数学は実験はしません。「3+4」が 7 かどうかは、実験で試すものではありませんね。理性を働かせることによって、答えが出てくる。経験論は、理性を使い、推論する方法とは違うことを理解してください。繰り返します。感覚から全てが導き出されます。
次に、ベーコン独特な用語で、イドラという言葉があります。なぜイドラという言葉を使うのかはわからないのですが、そのまま覚えてください。
ベーコンは、正しい観察を妨げる偏見や思い込みのことを、イドラと名付けました。様々な経験や観察から法則を導き出すのが帰納法ですが、「経験や観察が絶対に正しいとは限らないから、注意してね」とベーコンはいう。ベーコンは四つのイドラをあげています。
「種族のイドラ」は、人類が共通にもつ思考や感覚の傾向のこと。プリントの横に、二つの線分を書いています。有名なので皆さんも知っていると思いますが、線分の横に矢印がついていて、一つの線分には内向きの矢印、もう一つの線分には外向きの矢印がついている。同じ長さの線分なのですが、内向きの矢印が外に飛び出している方が長く見える。同じ長さのなのに、下の方が長く見えることから、下の線分が長いと信じて論理を進めていくと、結論を間違えます。
天空高いところにある月は小さく見えるけれども、地平線すれすれにある月は大きく見えるのは、皆さんも経験があると思う。だけれど、月が大きくなったり小さくなったりするわけではない。そこを勘違いすると結論を間違えます。こういう人間特有の認識の歪み、これが「種族のイドラ」です。
「洞窟のイドラ」は、環境などによる個人特有の偏見。洞窟というのは、どこか狭いところにこもっている感じですね。例えば日本人は、日本の文化の中にどっぷりと浸かっているので、日本人独特の発想の仕方に気がつかない。逆に、日本人から見れば、西洋人の発想の歪みに気づくことがあるかもしれません。なぜ彼らは、こんなにキリスト教の神にこだわっているのか、私たちには不思議ですよね。神様なんかあってもなくてもいいじゃないか、と僕たちは思うけれども、 彼らは神というものを切り離して物事を考えることができない。こういうものが「洞窟のイドラ」です。
「市場のイドラ」は、言葉のやりとりから生じる偏見。市場はみんなが集まってくる所というイメージですね。たくさんの人々が集まることで、不確かな情報やデマが出回る。それを正しいとして受け入れることによって、結論を導き出すと間違えますよ、というのが「市場のイドラ」。
「劇場のイドラ」は、権威を無批判に信じる偏見。東大教授がいっているから正しいだろうとか、総理大臣がいっているから間違いはないだろうとか、無批判に受け入れる。正しいかもしれませんよ。ただし無批判に受け入れること、これに気をつけましょう。これらのことに気をつけて、経験や観察から法則を導き出したら良いといっているのです。哲学の中身というよりは方法論ですね。
「知は力なり」はベーコンの有名な言葉です。「知は力なり」という言葉で我々が普通に考えるのは、学問を身に付ければ身を立てることができますよ、という意味ですが、ベーコンの言いたかったのは、違う意味です。
まさに科学技術がどんどん発達している時だったので、知によって科学技術が発展すれば、人間は自然を征服できる。人間は自然を自分たちのために利用することができるのだ、そういうことを意味しています。
ベーコンの後、イギリス経験論はさらに他の人々によって受け継がれていくのですが、その話は一旦後回しにして、大陸合理論の話をまずしておきます。