時間切れ!倫理

21 アナクシマンドロス、アナクシメネス、ヘラクレイトス、ピュタゴラス

 タレスの弟子といわれているのがアナクシマンドロス(前610頃〜前540頃)です。彼は先生の説に対して別のことをいった。「万物の根源は無限定なものである」。この無限定という言葉は書物によって違う訳語を使っていたりもします。タレスは、はっきりと水といったのですが、アナクシマンドロスは「これとはいい切れない何かです」といったのでしょう。

 アナクシメネス(前585頃〜前525頃)は「万物の根源は空気である」といいました。水が出てきて空気が出てきて、とにかく何でもいってやれという感じですが、考えれば空気というのもありえる。空気は我々の目に見えなくて、風が吹くと存在を感じる。その空気のなかで我々は生きています。人間が死ぬと口鼻から空気が出てこなくなる。命の根源かもしれない。考えてみれば不思議な存在です。

 ヘラクレイトス(前540頃〜前480頃)は、「万物の根源は火である」といった。また、もう一つ大事な言葉を残しています。

 「万物は流転する。」

 火と「流転する」というこの二つは、どういう関係にあるのでしょうか。ろうそくの炎を想像してみてください。炎というのはずっとそこに変わらずあるように見えますが、ゆらゆらと揺れて変化し続けている。炎は常に、新しい炎に入れ替わっているようです。こう考えると、流転するということの象徴的な表現として、火という言葉を使ったのではないかと思えてきます。ここからさかのぼると、タレスがいった水ということが、何かの象徴なのではないかと思えてくるのです。

 ヘラクレイトスは「人は二度同じ川に入ることができない」ともいっています。川の水は常に流れ続けている。一度入った川に再び入っても、それはかつての川ではない。そういうことをいっているのだと思います。

 ヘラクレイトスの「万物は流転する」という言葉は結構有名だったようで、笑い話も残っています。
 ある人物が友人からお金を借りた。いつまでたっても返さないので貸した人が催促すると、借りた人は「かつてお前からお金を借りた俺は、今の俺ではない。だから返す必要はない」といった。腹を立てた貸した人が、相手を殴ります。殴られた側が怒って文句をいうと、「さっきお前を殴った俺は今の俺じゃないから関係ない」といった。こういう話を残すところがギリシア人の面白いところですね。

 これらミレトス派とは、別系統で有名なのがピュタゴラス(前570年頃〜前490年頃)。彼は「万物の根源は数である」といいました。
 ピュタゴラスは宗教団体といっていいような教団を作り、そこで弟子たちと一緒に数学の研究をしていた。弦楽器が弦を押さえる場所で音程が変わっていくことに、非常に関心を持ち、これを数学の比例の問題として考察したことでも有名です。
 数というのは非常に抽象的なものです。2、3、4、5という様々な数字がありますが、今この教室のどこにも、数そのものは存在しませんね。教室どころか世界中のどこを探しても数、3とか4とか数そのものはどこにもありません。目に見えない世界に存在している。これを万物の根源と考えた。

 ピュタゴラスも、我々が感覚で感じることのできる現象の世界とは別のところに、世界の本質が存在すると考えたのです。ピュタゴラスの死後もこの教団は存続しており、アテネの哲学者プラトンがここを訪れ、大きな影響を受けたといわれています。

 ピュタゴラスに関しては輪廻転生を信じていたという話が残っています。輪廻というとインドや仏教のイメージですが、古代ギリシアでも同じ発想があったのです。あるときピュタゴラスが道で野良犬をいじめている人を見かけた。叩かれた犬が「きゃん」と鳴き声をあげた。その声を聞いたピュタゴラスは、「この犬は私の友人だ。声を聞いてすぐわかった。叩くのをやめてくれ」と叫んだそうです。犬が亡くなった友人の生まれ変わりだと思ったのですね。

【参考図書】
岩田 靖夫『ヨーロッパ思想入門 (岩波ジュニア新書) 』 2003
古東哲明『現代思想としてのギリシア哲学 (ちくま学芸文庫)』2005
シュベーグラー『西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫))』谷川哲三・松村一人訳、1939
竹田青嗣・西研編『はじめての哲学史―強く深く考えるために (有斐閣アルマ)』1998
バ−トランド・ラッセル『西洋哲学史 1』市井三郎訳、みすず書房、1970

 2021年04月24日

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