時間切れ!倫理

 43 諸子百家登場の背景

(ア) 時期
 古代ギリシア思想が花開いているころ、中国でも様々な思想が生まれました。紀元前8世紀から3世紀頃、中国の歴史では春秋・戦国時代と呼ばれる時期です。中学校でも覚えたと思うけれど、中国を最初に統一したのが始皇帝の秦ですね。秦の統一前には、小さい国がたくさんあって、それぞれ統一を目指して争いあっていた。これが春秋・戦国時代です。
 秦のまえには、殷と周の時代がありますが、それぞれ多くの小国を束ねている盟主でした。まず殷が盟主として多くの国を束ている時代がある。これが殷代。周が殷を倒し、殷に代わってその役割をになうようになったのが、周の時代。周王が配下の諸国を統制する力がなくなったのが、春秋戦国時代。詳しくいうと、周の王に実力はなくなったが、まだ権威があり、諸国の君主が形だけでも周王を尊重していた時代が春秋時代。周王に権威もなくなり、ただ存在しているだけで、各国が統一を目指して争いあっているのが戦国時代です。

(イ) 時代背景
 春秋時代には、鉄製の農具が普及しはじめ農業生産力があがり、商工業も発達してきます。そのなかで、各国は支配領域の拡大を目指し、争いあうようになっていった。各国は、国力の増大、軍事力増強、要するに富国強兵を図ります。そのためには有能な人材が必要です。それまでの社会では、家柄が良いとか、貴族であるとか、出身がよい人が、親の跡を継いで高い地位に就いた。変化のない社会ならば、少々ボンクラな人が高い地位についても何とかなった。
 しかし、各国が富国強兵にしのぎを削る春秋戦国時代になると、それでは通用しない。優秀な人材が必要になる。身分が低くても、どこの国の生まれであろうと、関係ない。だから各国は、あらそうように優秀な人間を採用し抜擢していった。一方で、立身出世位をめざす人々は、他人と違う主張をすることによって、自分を目立たせ、チャンスをつかもうとする。
 そんな時代なので、思想の面で、それまでの伝統や道徳に縛られず、自由に様々なことを主張する人がどんどん出てきた。のちに、秦によって統一されて以降は、こういう状況がなくなってしまうので、ユニークな主張が消えていきますが、この時代だけは個性的な主張・思想がたくさん生まれました。
 たくさんユニークな思想が生まれたことを諸子百家といいます。子(し)というのは学者のことです。家(か)は学問のグループ、学派。多くの学者、様々な学問が登場したという意味です。代表的なものが、儒家、墨家、道家、法家。いまから、それぞれの主張を見ていきましょう。

【参考図書】浅野典夫『 「なぜ?」がわかる世界史 前近代(古代〜宗教改革)

 2021年09月18日

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