時間切れ!倫理

 45 孔子の思想


 儒家の思想に関しては、われわれの日常にも入ってきているので、聞き馴染んだ言葉もあると思います。
 一番重要な単語が仁。ただし、孔子の語録である『論語』を読むと、「仁とはこれだ」という、ヨーロッパ式の定義をしていません。ある弟子に聞かれた時はこう答えたのに、別の弟子に聞かれたら別の表現をしている。相手を見て発言を変える。悪くいえば相対主義的な答え方しかしてないので、孔子が仁そのものをどう考えていたか、そのものずばりはよく分からない。そこを教科書的に整理すると、「人に対する親愛の情、思いやり」だとなります。教科書にはこういう形で説明してあるのだけど、もう2500年前の人だし、しかも孔子は単純な言葉でしか説明していない。だから解釈する人によって、仁とは何かという説明は違います。教科書に載っている解説は、解釈の一つにすぎないと思ってください。教科書には「仁という字は人が二人いるから思いやり」と書いてある。 ※後漢の許慎(きょしん)『説文解字』に見える説。孔子の時代から600年後の書物。これは字の形からくる解釈ですが、それが正しいとは限らない。
 そして、その仁の気持ちを、態度として見える形に表したものが礼です。礼を組織的に秩序だっておこなうと、様々な儀式典礼となる。

 家族道徳の話に戻りますが、家の儀式で一番大きくて重大なものは何かというと、それは葬式です。ここから先は教科書に載ってないから、混乱しそうな人は忘れていいからね。
 うんと昔の時代から、身内が亡くなったら葬式をやります。儒家の人たちの前身は、お葬式の時にやってきて、これを取り仕切った人たちだという説があります。葬式はまさしく儀式です。死んだ人をあの世に送るために、さまざまな複雑な儀礼を執り行います。すべてにわたって簡素化されている現代でも、葬式だけはそれなりの儀式をする。人がこの世からあの世にわたるというのは、ものすごく大きいことなのです。
 仁の字に、女をつけると「佞」の字になる。ネイ。「おべっかを使う。へつらう」などあまり良い意味ではない。佞から女を取ったら仁になる。人が二人でいつくしむ、などという意味はなかった。多分、お葬式の時に儒家の前身のグループの人たちは、男性も女性も、お葬式を取り仕切りながら、「亡くなった方は素晴らしい人でした。あなたがたの悲しみは深いでしょうが、あなたがたのような素晴らしい息子さんを、立派に育てられた故人は、あの世でさぞ満足しておられますよ」というふうに話すでしょう。それが佞・仁の意味するところではないか。おべっかではあるが、思いやりでもあるでしょう。
 孔子は、このような葬式を行う職能集団から出て、仁から「おべっか」的な側面をそぎ落とし、世界の秩序を再建する家族道徳のエッセンスにまで高めたのではないか。これは加地伸行氏の主張です(歪めて紹介していたらごめんなさい)。私はこの説に非常に魅力を感じていますが、高校の教科書に載せるほど定説になっていないようです。言いたかったことは、教科書の説は、たくさんの説の最大公約数的なものでしかないということです。

恕・忠・孝・悌
 恕(じょ)・忠・孝・悌(てい)は、仁の様々な形です。子供の親に対する仁が「孝」。親孝行の孝です。「悌」は弟のお兄ちゃんに対する仁。恕と忠は結構難しい。教科書には恕を思いやりと書いてあります。「心と汝(あなた)からできている」から、相手を思いやる心だと書いてある。これはいただけない。「汝」ではなく「如」ですから、心の如し、でいいのじゃないか。「心の中にある仁の赴くままに」と受け取るのが自然ではないか。  忠は教科書では「まごころ」としています。「心」の「中」にまっすぐに芯が通っている状態です。私は、こころの中心に仁の気持ちをビシッと打ち立てて、揺るがない状態を想像します。
 『論語』は自分なりに解釈する楽しみがある。現在でも新しい解釈がどんどん生まれています。

徳知主義
 家族道徳をどんどん広げていくことで、世の中に秩序を取り戻そうというのが、儒家、孔子の発想でした。具体的にどうするのか、それが徳治主義です。
 中国の思想家たちは、皆ほとんどそうだけれど、民衆に何かを語ったりはしない。彼らが自分たちの思想を語る相手は、みんな支配者です。支配者に対して「ああしたほうがよい、こうすべきですよ」という。
 さらに儒家には、人民は上の立場にある者の影響を受ける、まねをするという考えが基本にある。だから、人々の上に立つ君主が、孔子の説を一所懸命聞いて、儀式典礼をきっちり整えて、自分自身が様々な徳(仁・礼など)を身につける。このような立派な君主が上にいれば、下の者はそれを見習うので、自然と下の者も徳を身につけるようになる。こうして国が治りまる、儒家はこういう考え方をします。これが徳治主義です。
 だからかれらは、人民の側に自分たちの思想を説いたりはしない。支配者の方を向いています。孔子自身は、短い間ですが魯国の大臣になったとされていますが、そのあとはどの国にも取り立てられることはなかった。けれど、弟子たちは結構いろいろな国に役人として採用されている。つまり皆、上を向いている。君主に仕えて、その人を教え導いていくことによって、社会を良くしていくという発想なのです。

「怪力乱神を語らず」
 「怪力乱神を語らず」とはなにか。ある時に孔子の弟子が「先生、死後の世界はどうなっているのですか」みたいなこと聞いたのだろう。その答えがこれ。怪力乱神とは怪異現象や霊的な事象、死後の世界をさすとされています。「この世の中のことでさえよくわかっていないのに、妖怪や霊魂のことなど分かるわけないじゃないか。そんなことは語りません」、というのがこの言葉の一般的な解釈です。前回、儒家はもともとは、お葬式に関係のある人達ではないかという仮説を話しました。しかし、孔子になると、思想として昇華していて、死後の世界や霊魂に関する部分は完全に切り離していることがわかる。
 ソクラテスも「無知の知」といっていますね。自分が知ってることと、知らないことをはっきり分けることが、偉大な思想家の特徴かなと思います。知ったかぶりはしない。わからないことは語らない。これは実はむつかしい。偉い人になると、「知らない」といえなくなるものなのですよ。

【参考図書】
加地伸行 『儒教とは何か (中公新書)』
宮崎市定 『論語の新しい読み方 (岩波現代文庫)』
宮崎市定 『論語の新しい読み方 (同時代ライブラリー (267))』
白川静著 『孔子伝 (中公文庫BIBLIO)』

 2021年10月2日

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