世界史講義録 現代史編

 01 戦後国際秩序の構築

国際連合の成立

 まずは国際連合からです。第二次世界大戦後の世界の枠組みを決めているものとして国際連合があります。国際連合がどのようにして成立したのかについて話します。センター試験にもちょこちょこ出ていますので注意しておいてください。
 発端は、1941年の大西洋憲章です。1941年にアメリカの大統領フランクリン=ローズヴェルトとイギリスの首相チャーチルが会談をしました。ここで第二次世界大戦後の世界の枠組みについて話し合った。
 前に話したことがあるかもしれませんが、この時アメリカ合衆国はまだ戦争に参加していません。真珠湾攻撃以前のことです。ですからアメリカは戦争に参戦前から既に、戦争が終わったらどうするかイギリスのチャーチルと話し合っているわけです。こんな戦略的発想をもった相手に、日本は無謀な戦争をしたものです。
 僕らはあまり感じていませんが、 イギリスとアメリカは兄弟国です。イギリスから渡っていった人たちが独立してアメリカ合衆国を作っているので、イギリスにとってアメリカはライバルではあるけれども、親しみを感じる兄弟国です。アメリカも同じような親近感をイギリスに対して抱いています。だから何かとタッグを組んで、歩調を合わせて国際政治に登場します。その例の一つですね。
 続いて、まだ戦争真っ最中の1945年に国際連合の草案づくりの会議がありました。ダンバートン=オークス会議といいます。アメリカ、イギリス、ソ連、中国の4カ国がアメリカのダンバートン、オークスという所に集まって国際連合憲章の草案を作成した。フランスは入っていませんね。この時フランスはドイツに占領されていて、フランスという国自体がありませんから。
 そしてドイツが負けて日本が負ける間の、1945年の4月から6月に会議が開かれます。サンフランシスコ会議です。 サンフランシスコ講和会議というのとは違いますから注意してください。この会議で50カ国が集まって、ダンバートン=オークス会議で決めた草案を正式に採択します。
 1945年8月に日本が負けて、その2ヶ月後の10月に国際連合が発足します。日本が負けて、ということは第二次世界大戦が終わって2ヶ月後には発足している。2ヶ月とは、すごく早い感じがしますが、今話したように、真珠湾攻撃の前からこの計画をしていたわけですから、当たり前の話ですね。
 国際連合の本部はニューヨーク、知っていますね。 第一次世界大戦後に発足し、第二次世界大戦を止めることができなかった国際連盟はこの後、1946年に解散します。国際連盟の本部はどこでしたか。そうですねスイスのジュネーブですね。国際連合はアメリカのニューヨークですから、世界の中心がヨーロッパからアメリカに移ったということがはっきりわかる。第一次世界大戦、すでに世界の中心は事実上アメリカに移っていたのですが、まだヨーロッパが世界の中心だという伝統が強固だったことと、アメリカは発足当時の国際連盟に参加していませんから、本部がヨーロッパに置かれたのは当たり前ですね。
 観光旅行でニューヨークの国際連合本部に入れます。知り合いがここにいってきて、お土産に国連ロゴマークの入った「おちょこ」をもらいました。「おちょこ」ですよ。日本酒を飲むやつね。

国連の組織

 国際連合は参加国全てが出席する総会によって物事が決まっていきますが、総会よりも重要な組織が安全保障理事会です。国際紛争について話し合う。国際連合は国際連盟と違って戦争を阻止するため、軍事力としての国連軍を組織することができます。紛争があった時に国連参加国が軍隊を出しあって結成するのが国連軍です。国連軍を紛争地域に派遣するかどうか、国連軍の出動まではいかないけれども、国際秩序を乱すような国に経済的な制裁を加えるかどうか、などを話し合うのが安全保障理事会です。
 安全保障理事会は20カ国前後の理事国によって構成されていますが、常に安全保障理事会に議席を持っている常任理事国が5カ国あります。
 これが、アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国です。既にソ連は崩壊してロシアになっていますが、この段階ではソ連なのでソ連として話をしていきます。また、中国も発足時は中華民国です。まだ、中華人民共和国は存在していません。
 この常任理事国5カ国は、皆さんもご存知のように拒否権を持っています。安全保障理事会で何かの議題を決議する時に、この5カ国の中の1カ国でも反対すれば、その議案は否決されます。これが拒否権です。拒否権という言い方をすると、非常に大きな権限を持っているように思いますが、別の言い方をすれば、国際紛争に関する決議に関しては、この5か国の意見が一致しなければ動かないということです。それだけこの5カ国は大きな責任を持っているわけで、5大国とも言われたりします。
 なぜこの5国だけが大きな力を持っているのか、不公平ではないかと感じる人もいるかもしれません。しかしこれは歴史的経緯を考えれば極めて当たり前の話なのです。
 実は日本語で国際連合と呼んでいるこの組織なのですが、英語では United Nations。これを国際連合と訳しているのは実は、 ある意味政治的な意訳であって、同じ United Nations という単語を我々日本人は、第二次世界大戦中に関しては「連合国」と訳しているのです。
 だから英語で言えば、連合国と国際連合は何の違いもない。地続きでつながっている組織です。だから第二次世界大戦で、ドイツ・日本・イタリアと戦ったアメリカ・イギリス・ソ連・中国、そしてフランスが5大国として威張っているのはある意味当たり前。勝者の権利なのです。そう考えると現在、日本やドイツが、連合国に参加してることが、ものすごいことだという気がしてきますね。

国際経済秩序

 国際連合は政治的・軍事的に世界の平和を維持するための組織です。再び第二次世界大戦のような大きな戦争が起きないように各国が協力協調努力するための機関です。
 再び大きな戦争が起きないようにするためにこのような組織だけで良いのか。  なぜ第二次世界大戦が起こったのかを振り返ってみると、発端は1929年の大恐慌から始まる世界恐慌でした。イギリスもフランスもアメリカも、世界恐慌から自国を守るためにブロック経済を形成しました。イギリスはスターリング=ブロックというブロック経済圏を作る。植民地との貿易を中心とし、それ以外の地域との貿易をできるだけ少なくして、貿易赤字を減らそうとしました。フランスもフラン=ブロックを形成する。他の経済圏から輸入をすると、お金が国から出て行って損するからです。貿易赤字を減らそうとしているわけです。アメリカはアメリカで、植民地ではありませんがアメリカの経済圏である中南米の国々とドル=ブロックを作る。そのためにフランクリン=ルーズベルト大統領は善隣外交を展開したのでしたね。
 このブロック経済圏からはじかれたドイツや日本、そしてイタリアは大きな経済圏を作るために侵略戦争に走ったと考えたわけです。ドイツは東ヨーロッパへ、日本は中国東北地方へ、イタリアはエチオピアへといった具合です。
 要するにブロック経済で、世界中が保護貿易に走った。自分の国が損をしたくないから輸入をできるだけ小さくする。内輪だけで物をやり取りする。これが保護貿易です。
 どの国も保護貿易に走れば世界の貿易全体が縮小します。貿易で立国している日本ような国は、そんなことをされたら生きていけないので、やけのやんぱちになって戦争をした。めちゃくちゃ簡単に言ったらそういうことです。
 だからこれから戦争を起こさないようにするためには、保護貿易は駄目だということになる。どの国もどんどん貿易をしましょう。たくさん買います、たくさん売ります。各国がお互いに売り買いをして貿易が発展をすれば、経済的に結びついて戦争をする方が損になる。平和の中で貿易を続けた方が得でしょ、ということになれば、戦争は起こらないじゃないですか。
 これは、今でも言えますよね。中国と日本が領土問題などで政治関係が悪くなっても、中国から日本は大量にモノを買っているし、日本も中国から大量に買っている。もし戦争になって貿易が止まったら、日本も中国も困るから、政治関係が悪くなっても戦争になんかならないよね、と多くの人は思っています。今の話ですよ。 政治が冷え込んでいても経済交流が活発なので戦争が起こらないという考え方。「政冷経熱」という言葉で言われたりします。
 アメリカと中国も同じです。アップルの iPhone の部品の半分以上が中国で作られている状態で、戦争なんかできないじゃん、ということですね。  だから第二次世界大戦が終わった後、保護貿易に走らないような世界経済の仕組みを作ることも大事だねということになりました。

ブレトンウッズ体制

 こうして第二次世界大戦ののちに構築されたのが、ブレトンウッズ体制です。アメリカのドルを基軸通貨とする世界の経済の仕組みを作り上げました。
 貿易の際、かつては金で決済をしていました。しかし世界恐慌、第二次世界大戦を経て、各国は自国通貨を金とリンクさせる金本位制をやめてしまったので、それが機能しなくなった。かつては、各国の通貨(紙幣)は金兌換券といって、原理的には銀行で金と交換することが可能だった。それで、紙幣の価値を維持していました。これが金本位制です。それが世界恐慌前後から、維持できなくなり各国は兌換停止していきます。こうなると、各国の通貨の価値がわかりにくくなる。各国通貨感の交換比率は変動する。これは貿易を進める上で不便です。いちいちフランとポンド、ポンドとドル、ドルと円、それぞれの比率を計算するのはめちゃくちゃめんどくさい。実は現在はそうなっているのですが。
 第二次世界大戦が終わった後も、各国は金本位制に復帰しませんでした。ただし唯一の例外がアメリカです。アメリカは第二次世界大戦後も金本位制を維持します。各国の中央銀行がアメリカの連邦準備銀行にドルを持っていけば、それを金と交換することが可能でした。つまりドルは金と同じ価値がある。 また戦争後アメリカの経済が強大で安定している。そこで、国際貿易において支払う基準のお金をドルにすることにした。
 国際貿易を全てドルで決済することになれば、ドルさえ持っていれば簡単に商品が動くので便利な仕組みでした。こうしてドルを中心とする経済秩序を作ります。

国際通貨基金

 これを実行する組織が国際通貨基金。 IMF です。日本語名も略称も共に覚えておいてください。通貨と為替の安定を目指すと書いてある。異なった通貨の交換が為替です。ドルで国際間の貿易を決済するので、1ドル何ポンドですかということが分かっていないと、アメリカがイギリスの商品を輸入した時に何ドル払ったらいいか分かりませんよね。この為替を決めるのが国際通貨基金と思ってください。
 ドルの価値は決まっていました。金1オンスが35ドルです。 金の価格の変動はするのですが、基本的には安定している。だからドルの価値も安定。つぎに、このドルと各国との通貨の比率を決定していきます。この時、円に関していうと1ドル360円と決まりました。何があっても1ドル360円。だから日本で360円の商品をアメリカで売った時には、それは常に1ドルなのです。これはすごく便利です。貿易がしやすいです。現在は変動相場制なので、日本で1000円の商品をアメリカに持って行って何ドルになるかは、相場によってコロコロ変わる。円安の時にはすごく儲かるけれど、円高の時は儲からない。逆に輸入する場合は、円高の時は輸入しやすいけれども、円安の時は輸入品が高くなる。
 こういう相場をにらみながら、総合商社など貿易をやっている会社は日々の駆け引きをしています。しかし以前はそんなことを考えなくても良かったので、輸出も輸入もめちゃくちゃ楽です。
 楽ということは貿易がやりやすい。保護貿易になりにくい。貿易がどんどん発展する。こういう仕組みを作ったと考えてください。これが国際通貨基金、IMF。

国際復興開発銀行(世界銀行)

 国際復興開発銀行、またの名を世界銀行。IBRD。これは戦争で傷んだ国の経済を援助する目的でお金を貸し出す銀行です。 例えば鉄道を作りたいと考えても、資金がないような国にお金を貸す。国際通貨基金も、世界銀行も、その中心にいるのはアメリカ合衆国です。
 おまけの話です。2015年にアメリカ中心の IBRD世界銀行に対抗して、 資金を欲しがっている国にお金を貸す国際的な銀行ができました。アジアインフラ投資銀行という。 略称はAIIB。これは中国が中心に作った組織です。中国が呼びかけて世界中から参加国を集めて作っている。本部は北京です。これができた段階では、中国はこれを利用して自国の影響力を世界各地に広めようとしているのではないかと言われていました。しかし、2019年の段階で100カ国がこれに参加しています。イギリスやフランス、そしてドイツも参加しています。ただしアメリカと日本は参加していません。立ち位置がわかって面白いですね。

関税と貿易に関する一般協定

 「関税と貿易に関する一般協定 GATT(ガット)」1947年発足 。これも重要ですね。世界史でも出題されるし、「政治・経済」でも出題される。これはまさに「保護貿易はやめましょう」という組織です。各国の関税の引き下げをはかる組織と考えたらよいです。関税が下がれば外国製品が売れやすくなります。 農産物に関しては、食料安全保障の観点で関税をどんどん下げることに様々な議論が起きています。この問題については「政治・経済」や地理で詳しくやっていると思います。
 GATTは1995年に新組織となって名前が変わりました。現在は「世界貿易機構 WTO」 となっています。 役割は以前と同じと考えていいでしょう。  どんどんと関税を下げていくことは、各国の産業発展や農業保護に逆効果ではないかという話もありますが、とにかくこの段階では出来るだけ保護貿易をやめて、各国が貿易をしやすいように、経済で繋がることによって戦争を抑止しようとしたと考えてください。

【参考図書】 『世界の歴史〈28〉第二次世界大戦から米ソ対立へ (中公文庫)』油井 大三郎 , 古田 元夫 (著):やはり基本になるのはこのシリーズだと思います。文庫本で2000円とは、本も高くなりました。

 2021年6月10日

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