世界史講義録 現代史編

 02 戦後処理

ドイツの戦後処理

 ソ連軍がベルリンに迫るなか、ヒトラーは自殺し、ドイツは降伏。敗戦後ドイツは、アメリカ・ソ連・イギリス・フランスの4カ国によって分割占領されました。 289ページにドイツの地図があります。戦争末期にソ連軍は東から攻め込んできます。ノルマンディー上陸作戦に成功したアメリカ軍とイギリス軍は西から攻め込んできます。 ドイツ軍撤退後のフランスは、独立を回復し連合国に加わり、米英ソにフランスを加えた4カ国が、ドイツ敗戦後それぞれの占領分担地域を決めました。
 問題は、アメリカ・イギリス・フランスは資本主義国で、ソ連が社会主義国だったことです。ドイツが負けた時点ではこの4カ国は連合国の仲間だったのですが、何年後かにドイツを独立させなければならない。駐留経費がかかる占領をいつまでもしているわけにはいかないですからね。その際にドイツを資本主義の国として独立させるのか、社会主義国として独立させるのかという問題が、やがて起こってきました。これでアメリカとソ連が対立し始めることになります。
 それからドイツの首都ベルリンですが、ベルリンがある地域は全てソ連軍の占領下にあるのですが、首都ベルリンだけは特別に四つに分けました。ソ連の占領地域と、アメリカ・イギリス・フランスの占領する地域です。米英仏が占領しているベルリンの西地域を西ベルリン、ソ連が占領しているベルリンの地域が東ベルリン。 西ベルリンはソ連占領下のドイツ東部にポツンと島のように浮かぶ米英仏の占領地域となりました。この地理的条件が、のちにベルリン封鎖やベルリンの壁という状況を生む原因となりました。

ニュルンベルク国際軍事裁判

 敗戦時にヒトラーは自殺するのですが、ナチス・ドイツの生き残った指導者たちが、連合国によって裁判にかけられました。 これがニュルンベルク国際軍事裁判所です。
 ドイツのニュルンベルクという街に法廷が作られ、裁判が行われた。この結果、死刑とか終身刑とか、様々な刑が言い渡されるのですが、第二次世界大戦以前において、戦争に負けた国の指導者が犯罪者として裁かれるということはなかった。第一次世界大戦で負けたドイツの指導者が、犯罪者として裁かれたか。皇帝ヴィルヘルム2世は亡命してそれっきりです。それ以外の指導者も裁かれてはいません。負けたら負けで、条約を結んでおしまいです。
 この第二次世界大戦の後始末から、負けた国の指導者が犯罪者とされるようになる。人道に関する罪とか、新たに作られた罪状で裁かれた。確かにナチスドイツはユダヤ人の大量虐殺などめちゃくちゃなことをやったので、誰かが裁かれなければ気が治らないということもあったのでしょうが、それまでにない新しいパターンが生まれた。これを覚えておいてください。これ以後、戦争があった時に、戦争当事国の指導者が虐殺などの罪で裁かれることが生まれてきました。
 こんな裁判に正当性があるのか。負けたら悪なのか、という話ですね。もしアメリカが負けていたらフランクリン=ルーズベルトが罪に問われていいのか、という話になるのです。さまざまな論点があるのですが、裁判はおこなわれた。後で触れますが、日本でも同様に戦争中の指導者が裁判で裁かれました。

日本の占領

 日本は連合国軍総司令部 GHQ に占領されます。 GHQ の司令官がアメリカの軍人マッカーサーです。
 戦争末期、日本の北からソ連軍が攻めてきていました。敗戦時までにソ連軍が占領していた北方領土から北は、その後ソ連軍の占領下に入ります。
 南から侵攻してきたアメリカ軍は、敗戦時に沖縄まで占領していた。そこで日本降伏後、沖縄や小笠原(すでにアメリカ軍に占領されいた)はアメリカ軍の占領下に入りますが、日本本土は、まだどこにも占領されていなかったので、連合国軍総司令部の支配下に入ります。だからこの連合国軍総司令部というのは形式的にはアメリカ軍ではありません。しかし実状として日本とガチンコで戦って、 日本軍を追い詰めていったのはアメリカ軍なので、 GHQ の司令官はアメリカの対日戦の総司令官(太平洋陸軍最高司令官)だったマッカーサーになりました。 だから事実上日本を占領したのはアメリカ軍です。マッカーサーの意図で彼が集めた人材がが日本を支配した。
 これは厚木基地に降り立った時のマッカーサーの写真です。レイバンのサングラスにコーンパイプを持っている。この二つが彼のトレードマーク。戦争中は鬼畜米英と叫んでいたた日本人は、あっという間にマッカーサー万歳と言い始めました。
 GHQ は東京にあった第一生命のビルを接収して、ここを本部として日本の統治を始めたわけです。 1950年のサンフランシスコ講和会議で日本が独立するまで、日本は GHQ に占領されていた。この写真は1946年7月14日に大阪市役所前でアメリカ軍がパレードをしている写真です。こんなふうに大阪市内にも普通にアメリカの兵隊がたくさんおったんや。7月14日というのはアメリカの独立記念日。その式典のパレードを大阪市役所前で行っているわけですね。
 こちらの写真はマッカーサー司令官と昭和天皇のツーショット。マッカーサーの考えとしては日本を支配する時に、 GHQ もしくはアメリカ軍が直接支配するとうまくいかないかもしれない。日本人は天皇の言うことなら聞くので、天皇及び日本政府を残しておいて間接統治をすることにした。昭和天皇も自分の地位が心配なので、マッカーサーのもとに表敬訪問をした。その後で二人で記念写真を撮る。マッカーサーは平服です。 たくさん勲章をつけた儀式用の立派な軍服ではなく、普段着の軍服を着ている。その横には燕尾服を着た昭和天皇が立っている。マッカーサーはこの写真を日本中の新聞に掲載することを命じます。翌日の新聞の朝刊にはこの写真が載った。日本人みんながこの写真を見たわけです。昭和天皇は一応「気を付け」の姿勢ですね。なんとなく右足が前に出て「休め」ぽい感じもする。わずかな抵抗かもしれない。マッカーサーは腰に手を当てて明らかにくつろいでいる姿勢ですね。気楽にしている。どちらが上でどちらか下か、写真を見た人は誰もが了解しました。日本は負けたんだと実感した。
 ドイツでニュルンベルク国際軍事裁判所が開かれたように、日本でも戦争の責任者が裁判にかけられました。極東軍事裁判という。俗に東京裁判。天皇を法廷で裁くべしとの意見もありましたが、マッカーサーは日本統治には天皇が必要ということで、天皇の戦争責任は問われず、東条英機以下28名が裁かれた。東条は絞首刑になっています。
 さて、GHQは日本の軍国主義が問題だったと総括し、日本の民主化に着手します。軍隊の解散。女性の解放。今の皆さんには信じがたいかもしれないけれども、戦前は家制度があって、女性は成人であっても家長であるお父さんに服従しなければならなかった。女性には参政権もなかったし、 家長の許可がなければ結婚をすることもできなかった。GHQの改革によって、女性にも男性と同等の権利が与えられ、家制度もなくなります。また、農地改革で地主から土地を取り上げて、土地のない農民に分けました。これ以来、日本の農民は皆土地を持つようになる。小作農はいなくなります。土地を持たない農民がいない国になります。戦前の地主小作制度が完全に解体し、ものすごく平等になったのです。これはすごくうまくいった。それから教育改革で教育基本を定める。そして日本国憲法。
 GHQによる占領は、世界の歴史の中で稀に見る上手く行った占領です。普通、戦争で負けて占領された国の国民は、反抗したり抵抗したりするのですが、そういうことがほとんど起こらない。日本人はみんなアメリカが大好きになってしまうという不思議な状態になりました。そもそも、日本が独立国ではなく、他国に占領されていたという歴史の記憶すら、ほとんどなくなっています。

【ちょっとさかのぼって戦争に関する本。印象に残ったものです】
占領と改革―シリーズ日本近現代史〈7〉 (岩波新書)』 雨宮昭一、2008
太平洋戦争の歴史 (講談社学術文庫)』黒羽 清隆、2004
アジア・太平洋戦争―シリーズ日本近現代史〈6〉 (岩波新書)』吉田 裕、2007
日本の歴史 (22) 大日本帝国の試煉 (中公文庫)』隅谷三喜男、1984

 2021年6月14日

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