世界史講義録 現代史編

 03 ヨーロッパの東と西

東欧

 第二次世界大戦後のヨーロッパの情勢です。東ヨーロッパには多数の親ソ政権が誕生します。ソ連軍は大戦末期に、ドイツによって占領されていた東欧諸国のドイツ軍を駆逐しながら進撃します。その際、ドイツ軍が撤退した諸国をソ連軍が一時的に占領することになる。
 終戦後、ソ連軍は東欧諸国から撤退するのですが、その際に各国に親ソ政権を樹立させていきました。ソ連は社会主義国で、ソ連共産党が政権を握っています。各国には、共産党、ないしはそれに類する政党、または政治勢力があった。ソ連共産党の友党ともいうべき政治勢力です。たとえ勢力が小さくても、支持者が多くなくても、そんなこととは関係なく、撤退していくソ連軍は、これら友党をそれぞれの国の政権につけていったのです。各国の政権を支えるのはソ連です。当然政治体制は社会主義となる。
 こうして、ソ連のバックアップで社会主義となった国は、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア、チェコスロヴァキア(チェコとスロヴァキアはまだ一つの国です)、です。それぞれの国民が、社会主義政権を望んでいたかどうかはわかりません。彼らの意図とは別の次元で、ソ連軍の圧力の下で、そうならざるを得なかったのです。これらをソ連の衛星国と呼ぶことがあります。これらの国では、ソ連の意向を無視して国内改革をしたり、社会主義をやめることなど許されませんでした。
 このようにできた親ソ社会主義政権は、自国も民主主義国であるとして、自国の体制を「人民民主主義」と呼びました。昔私は、国名に「人民」と「民主主義」の二つが付くと、社会主義体制の別名とだな思っていました。いまも、北朝鮮は正式には朝鮮民主主義人民共和国で、ちゃんと「人民」と「民主主義」がついています。
 東欧社会主義国の中で、別格なのがユーゴスラヴィアです。ここだけは、地図でもソ連と同じピンク色に塗られてない。なぜか。それは、ユーゴはソ連の力とは無関係に社会主義政権が誕生したからです。ユーゴではドイツ占領下時代に、ティトーが率いるパルチザン(対独抵抗運動)が盛んにおこなわれ、ドイツ撤退後、独自に社会主義政権を立てたからです。だから、ソ連の衛星国ではない。しばしば、ソ連と対立もします。

アメリカの封じ込め政策

 第二次世界対戦後、東ヨーロッパにソ連の影響下にある社会主義諸国が生まれたことに対して、いち早く警戒感を表明したのがイギリスの元首相であるチャーチルです。
 チャーチルは、1946年アメリカの大学に招かれて行った講演において、有名な「鉄のカーテン演説」を行いました。「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた」というのがその中心部分です。この ラインに線を引くと大体西ヨーロッパと東ヨーロッパに分けられる。ここに鉄のカーテンがおろされていて、 向こう側の様子は窺い知れない。ソ連の勢力拡大を非難し、不信感と敵対心を煽る演説でした。
 元々チャーチルのソ連嫌い、社会主義嫌いは有名です。第二次世界大戦中はドイツと戦うためにやむなくソ連と手を組んでいたわけですが、 戦争が終わって持ち前のソ連嫌悪が前面に出てきた感じです。
 この演説をきっかけにして、アメリカを中心とする資本主義諸国はソ連および社会主義諸国に対して強い警戒感を抱くようになる。
 この流れの中で、1947年のトルーマン=ドクトリンが発表されます。トルーマンはアメリカ大統領、ドクトリンは宣言というような意味です。トルーマンの前のアメリカ大統領はフランクリン=ローズヴェルトです。第二次世界大戦終結直前にローズベルトは死にました。元々ポリオを患っていて体が丈夫ではなかった。戦争で激務だったんでしょう。ヤルタ会談の直後に病死。そして副大統領だったトルーマンが昇格して大統領となりました。第二次世界大戦中のアメリカの指導者は、戦争終結直前にローズベルトからトルーマンに変わるので、注意が必要です。日本降伏時の大統領はトルーマンです。広島と長崎に原爆を投下する命令書にサインをしたのもトルーマンです。原爆を作る作戦をしたのはローズベルトですけれどもね。
 そのトルーマンがトルーマン=ドクトリンを発表しました。ギリシャとトルコに経済援助と書いてあります。ギリシャとトルコは非常にやばい。鉄のカーテンの向こう側なのです。しかもソ連に近い。 この両国がソ連に誘われ、ソ連の力によって社会主義になってしまっては嫌なのです。封じ込めたい、これ以上ソ連の勢力圏が広がるのを止めたい。ギリシャとトルコが社会主義にならないようにしたい。
 どのような国が社会主義になるのか。経済が困難な国、発展が遅れている国は社会主義の方が経済発展するのではないかと思う、そういう国は結構あった。そうならないようにお金をバンバン渡す。アメリカ側についておけば、資本主義のままでいれば、アメリカが経済援助をするよ、お金に困っているのならばアメリカが貸すよ。こうしてギリシャとトルコにお金を援助する計画を立てました。
 これを具体化したのが1947年マーシャル=プランです。マーシャルは人名、アメリカの国務長官。国務長官は外交のトップです。トルーマンの意を受けてギリシャとトルコに資金を援助する。これがマーシャル=プランです。
 このようにして、まずアメリカ・イギリスチームが、ソ連チームを敵視して外交を展開した。

ソ連の対応

 これに対してソ連側も対抗します。まずはソ連側のチーム固め。コミンフォルムという組織を結成します。各国共産党の情報交換機関です。ソ連共産党がそのリーダー。各国には共産党ないしは、名前は違っても同様の政党があります。東ヨーロッパではそれらの政党が権力を握っている。そこで「我々は我々同士で協力しようよ」ということで、各国で政権を担う共産党間の情報連絡機関を作った。これがコミュにフォルムです。
 かつてロシア革命が起こった時、1919年にロシアはコミンテルンという組織を作っていました。これは世界各地の社会主義革命や民族独立革命を支援する組織で、本部はモスクワにあった。事実上ソ連が指導する、社会主義を広める組織です。これが世界各地で革命運動の推進をしていたのですが、1943年に解散します。ソ連は、第二次世界大戦でアメリカやイギリスと連合国を形成して、ドイツと戦うことになった。アメリカやイギリスはコミンテルンという組織はすごく嫌です。世界に社会主義を広めるのですからね。コミンテルンを維持してままでは米英との円滑な協力関係が築けないと判断して、ソ連はコミンテルンを解散しました。
 それ以来コミンテルン的な組織はなかったのですが、第二次世界対戦後になってアメリカとイギリスがソ連を敵視し始めたので、だったらもう一度作ろうぜ、ということでコミンテルンが作られた。ただし、コミンテルンほど強力な組織ではない。 コミンフォルムはバージョンダウンですね。
 コメコンは社会主義国同士で経済協力をしましょうという組織です。正式名称は経済相互援助会議といいますが、 コメコンで覚えてもらえばよいです。  ユーゴスラビアはコメコンには入っていません。コミンフォルムには加盟しましたがすぐに除名されています。

ヨーロッパの対応

 チェコスロバキアは、第二次世界大戦直後から社会主義になるのか資本主義になるのかゆれていたのですが、1948年にチェコスロヴァキアの共産党がクーデターを起こして社会主義政権を樹立しました。チェコスロバキアの社会主義化、というところに線を引いておいてください。
 西ヨーロッパの国々にとってはものすごくショックです。共産党の連中はクーデターを起こす、武力で権力を握るかもしれない。フランスにもイタリアにも、どこの国にも共産党という政党があります。 西ヨーロッパ諸国の政府は、共産党を危険視しますが、当時西ヨーロッパの国々で共産党は人気がありました。イタリア共産党やフランス共産党は人々の信望を集めていた。なぜかというと、ユーゴスラビアと同じで、ナチス占領下の時代、もしくはファシズム政権の時代に、レジスタンスやパルチザンとして命がけの抵抗運動をやっていたからです。ファシズムと戦った人達ということで、高い人気を保っていました。だからいっそう西ヨーロッパ諸国の政権担当者は危機感を募らせます。
 こういう情勢のなか、1948年、西ヨーロッパ連合条約、別名ブリュッセル条約が締結されます。参加国はイギリス、フランスおよびベネルクス三国です。ベネルクス三国とはドイツとフランスの間に挟まれたオランダ、ベルギー、ルクセンブルグのことです。 西ヨーロッパ連合条約は簡単に言えば軍事同盟。集団的自衛条約と書いてありますね。仮想敵は社会主義国です。
 あまり言葉を区別せずに使っていましたが、社会主義と共産主義はここでは同じ意味だと考えておいてください。人によって定義が違ったりするのですが、ここでは同じものと考えてください。
 社会主義を仮想敵とする西ヨーロッパ連合条約が生まれると、「それはいいじゃないか」ということでアメリカもこれに参加、翌年、北大西洋条約機構(NATO)に発展します。
  NATO はソ連を敵視する軍事同盟だったので、1991年にソ連が崩壊すると存在意味はなくなったのですが、ソ連がロシアになってもなくならず、だらだらと存在し続けています。これはアメリカの世界戦略と多分関係しているのだと思う。
 話を戻しますが、こんなふうにして西側諸国は軍事同盟を作ってまでソ連に対立する。これを冷戦という。 ソ連とアメリカの対立、もっと大きくいえば資本主義と社会主義の緊張と対立を指します。米ソ対立とか東西対立とか様々ないい方をします。
 第二次世界大戦末期に、アメリカは日本に原爆を投下していますから、アメリカが核兵器という桁違いな破壊力を持つ兵器を持っていることを、ソ連は知っている。 これに対抗してソ連も第二次世界大戦後まもなく、1949年には原子爆弾を保有します。米ソともに核兵器を保有すると、両者が実際に戦争すれば核兵器を互いに落としまくることになる可能性が高い。そうなると勝者になっても放射能に汚染され、意味がない。だからどれだけ対立していても、実際に武器を使う熱い戦いになることは危険です。だから熱くない戦い、冷戦といういい方をする。
 今までの展開で分かると思いますが、 この冷戦、米ソ対立はおおむねアメリカ側が先手をうっている。 NATO に対抗してソ連がワルシャワ条約機構という軍事同盟を作るのは1950年代になってからです。しかも軍事同盟といっても実際にはアメリカと対抗するというよりは東ヨーロッパの社会主義諸国を引き止め、ソ連圏から離脱しないように恫喝する組織として機能しました。 冷戦時代、わずかな時期を除き概ねアメリカ側が優位に立っていたと考えてよいと思います。

ドイツの分裂

 ドイツは4カ国が分割占領していたけれども、はじめからドイツを2つの国にするつもりではなかった。しかし、アメリカとソ連が対立を始めると、独立後のドイツの国家体制について、つまり資本主義の国にするか社会主義の国にするか、意見が一致するわけがありません。結局二つに割って、独立させることになりました。
 アメリカ・イギリス・フランスとソ連の占領地域を一つにして独立させることは無理だなと、アメリカやイギリスは思い始めて、アメリカ・イギリス・フランスの占領地域のみで国を作る準備を始めます。具体的には米英仏の占領地域で通貨改革を始める。西側地域だけで勝手にそんなことを始めたことに、ソ連は怒る。
 そこで西側の通貨改革に対抗して、西ベルリンを封鎖する。西ベルリンに通ずる道路や鉄道を遮断して、兵糧攻めにするわけです。西ベルリン市民を人質に取って通貨改革を断念させようとした。これがベルリン封鎖という事件です。注意して欲しいのですが、ベルリン封鎖はベルリンの壁とはまったく別のものです。ごちゃごちゃにしないようにしてくださいね。
 外部から様々な物資、生活必需品や医薬品などが入ってこなくなるのですが、アメリカはベルリン封鎖に対抗して、輸送機を西ベルリンの飛行場に飛ばして必要物資を送り届けました。ということで封鎖しても兵糧攻めは成功せず、ソ連はベルリン封鎖を解きました。
 しかしこんな事件が起こるようでは、米ソの占領地域を一つの国とすることは絶対無理です。
 こうしてアメリカは、 米英仏の占領地域を、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)として独立させます。西ベルリンは ソ連占領地域にあるので、ボンという小さな街を事実上の首都にしました。
 ソ連は自国の占領地域を、ドイツ民主共和国(東ドイツ)として独立させる。首都は東ベルリン。
 こういう事態を分断国家という。ドイツ人の意思は全く反映されていません。西ドイツ地域に住んでいる人、 東ドイツ地域に住んでいる人、これらの人々がどう考えているかは一切無視です。国際関係によって国が二つに分けられてしまったのが分断国家。
 今これが世界にひとつだけ残っています。北朝鮮と韓国です。 二つの国に分かれたのは北朝鮮の人や韓国の人の意思とは一切関係がありません。国際関係によってそうなってしまっただけです。

 2021年06月20日

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