世界史講義録 現代史編

 05-1 東アジアの情勢1

中国 国共内戦から中華人民共和国の成立へ

 第二次大戦中、中国では日中戦争が続いていました。日本は中国を降伏させることができなかった。第二次世界大戦の日本の敗北は、中国に負けたことでもあったのです。連合国の一員として、日本と戦い続けた中国は、戦後は五大国の一角を占めるほどに国際社会での地位を高めました。
 この中国は、具体的には中華民国・国民政府であり、指導者は中国国民党の?介石です。ようやく得た平和もつかの間、1947年、 中国国内で内戦が起きます。国共内戦です。「国」は国民党、国民政府をさす。「共」は中国共産党です。

 ちょっと振り返っておきましょう。 国民政府と延安に根拠地を建設した中国共産党は対立を続け、国民政府は対共産党の討伐戦を続けていましたが、1937年、張学良による西安事件の後、 第二次国共合作が成立しました。国民党の国民政府と中国共産党が協力して日本と戦う事になったのです。

 そして、第二次大戦で日本が負けました。第二次国共合作はうまくいったわけです。中国の勝利です。この写真は、勝利の直後のものです。国民党の?介石と共産党の毛沢東が乾杯しています。祝杯をあげている。表面的には「これからも協力しよう」といっているようですが、?介石は資本主義の中国、共産党は社会主義の中国を作りたい。元来相容れない。 結局1947年に国民政府国民党と共産党の内戦が始まった。これが国共内戦です。

 この写真では地方の長老が、「民族の救いの星」というペナントを?介石にプレゼントしている。一方こちらは、毛沢東が農民と談笑しています。ともに宣伝写真と思われますが、中国共産党は、土地解放といって、地主から土地を取り上げて貧しい農民に分配するという政策を推し進めていました。中国は圧倒的に貧しい農民が多い。農民たちは毛沢東の共産党を支持しました。
 アメリカは?介石の国民党を支援します。しかし皮肉なことに、国民党はアメリカの支援があったがために、国民の支持を取り付けるという努力を怠った。国民の支持がなくてもアメリカの支援で何とかやっていけたわけだ。 しかし、どこの支援も受けていない中国共産党は、中国の圧倒的大多数を占める貧しい農民の支持こそが頼りです。中国共産党の軍隊は、日中戦争時以来、規律正しく行動し、人々の信頼を勝ち得ていった。一方で国民政府国民党の軍隊の腐敗は甚だしかったようです 。

 結局、多数の農民の 支持を獲得した中国共産党が内戦に勝利します。1949年、共産党による中華人民共和国が成立しました。国家主席は毛沢東。首相は周恩来です。首都は北京。この写真は北京の天安門で、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言している写真です。
 1950年には中ソ友好同盟援助条約が結ばれて、中華人民共和国はソ連・東側陣営の一員となります。ただし東ヨーロッパのポーランドやハンガリーとは違って、中国共産党は、自力で社会主義国家を樹立したので、ソ連と対等です。ソ連の衛星国家ではない。だからソビエトが崩壊して東ヨーロッパの社会主義の国が全て資本主義になってしまった現在でも、共産党が中国では権力を握りつづけています。今の中国は、経済的には資本主義の国ようになっていますが、公式には社会主義国と名乗っています。

 負けた?介石の国民党・国民政府は台湾に逃れました。海軍のなかった中国共産党は台湾にまで攻め込むことはできなかった。そこで、台湾の島一つを領土にして中華民国が存続することになりました。
 国民政府が負けたのが1949年。国際連合は1945年に出来ていましたね。この段階では中華人民共和国はまだなかったので、国連成立時の中国の代表は中華民国です。その後49年に、中華人民共和国が中国大陸を支配した。?介石の中華民国は台湾しか保有していないけれども、その後もずっと、この台湾のみの中華民国が国連の中国代表です。これに対して中華人民共和国は、「台湾の自称『中華民国』は国ではない。台湾は中華人民共和国の一部である。変な連中が勝手に台湾を占拠しているだけである」と主張していました。現在もそう主張しています。
 逃げた?介石の中華民国側は、「我々が本当の中国です。赤賊が中国大陸を占拠しているので、我々はいつか中国大陸を取り返す」といっていました。さすがに今はいっていませんが。お互いにお互いを認めていないので、国際社会において中華民国を認めた国は、中華人民共和国を認めることはありません。逆に中華人民共和国を認めた国は、中華民国を認めることはありません。 1949年から現在まで同じです。

 日本は1970年代まで台湾の中華民国を正しい中国と認定していました。中国大陸にある中華人民共和国を認めていなかったので、外交関係が全くなかった。アメリカも同じです。  でもさすがに、広大な領土と人口をもつ中華人民共和国を無視できないでしょう。そこで1970年代になって、アメリカも日本も、中華人民共和国を正式な中国として認めるようになります。それと同時に中華民国を認めなくなります。これ以後、我々は中華民国と呼ばず台湾と呼んでいます。国連代表権も中華人民共和国に移ったため、国際的に正式な国と認定されなくなった中華民国(台湾)は、オリンピックなど国際舞台に出てくる時はチャイニーズ・タイペイという名前で出てくる。中国の一地域として参加しているわけです。

 最近、中国と台湾の緊張関係が話題になっています。 アメリカや日本が台湾海峡の緊張状態に言及することに、中国は内政干渉だとして怒っています。中国にとって台湾は自国の一部なので、台湾との関係について他の国が口出しすることに対しては敏感です。それはそれで筋が通っているわけです。日本やアメリカは、正式には台湾を国として認めてはいないのですから。

 2021年06月29日

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