世界史講義録 現代史編

 05-2 東アジアの情勢2

朝鮮半島と戦後日本

朝鮮の分断国家

 1945年8月15日日本の植民地支配が終わった後すぐに、朝鮮半島で半島の人々による独立政府が樹立されれば良かったのですが、日本の植民地支配の下で半島には新しい国づくりをする勢力はありませんでした。独立運動政治家たちは、ソ連に亡命したり、アメリカに亡命したり、上海租界に逃げていたりした。ベトナムのホー=チ=ミンのような人がいれば、日本の支配が終わった直後に独立国ができたかもしれませんが、そんな人はいなかったため政治的な空白が生まれました。
 そこに南からアメリカ軍、北からソビエト軍がやってきて、北緯三十八度線で南北に分割占領されました。とりあえず日本がいなくなったので、アメリカとソ連では分け分けして占領したわけです。将来的には一つにまとめて独立させるつもりだったかもしれませんが、米ソ対立が激しくなる中で、ドイツと同じように 二つの地域が分裂したまま独立させました。

 ソ連占領地域に作られたのが朝鮮民主主義人民共和国。指導者は金日成(キムイルソン)。アメリカ占領地域には大韓民国が作られた。大統領は李承晩(イスンマン)。
 日本の植民地時代に、ソ連軍と行動を共にして独立運動家が金日成。李承晩はアメリカに亡命して独立運動をしていた人物です。 ソ連とアメリカが、それぞれ北朝鮮と韓国を建国する際に、自分達に縁のあった人物を連れてきて、それぞれの指導者に据えたわけです。ともに北朝鮮や韓国の人が選んだわけではない。ソ連が選び、アメリカが選んだ。それぞれの国も、 それぞれの地域の住民が建国しようとしたわけではなく、ソ連が作りアメリカが作った国です。

朝鮮戦争

 金日成も李承晩も、それぞれソ連とアメリカによって指導者になったわけですが、米ソ両国が彼らをずっとコントロールするわけではない。ソ連もアメリカも、それぞれの国を植民地にするつもりではありません。政権ができた後は金日成も李承晩も、それぞれ自分たちの志す政治をしていく。
 さて、朝鮮半島は元々一つの国だったわけです。ずっと昔にさかのぼれば、百済や新羅、高句麗に分かれていた時代はありましたが、新羅によって統一されたあとは、ずっと一つの国だった。二つに分かれていることは異常事態です。そこでひとつの国にしようという動きは当然起きます。
 1950年6月、統一を目指し北朝鮮軍が南に軍事侵攻しました。これが朝鮮戦争です。どちらが先に戦争を仕掛けたか、長い間わからなかったのですが、ソビエト連邦が崩壊したあと様々な文書が公開されて、現在は北朝鮮側から戦争をはじめたことが分かっています。
 北朝鮮軍の突然の侵攻を受けて、韓国軍は崩壊、韓国政府の支配領域は釜山周辺のみという状況に追い詰められます。これは朝鮮戦争の地図を見るとよくわかりますね。このままいったら韓国は滅びる。韓国が滅びれば、朝鮮半島を全体が社会主義の朝鮮民主主義人民共和国になる。しかし、これは明らかに北側による侵略でしょう、ということで、国際連合安全保障理事会が開かれ、韓国を救援するために国連軍が派遣されることになった。(法的には正式な国連軍ではないとされますが、世界史では一般には国連軍として話をすすめています)。

国連軍の参戦

 前にも話しましたが、国際連合安全保障理事会は米英仏ソ中の五か国が拒否権を持っている。1カ国でも反対すれば国連軍は動きません。ソ連はどうしたのかという話ですね。ソ連は北朝鮮の味方のはずです。なぜ、国連軍派遣に反対しなかったんか。実はこの問題を安保理事会で話し合った時に、ソ連代表は欠席していたのです。その隙をついて4カ国はこの案を通した。ソ連はなぜ欠席したかというと、その理由は中国です。
 1949年に中華人民共和国が成立です。朝鮮戦争勃発の前年です。まさに東アジアは激動している。中華民国は台湾に逃げている。しかし国際連合や国際社会では、台湾しか支配していない中華民国を中国代表として認めており、中華人民共和国を認めていない。したがってこの時の安全保障理事会の中国とは中華民国です。
 「それはそれおかしいじゃないか、中国大陸を支配している中華人民共和国こそが中国である」と、国際社会が未だに中華民国を中国代表としていることに抗議して、ソ連は安全保障理事会に欠席していた。その時に国連軍派遣が決定された。ソ連はいないので拒否権を発動しようがないというわけです。
 この写真は北朝鮮軍がソウルに入城してきたところです。「北朝鮮軍を歓迎する市民」という題名の写真ですが、まだ北朝鮮がどんな国かは分かっていないし、朝鮮半島の人としては国が一つになった方がいいと思っているだろうし、北朝鮮側が撮った宣伝写真でもあるから、ここに写っている人達がどういう気持ちで旗を振っているか分かりません。
 さて、国連軍が出動することになった。国連軍というのは様々な国の軍隊が、国章を国連マークに付け替えて出動する。様々な国の軍隊が国連軍になるわけです。この時どこの国の軍隊が国連軍になったかというと、主にアメリカ軍です。アメリカ軍はどこにいるか。日本列島にいる。 GHQ に占領されている日本には、アメリカ軍がたくさん駐留している。ここにいるアメリカ軍が、朝鮮半島に出動するのが一番合理的。だから、日本駐留米軍が国連軍として朝鮮半島に出動した。
 この写真は、GHQ の司令官だったマッカーサーに国連旗が渡されている写真です。そしてマッカーサーは国連軍の司令官として、日本にいたアメリカ軍を率いて朝鮮半島に出兵しました。地図を見てもらうと、日本列島から国連軍はプサンに向かっているわけですが、もう一つ、ソウルに一番近い海岸である仁川にも向かっています。北朝鮮軍はプサンまで進撃しているので兵站、つまり補給量が長く伸びきっている。これを断ち切るために仁川上陸作戦がおこなわれた。これがうまくいって北朝鮮軍は兵站を切られて守勢に転じます。この写真は先ほどとは逆で、ソウルの入った国連軍が街で戦っている写真。このバリケードの向こう側に、北朝鮮軍がいるのでしょう。面白いことに、この建物には既にスターリンと金日成の肖像画が掲げられていますね。その前で戦闘している写真です。

中国人民義勇軍の参戦

 次の地図を見てもらうと、今度は国連軍が北朝鮮領に攻め込んで、北朝鮮の支配地域は中国との国境線のみになっています。このままいくと、今度は北朝鮮が滅びることになる。北朝鮮が滅びると困ると思った国がありました。ソ連ではありません。ソ連軍が朝鮮半島に救援に出てくれれば、朝鮮半島で国連軍という名前のアメリカ軍と戦うことになる。さすがにそんなことはできない。国連軍と戦うと国際社会から非難されるし、ヘタをすれば核戦争に発展する恐怖もある。

 ここで北朝鮮を救うために出てきたのは中国軍です。正式には中国人民義勇軍という。 これは中国人民義勇軍の写真です。武器は非常に貧相です。主に日本軍から獲得した武器だと思います。しかし兵隊の数はめちゃくちゃに多い。これが中国の国境から北朝鮮にどっと入ってきて、国連軍と戦って、今度は逆に国連軍を押し返していきます。

 繰り返しますが、1949年に中華人民共和国の成立が宣言される。首都は北京。?介石は台湾に逃げて中華民国を維持します。お互いに相手を認めていません。 ?介石は「赤賊が中国大陸を乗っ取っている。彼らから武力で大陸を取り返す」と言っている。「大陸反攻」というスローガンを唱えていました。アメリカはその?介石を支援をしている。
 その翌年に朝鮮半島で戦争が起こり、国連軍名義のアメリカ軍が入ってきて、それが中国国境に迫っているわけです。これを見て毛沢東をはじめとする中国共産党の指導者たちは、次のようにしか考えられなかった。「このままアメリカ軍が北朝鮮を滅ぼしたら、彼らは国境を越えて北京まで攻めてくる」と。だって大陸を取り返せと言っている?介石を、アメリカが支援しているのだから。
 軍隊の装備でいえば、中国は絶対にアメリカには敵わない。何しろ中華人民共和国は建国して2年目です。だから韓国との緩衝地帯である北朝鮮を潰してはダメ。 北朝鮮がアメリカ軍から中国を守るための防波堤なのです。
 そこで北朝鮮を救援に軍隊を送る。しかし北朝鮮と戦っているのは名目国連軍です。国連軍と戦うということは、 大っぴらに国際社会を敵に回すということです。今でさえ中華人民共和国を承認している国は少ないのに、その上さらに国連軍と戦うことになれば、絶対に国際社会に認められることはない。そこで中華人民共和国政府の政府軍ではなく、 ボランティアで北朝鮮を守りたい連中が勝手に行っているんですよ、という形にする。そこで中国人民義勇軍という名前になっているわけです。

休戦協定

 結局、中国人民義勇軍は国連軍を押し返し、1950年12月以降は戦線が膠着します。この膠着状態が2年間続き、決着がつかないので1953年に休戦協定が結ばれました。戦争が始まる前の北緯三十八度線で国境が固定されました。そして今に至る。
 1953年の休戦協定が結ばれてから、現在2021年に至るまで、北朝鮮と韓国の間で平和条約は結ばれていないので、法的には両国の間は現在も休戦中です。 再び戦争になることはないと思いますけれどもね。だから時々北朝鮮側が国境地域の韓国の島に大砲を打ち込んでもすごく大きな問題に発展しない。多分、これは基本的に休戦中だからですね。
 写真を少し見てみましょうか。これは中国人民義勇軍が攻め込んでいるところ。これはマッカーサーとトルーマン大統領のツーショット写真ですね。マッカーサーは国連軍の司令官として朝鮮半島で戦っているのですが、中国人民義勇軍がやってきて押し返される。悔しいマッカーサーは、中国に核兵器を投下しようという。このままでは勝てないので核兵器を落としましょうと、トルーマンに進言する。トルーマンはさすがにそれはやばいと思う。広島と長崎に核兵器を使って、散々非難されている。核兵器を使ったら正義がなくなる。あくまでも国連軍ですからね。だからトルーマンは核兵器は使わないというのです。しかしマッカーサーは傲慢な男なので、すごく頑固に核兵器使用を言い張るので、最後にトルーマンはしゃあないなぁと言うて、マッカーサーを解任します。 朝鮮戦争最中に解任です。GHQ 司令官も解任されていますね。余談ですけどもマッカーサーは核兵器使いたいなどと我が儘をこねずに、トルーマンの言うとおりにおとなしくしていればこの後大統領になったかもしれない。しかしここでケチがついたわけです。のちにマッカーサーは大統領選協に出馬して、落選しています。
 こんな写真もありました。北朝鮮の兵士が捕虜になっている。全員素っ裸にされてバンザイさせられていますね。武器を隠し持っているかどうかを調べているのかわかりませんが、降伏するとこんなふうに部隊の全員が丸裸にされるんですね。
 一番悲惨なのは朝鮮半島の一般の人達です。いきなり始まった米ソ対立の代理戦争のような戦争で、自分の村は戦場になり、兵士になった息子たちは殺され、一般民衆も被害を受ける。並べられた遺体を前に泣き叫んでいる女性の写真。牛の上に家財道具をのせて避難する人たち。家財道具などをみると、当時の生活の様子が垣間見える。多分この頃日本でも、同じような生活状態だと思います。こちらは、十歳ぐらいの女の子が妹を背負って逃げている写真です。道路には戦車のキャタピラの跡がある。手前には兵士の遺体の一部が写っていますよね。ここは戦場だったのですね。

 休戦協定は三十八度線の板門店で結ばれた。国連軍、韓国軍、北朝鮮軍、中国人民義勇軍が休戦協定に調印している。現在も国境線の南北何キロかは非武装地帯になっていて、軍隊が入らないところ。三十八度線の板門店には国連軍兵士がいて監視をしています。  『愛の不時着』で、主人公の女の人がパラグライダーで落ちてしまったのが、三十八度線の北側の非武装地帯ですね。慌てて逃げ帰ろうと思ったら反対に北側に走ってしまって、非武装地帯を越えて北朝鮮の村に着いてしまった、というところから話が始まります。『愛の不時着』を見たいがために Netflix に入ってしまった。去年の年末、どこにも行けずに暇だったので、一気見してしまった。『愛の不時着』見てたので、年末の NHK の紅白歌合戦を見なかった。人生の中で紅白歌合戦を見なかったのは、去年の暮れが初めてでした。以上で朝鮮戦争の話はおしまい。

日本の独立と日米安全保障条約

 1950年に日本のすぐ北側で朝鮮戦争が始まる。第二次世界大戦が終わってわずか5年後ですよ。ヘタをすれば、この戦争が日本列島に飛び火するかもしれないという話です。  朝鮮戦争の勃発で、日本列島にいたアメリカ軍が朝鮮半島に出動している。ということは日本列島のアメリカ軍は手薄になる。朝鮮戦争が収束せずに極東の政治情勢が流動化したら、そのすきに北からソ連軍がやってくるかもしれない。日本国内でも社会主義勢力による革命運動が高揚して革命的な情勢になるかもしれない。
 手薄になった日本列島を補充するために、アメリカからさらに軍隊を呼んでくる話になるのか、というとそうはならない。お金がかかるから。他国に自国の軍隊を派遣し、駐留させるにはすごくお金がかかる。だから、もう日本は自分の国のことは自分で守れやという話になる。アメリカ軍にたよるな。日本はもう独立しなさいという話になる。
 そこで朝鮮戦争が始まった翌年1951年に、サンフランシスコ講和会議が開かれた。日本と西側諸国の間で講話条約が結ばれて、日本の独立が認められます。この会議にはソ連など社会主義圏の国々は呼ばれなかったので、片面講和とも呼ばれました。
 ただしアメリカ軍としては、日本を独立させるけれども、北朝鮮で戦っているアメリカ軍の基地として日本列島を使いたい。それから日本列島のすぐ北にはソ連がある。だから日本にアメリカ軍が駐留していれば、ソ連を東から封じ込めるには都合がいい。普通、独立国には他の国の軍隊はいないものですが、日本が独立した後もアメリカ軍にさせてくれるという条約を結ぶ。これが日米安全保障条約です。これで、日本独立後もアメリカ軍が引き続き日本に駐屯することとなりました。
 また、アメリカ軍に頼るなということで、警察予備隊がつくられ後の自衛隊に発展していきます。この後、徐々に在日米軍の数は少なくなり、基地も縮小していますが、いまだに沖縄にはたくさんの基地が集中している。
 随分前に登山部の顧問をやったことがあって、トレーニングで金剛山や六甲山に登ったりした。今は開放されていますが、そのころ六甲山に登ると、山頂には建物があって周りをフェンスで囲まれていた。そのため、六甲山の頂上に立つことはできませんでした。これは何だったかというと、米軍のレーダー基地です。人はいないです。無人のレーダー基地です。30年ぐらい前だったかな。今はなくなって山頂を踏めますけれどもね。

 サンフランシスコ講和会議での講和条約はは西側諸国としか結んでいなかったので、1956年に日ソ共同宣言が結ばれました。平和条約までは至らなかったので「宣言」という形ですが、これによってソ連が日本の独立を認めることになった。そこでこの年、日本はようやく国際連合に加盟することが認められました。ついでに言っておくと、共同宣言には北方領土を日本に返す話も盛り込まれていました。ただし未だ実現していませんね。時々持ち出される理屈ですけれども、現在も日米安全保障条約は継続している。この条約がある限りアメリカは日本の領土のどこにでも基地を作ることができる。従って北方領土を日本に返還した時に、そこにすぐさまアメリカ軍の基地が作られることも可能性としてはある。だから ソ連・ロシアは返さないという理屈があります。

 2021年07月03日

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