世界史講義録 現代史編

 06 核軍備拡張競争

米ソ両陣営の軍事同盟  

 アメリカチーム、ソ連チームはそれぞれ軍事同盟を作っていました。アメリカチームの軍事同盟はたくさんある。正式名称と略称をそれぞれ覚えておく必要があると思います。北大西洋条約機構(NATO)はすでに触れました。日米安全保障条約もやりました。
 太平洋安全保障条約(ANZUS・アンザス)には、 オーストラリア、ニュージーランドが入っている。
 東南アジア条約機構(SEATO・セアトー)は東南アジアの国々です。センター・共通テストれべるでは、どの国が参加しているか、すべて覚える必要はないと思います。軍事同盟の名前だけでよろしい。
 中東条約機構(METO・メトー)はイラクなど中近東の国々。これはは途中でイランが脱退して、名前が中央条約機構(CENTO・セントー)に変わっています。
 米州機構は南北アメリカ大陸カリブ海地域の同盟。
 こんな風にしてアメリカは世界中に軍事同盟網を張り巡らせる。
 ソビエトはワルシャワ条約機構を作った。これは西側の同盟に対抗しているとされていますが、どう見ても西側と比べると格段に貧弱ですね。 ソ連を中心にブルガリア、ハンガリー、ポーランドなどなど。ソ連以外は軍事的には全く非力。したがってワルシャワ条約機構は、西側諸同盟に対抗するというよりは、東ヨーロッパの国々を締め付ける組織として使われるようになります。

核兵器の開発と反核運動

 アメリカは第二次世界大戦中に原爆を完成。それを見たソ連は急いで核兵器開発をおこない、1949年には原爆を保有しました。ソ連が持つとアメリカはこれに対抗して核弾頭の数を増やす。やがて、イギリス・フランスも核兵器を持ちます。国連安全保障理事会の米英仏ソ中の5カ国は、同じ西側でも対抗意識が強い。俺たちは対等だという意識があるからです。イギリスやフランスはアメリカが持つなら俺たちもという感じですね。アメリカが持っているのにイギリスが持っていないというのは、イギリスにとってはすごく嫌みたいです。アメリカが持っているのにフランスが持っていないというのは屈辱。
 教科書には核兵器保有国の表があります。現在のところアメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランス、インド、パキスタン、北朝鮮が書いてあります。教科書には書いてありませんが、イスラエルも持っています。核保有国であることは公然たる秘密。
 やがて原爆から水爆、さらに中性子爆弾と核兵器の種類も増えていきます。原爆や水爆は命を奪うだけではなく建物もすべて壊しますが、中性子爆弾は生命が破壊するけれども建物の破壊は非常に少ないらしい。水爆になると原爆の何百倍以上の破壊力があって、水爆保有をしている国は、お互いに見せつけるように核実験を繰り返した。この写真は1954年太平洋のビキニ環礁で行われた水爆実験。アメリカの信託統治領になっているようなところで核実験を繰り返した。1950年代に地球の大気中に浮遊していた放射性物質の量は、今よりも大量だったのだと、福島第1原発事故の時いわれていましたね。核実験の場所になった島の人たちは強制退去して移住させられた。ソ連は中央アジアの砂漠で核実験を繰り返した。
 1954年、第五福竜丸事件が起こります。これは 第五福竜丸の写真。静岡清水港のマグロ漁船です。小さい船で南太平洋まで行ってマグロ漁をしていた。そうしたら空から雪が降ってくる。「こんな南太平洋で雪!なんて珍しいんだろう」と思って、よく見ると灰なんだね。手に降り注いだ灰をペロッと舐めた人もいる。これが死の灰だったのです。何十キロも離れたビキニ環礁でアメリカは水爆実験をしていたのです。彼らが操業していた場所はアメリカ軍が設定した危険水域の外でした。しかし彼らは数時間にわたって放射性物質の降り注ぐ中で作業を強いられた。当然体調が悪くなってすぐに帰港します。乗組員たちはどんどん入院していく。一人は死亡しました。この後マグロは汚染されているということで、日本獣でマグロの値段が暴落したりしました。原爆マグロといった。第五福竜丸の被爆だけが有名ですが、多くのマグロ漁船が南太平洋で創業しており被爆したのはこの船だけではありません。
 広島と長崎に原爆を落とされ、その苦しみがまだ癒えていないのに(今はもう癒えているわけではないですよ)、また日本人が被曝した。もう核兵器はこりごりだ、核兵器は絶対反対だ、という運動が日本の主婦の間から始まり、これが日本中に、さらに世界中に広がっていきました。そして第五福竜丸事件の翌年1955年に第1回目の原水爆禁止世界大会が開かれました。この大会はそのご毎年、8月に広島で開かれています。現在はかつてほどの世界の注目を浴びではいませんが。
 また、1957年、世界的に著名な学者たちが集まって核兵器に反対するパグウォッシュ会議を開きました。中心人物の一人が物理学者のアインシュタイン。この人は核兵器の原理を考えて、その開発をアメリカ大統領フランクリン=ローズベルトに進言した人物ですが、実際に核兵器が使われた後になって、その被害の甚大さに衝撃を受けた。そして、この時には核兵器反対運動の中心人物となっていました。

スプートニク・ショック

 核兵器開発競争の中のトピックとして、もう一つ重要なのが、1957年のソ連による初の人工衛星打ち上げ成功です。アメリカ合衆国は、この打ち上げ盛行に非常に大きな衝撃を受けた。この人工衛星はスプートニク号といったので、スプートニクショックと呼ばれました。
 人工衛星を打ち上げるためにはロケットを使います。ロケットといっていますが、原理はミサイルと全く同じです。大砲の弾や鉄砲の弾と違って、ミサイルは自力で推進力を持っいる。だから遠くまで飛ぶ。初めてミサイルを開発したのは、第二次世界大戦中のナチスドイツで 、V 型ミサイルをロンドンに打ち込んでいます。  つまり、人工衛星を打ち上げることに成功したということは、非常に長距離を航行するミサイルを開発して、しかも目標に正確に打ち込むことができるようになったということです。これまでアメリカとソ連が核兵器を開発し続けていましたが、実際にアメリカがモスクワに核兵器を落とそうとしたらどうしたか。爆撃機をモスクワ上空まで飛ばして、核兵器を投下するしかありません。つまり、広島・長崎のやり方ですよね。第二次対戦末期の日本は完全に制空権も失っていましたから、核兵器を積んだアメリカの爆撃は、ゆうゆうと日本の上空に行って帰ることができた。これは極めて特殊な状況で、普通に考えたら自国の重要都市の上に他国の爆撃がやって来ようとすれば、それ以前に空中戦になって阻止されているはずです。要するに、核兵器を持っていれば理論的には相手の国に落とすことはできるけども、実際にソ連がニューヨークに爆撃機を飛ばしたり、アメリカがモスクワに爆撃機を飛ばすことは不可能に近い。
 しかし、ミサイルを正確に打ち込むことができれば、ソ連領土からニューヨークを狙うこともできるわけです。飛距離に関しては、ソ連は人工衛星打ち上げによって、宇宙空間にまでロケットという名前のミサイルを飛ばすことができることを証明したわけです。そのロケットには人工衛星が搭載されていた。これが人工衛星ではなく核弾頭で、このロケットがワシントンやニューヨークに向けられていたらどうなるのか。これはリアルに怖いですよね。それがスプートニクショック。
 この後、アメリカは必死になってロケット開発に力を注ぐことになりました。これを宇宙開発という。ミサイル開発に多額の税金を投入しなければならない。しかし、それでは国民の納得を得にくい。国民の納得を得るためには、ロマンチックな宇宙開発、人類を月に送り込む、というような夢を掲げる必要があったわけです。宇宙開発というのは、基本的には軍事技術開発です。プリントには大陸間弾道ミサイル技術と書いておきました。

 2021年07月07日

次のページへ
前のページへ
目次に戻る