世界史講義録 現代史編

 08 多極化のはじまり-西欧の動向

多極化のはじまり

 前にもいいましたが、第二次世界対戦後の大きな構図は東西対立、アメリカチームとソ連チームとの対立が大きな構図。もう一つは植民地だった地域の独立。キューバは植民地ではないのですが、事実上アメリカの保護国であり、キューバ革命というのは植民地の独立と捉えてもいいかもしれません。ただしその後はソ連チームに加わることによって東西対立の構図の中に入っていきます。その中で起こった事件がキューバ危機でした。
 もうひとつの構図として、西側のチームに入っているけれども、その中で独自性を発揮してアメリカとは違う中心になろうとする西ヨーロッパの動きです。西ヨーロッパの国々はアメリカチームには入っているけれども、自分たちの方が歴史も伝統もある、文化も優れていると考えている。アメリカは所詮ヨーロッパから移り住んだ人々が作った国であり、世界の中では新参者であるという気持ちがある。 なぜ自分達がアメリカの風下に付いていなければならないのかとは思うけれども、 圧倒的にアメリカの経済力・軍事力が強大なので、アメリカの傘下に入らざるをえない。しかし、やはりそれはやだという気持ちがあって、アメリカから離れていく動きが生まれてきます。


 その流れを見ていきましょう。
 1952年、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)が結成されます。参加国はフランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス3国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)。この6カ国が集まって石炭と鉄鉱を共同で管理しましょう、と組織を作る。
 フランスとドイツは本来仲が悪い。第1次世界大戦でも第二次世界大戦でも、両国は戦っている。さかのぼれば、1870年の普仏戦争でも戦っています。潜在的にフランスはドイツがおそろしい。フランスからドイツに侵攻した事件は、ナポレオン時代までさかのぼらなければない。それ以降は、常にドイツから攻め込まれている歴史がある。
 第二次世界大戦後のドイツは東西に分断されているので、かつてほどの強さがないかもしれないけれども、やはりフランスにとっては潜在的な脅威です。だからフランスはドイツと友好関係を築きたい。西ドイツの立場はどうかと言うと、こちらは戦争で国力が衰えているので、フランスと友好関係を築いて安定的な発展を遂げたい。 大局的に見れば、ヨーロッパの中で両国がいがみあっている限り、いつまでたってもアメリカ合衆国と対抗できる勢力になることができない。西ヨーロッパ人の中には、潜在的にアメリカと対抗できる一つの中心となりたいと言う願望があるのでしょう。
 西ドイツとフランスの友好関係を盤石なものにするために、ドイツのフランス国境近くにある、ルール地方、ザール地方の石炭・鉄鉱石といった地下資源を共同で管理しようという話になった。フランスとドイツに挟まれたベネルクス三国もこれに加わる。 近辺の国々で地下資源を共同で開発しましょうということです。こういう共同作業をすれば各国の関係は友好的で盤石なものになるはずです。
 これが元になって、経済全体についての協力関係を築く目的で、1958年、ヨーロッパ経済共同体(EEC)が結成されました。
 同、1958年、ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM・ユーラトム)結成。何か恐ろしげな感じですが、原子力に関する技術を共同で開発する組織です。アメリカは既に核兵器を持っていて、原子力発電所も作っている。ソ連も同様です。自分達も原子力を活用したいと思うのです。 フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス3国がです。しかし巨大で複雑な技術で資金も巨額なので、共同開発するためにこの組織が作られました。 ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体と同じ国々が、原子力共同体に参加しました。 現在、原子力発電は世界的には未来のない技術となっていますが、このころまだ人々は原子力に希望を持っていたのです。これに直接の関連があるかどうか分かりませんが、フランスは1960年に核兵器を持ちます。そもそも原子力発電というのは核兵器の原料を生み出すために開発された技術だということも知っておいた方が良いでしょう。
 こういう積み重ねの上に、1967年、ヨーロッパ共同体(EC)ができます。これが現在のヨーロッパ連合 EU の直接の元です。国家が統合されたEU になれば、完全にアメリカと対抗できる、世界の中の一つの極として自立することになるわけです。
 注意して欲しいのはこれらには、イギリスは入っていないことです。イギリスは実に微妙です。西ヨーロッパの国々が、アメリカから距離を置き自立して行こうとしていく中で、イギリスはアメリカ寄りです。元々イギリスから渡った人々がアメリカを作ったわけであります。同じアングロサクソンで、英語をしゃべる。今やイギリスの方が力は弱いけれども、イギリスから見れば、アメリカは立派に成長した弟です。アメリカから見ても、イギリスに対しては親しい感じがある。だからヨーロッパ大陸の国々が、アメリカとは別の枠組みを作っていこうという時に、イギリスはそこに加わりません。
 だから、一昨年でしたか、イギリスは EU に入っていたけれどもブレグジットといって EU から離脱しましたね。それ以前から、イギリスは、ユーロを使わずにポンドを使っていた。ヨーロッパ大陸諸国とは別枠で、アメリカ寄りと考えておくと良いです。

 ではヨーロッパの個別の国の状況を見ていきましょう。これらは豆知識なので非常に覚えにくいです。断片的な知識ですがこまめに復習してください。

 西ドイツの首相としてアデナウアーを覚えてください。長い間首相をやっています。1949年、西ドイツの成立後すぐから、1963年までやっている。なぜ名前を覚えてもらわなければいけないか。ドイツは西と東に分かれてしまって半分になってしまったから、力は激減したはず。しかも戦争でボロボロになっている。大戦末期はアメリカやイギリスに空爆を受けた。産業も大きなダメージを受けている。そういうマイナスの地点からスタートして奇跡の経済復興を遂げた。そのリーダーとして有名です。誰もがドイツが今日のような発展をするとは考えていなかった時期です。
 まあ日本も同じようなものです。敗戦のボロボロの状態から立ち直っていくわけですが、世界史の教科書で紹介されるような首相はいません。しいていえば吉田茂という人がそれにあたるかな。この人が首相の時に、サンフランシスコ講和条約で日本が独立する。現在財務大臣をやっている麻生太郎のおじいさんにあたる人です。

 フランスです。
 フランスは、植民地独立との絡みで出てくる可能性があります。フランスの植民地にアルジェリアがありました。このアルジェリアが独立を求めて戦争が起きる。フランスは諦めが悪い国で、ベトナムが独立をしようとした時も、軍隊を送り込んでインドシナ戦争になりましたね。
 フランスはアルジェリアの独立もなかなか認めず、長い独立戦争がおこりました。 アルジェリアの場所は確認してくださいね。アフリカの北岸、フランスから地中海を渡って南に行けばアルジェリアがある。
 アルジェリアは非常に古い時代からフランスの植民地なっています。1830年です。いわゆる帝国主義の時代以前に、フランスはここを侵略して植民地にした。当時フランスではナポレオン1世が失脚した後、ブルボン朝が復活し、非常に人気の無いシャルル10世が王様をしていた。あまりにも人気がないので、人気取りのために侵略戦争をおこなった。戦争に勝って領土が増えれば人気が出ると考えたのですが、やっぱり人気がでず、この年、七月革命が起きて、彼は国王の座を追われた。これはまた別の話なので、復習をしておいてください。
 とにかく、アルジェリアは1830年からずっとフランス の植民地だった。それからだいたい120年後がこの時期です。120年間植民地だったので、この間に多くのフランス人がアルジェリアに移住をしています。おじいさんの代から、ずっとアルジェリアに住んでいるというフランス人はたくさんいる。彼らにとっては、アルジェリアは自分たちの故郷である。誰が何といおうとフランスの一部なのです。 だから、アルジェリア人の独立運動に対する弾圧は激しく、 アルジェリア人たちは武装組織を作ってこれと戦う。テロが頻発する。独立闘争組織とフランス当局との戦いで、アルジェリアは騒然とした状態になります。
 フランスはかつてほど強くないので、アルジェリアの独立運動を鎮圧できません。ベトナムの独立さえ、つぶすことができなかったのですから。しかし、独立承認に対しても、国内の反対世論は大きい。なにしろ、130年間フランスの一部だったのですから。
 こうして、アルジェリア問題で、フランスの国論が二分する。独立を認めるべきだという意見と、アルジェリアはれっきとしたフランスの領土であり、絶対に独立を認めないという意見、この二つが真っ向からぶつかる。最終的には、この問題を解決するために、憲法を作り直しました。
 その結果、1958年に第5共和制がスタートします。この憲法によって大統領権限を強くして、大統領はアルジェリアの独立を認めました。この憲法を制定し、アルジェリア独立を認めた大統領がド=ゴールです。第五共和制によって、ようやくフランスの政治は落ち着いた。
 パリの空港はド=ゴール空港という。この人は前にも出てきましたね。ナチスドイツがフランスを占領した時に、イギリスに逃れて自由フランス政府を作った人物でした。ロンドンからドイツ占領下のフランスのレジスタンスを指導しました。

 フランスは政治体制が変わるたびに、第一共和政とか第一帝政とか政体の名前が変わりますので注意しておいてください。
 簡単に復習しておくと、フランス革命でルイ16世を処刑した後、第一共和政となります。共和政というのは、王様や皇帝がいない政治体制のことですよ。ナポレオンが皇帝に即位して第一帝政になる。ナポレオン1世退位後は、ブルボン朝の王様が復活。1830年、七月革命の後には、ルイ=フィリップの七月王政ができる。これが1848年の二月革命で崩壊して、 ここからが第二共和政。1852年、ナポレオン3世が第二帝政を始めて第二共和制は終わり、 1870年に普仏戦争でナポレオン3世が退位して、ここからが第三共和政。第三共和政は、第二次世界大戦でドイツに敗れて崩壊。第二次世界大戦が終わって、 第4共和政。そしてこの1958年に第五共和政です。これが、現在まで続いている。

 イギリスです。イギリスは第二次世界大戦後、労働党のアトリーが1945年から51年まで首相を務めています。労働党というところに注意して下さいね。「ゆりかごから墓場まで」というスローガンのもと、社会福祉制度の充実をはかりました。生まれてから死ぬまで政府が社会保障でちゃんと面倒いますよと、そういう政治をやりました。1980年代のサッチャー首相以来、そういう体制は完全に崩れてしまいましたが。
 アトリーの前の首相は誰か分かりますか。つまり第二次世界大戦中の首相ですね。はい、保守党のチャーチルです。第二次世界大戦が始まって首相になり、戦争が終わってすぐにその座を降りています。前にもいったけども、この人はすごくワンマンで傲慢な人で、平和の時には人望がないので、絶対に総理大臣にはなれなかっただろう人です。ただ、人の意見を一切聞かないけれど、戦時のリーダーシップを取らせたら、うまくはまった。ただチャーチルはこの後また首相に返り咲きますけれどもね。

 2021年07月27日

次のページへ
前のページへ
目次に戻る