世界史講義録 現代史編

 11 アメリカ 公民権運動

 アメリカの話です。
 1960年代は、世界各国で大きな変化が生まれた時期でした。中国では1960年代後半に文化大革命が始まっていますね。
 アメリカでも政治は不安定な状態でした。その中心になるのは公民権運動とベトナム反戦運動です。
 1961年、民主党のケネディが大統領に就任しました。暗殺されたことで有名になります。アメリカの大統領がスローガンを作るのが好きで、 フランクリンルーズベルトがニューディールといったのを意識してか、ケネディはニューフロンティア政策というスローガンを出しています。この言葉は入試的には出てくるかもしれない。特に中身はないのだけれどもね。ケネディは歴代大統領の中で最も若かった。 ちょっとかっこいい、奥さんがめちゃくちゃ美人、そしておじいさんはアイルランド出身で、宗教的にはプロテスタントではなくカトリックというところで特徴がありました。
 当時アメリカで問題になっていたのは人種差別問題。現在でもブラックライフマターということで人種差別問題に反対する運動が起きていますけれども、当時の差別はもっとひどかった。有色人種が自分達にも公民権を認めろ、つまり市民権を保障しろという運動が盛り上がったのが1960年代です。 公民権法という法律の制定を求めた、これを公民権運動という。 ケネディは民主党です。民主党は共和党に比べてリベラルであり、より広く個人の権利を認める方向性をもっている。ケネディは公民権法制定に前向きでした。黒人差別の意識を持つ白人が多い中で、このような大統領が登場したことは、公民権法制定を求める人たちには大きなチャンスであり、運動は高揚期を迎えます。
 写真があるのでついでにいっておくと、アポロ計画という人類を月に送る計画を推進したのもケネディ大統領です。以前にスプートニク=ショックの話をしたけれども、人間をロケットに乗せて宇宙に送り込んだのは、やはりソ連が最初でした。地球の周りをくるくる回っただけなのですが、ボストーク1号というロケットでガガーリンという飛行士が、宇宙に行って生きて帰ってきた。これがアメリカを刺激して、ケネディはこれを上回る成果を得たい、ということで人間を月に送ることを考えたわけです。その結果、ケネディ の死後ですが、1968年、アポロ11号で人類が初めて月に立ちました。最後はアポロ17号まで行ったかな。17号のころは、お金ばかり使っているという事で、皆の関心もなくなって評判が悪くなっていましたけどね。このアポロ11号の月面着陸のシーンを、私はテレビで見てました。なのに用事があるということで、母親に連れられててどっかに出かけなければならなくなって、途中で見れなくなって悔しい、と思う気持ちだけが残ってますね。  ケネディが暗殺されて、任期半ばで死んでしまったので、 副大統領だったジョンソンが昇格して大統領となりました。 大統領が任期半ばでなくなると、次の選挙までの間は副大統領が昇格するというのがアメリカのやり方です。変な話ですが、今アメリカの大統領バイデンは高齢です。コロナを恐れて、あまり人前には出てこないといわれている。現在、副大統領はカマラ=ハリス、女性ですね。巷では、今後4年間のうちにアメリカ初の女性大統領が登場するかもという噂が流れていましたね。
 ジョンソン(任1963〜69)は、1964年、公民権法を成立させた。内容としては、「有色人種の公民権を認め、差別を禁止」ということ。
 公民権運動は、アメリカという国家を揺るがす大きな問題であり続けていました。奴隷制がなくなった後も、南部諸州では合法的に白人と黒人の差別が認められていた。「区別なら良いのだ」という形で差別が行われていた。白人と黒人が同じ学校で学ぶことが許されない問題とか、 1960年代以前から裁判などが行われていましたが、1960年代の公民権運動の盛り上がりのきっかけとなったのは、 ローザ=パークス事件でした。
 この人がローザパークスさん、黒人女性です。南部ではバスの座席が、黒人用と白人用に分かれていた。バスの後が黒人専用座席、前が白人専用座席でした。ローザ=ークスさんは1日の仕事終わって、家に帰るためにバスに乗りましたが、後ろの黒人専用座席はすでに満席。前方の白人専用座席はガラガラだった。疲れ果てていたローザ=パークスさんは、白人専用座席とは分かっていましたが、しんどかったのでそこに座りました。 運転手は警告しますが、ローザさんは無視をした。そのことで彼女が逮捕されます。犯罪者扱いですね。この事件をきっかけにして、黒人たちの不満が爆発してアメリカ全土で公民権法を求める運動が広がっていきました。
 その一つがこれ、フリーダムライド運動。人種による座席の分離に反対して、好きな席に自由に座ろうという運動です。当たり前ですが、黒人の人が白人専用座席にあえて座れば、白人に攻撃される。そのバスが、白人によって焼き討ちにあった燃えている写真がこれです。こういう運動に参加する黒人達は命がけです。あとから仕返しされて、極端な場合は殺されることもある。当然ですが、白人の中にも公民権運動に賛同する人たちはいて、黒人達と共に行動します。そのような白人が、人種差別主義者の白人から攻撃されて殺される事件も起きました。
 こちらは白人専用の食堂に黒人の人達が、あえて入って座席に座っている、そういう抗議活動。当然店の人は注文をとってくれません。お前たちの来るとこではないから出て行け、といわれますが、客として扱ってくれるまでは、彼らは頑として動かない。抗議のために座っている。こういうことをやるとどうなるか。次の写真です。カウンターの前に座っている黒人、ともに運動している白人の人もいますが、彼らの周りに白人達が集まって、座っている人たちの頭にケチャップやマヨネーズをかけています。かけられている活動家たちはじっと耐えて座っている。写真だけから分かりませんが、彼らは周りの人たちからものすごい暴言を浴びせられている。どんなに酷いことをいわれ、頭からケチャップをかけられても、彼らは決して抵抗しない。抵抗して自分たちから暴力を振ったら、即逮捕されるからです。また、逆襲されて半殺しの目に合わないとも限らない。
 この運動に参加する人たちは、事前に徹底的な訓練を受けています。この時の、公民権運動の指導者の一人のインタビューを見たことがありますが、 フリーダムライド やシットインなどの抗議活動参加希望者たちは、事前に集められて、どれだけひどい暴言を浴びせられても耐える訓練をします。ちょっとでも、怒りを見せて反撃をしようとする人物は、この運動には参加させなかったようです。
 分かると思いますが、これはインドのガンディーの非暴力不服従運動をモデルにしています。ガンディーを非常に尊敬し、その運動を見習ったのが、公民権運動の指導者として有名なキング牧師です。
 公民権法が制定されたからといって、白人からの差別がすぐに消えるわけでは当然ないので、法律制定後も、本当の意味で差別をなくすための公民権運動はずっと続いていきます。
 これは1968年、メキシコ=オリンピックの写真。 200メートル陸上で、アメリカの黒人選手が、1位と3位になった。その表彰式でアメリカ国歌が演奏されている間、抗議のために黒手袋をはめた拳を突き上げて、顔を伏せている写真です。近代オリンピックは政治とは距離を置くという理念があるので、彼らの行為は賛否両論を巻き起こしました。アメリカの選手団として、メキシコに行っているのに、こんな抗議をすることは許されないという意見もあれば、世界に向かって自分たちの置かれている状況を示すにはこれしかないのだという意見もあった。少なくともアメリカで何が起きているか、ということは世界中に知れ渡ったとは思います。
 同じ1968年、公民権運動のリーダーであったキング牧師が暗殺されました。非暴力不服従運動を唱えていたキング牧師が、白人に殺されたわけです。この後、各地で黒人の暴動も起きます。キング牧師の非暴力不服従運動は生ぬるい、暴力を恐れてはいけない、暴力を振ることは間違いではない、という主張をするグループもありました。有名なのがブラックパンサー党。リーダーはマルコム X 。これに参加する人は、だいたい〇〇 X という名前を名乗っていますね。 X とは何か。例えば、キング牧師は、マーティン=ルーサー=キングという名前で、キングが家名です。黒人の家名というのは一体何なのか。この人たちは黒人だから、先祖はアフリカから連れて来られた奴隷ですよね。キングという苗字ではないはずです。ではキングというのはどこから来てるのか。それは奴隷解放宣言が出て、憲法が修正されて奴隷ではなくなった時に、黒人たちは自分が働いていた農園の持ち主の名字をつけた。つまりキング牧師の祖先は、キングさんの奴隷だったんです。マルコム X は、俺の祖先を奴隷として扱った白人=主人の名前を、苗字として名乗ることなどできない。今や我々の名字は何だか分からないという。だから、苗字は X。X とは、わからないということです。マルコム X というのはそういう意味です。筋はすごく通っている。キング牧師はマルコム X ほど過激ではないのですが、その人すら殺された(マルコムXも1965年に暗殺されている)。
 公民権運動が高揚すると同時に、それに反対する動きも高まって、渦のような争いが起きているこの時に、ベトナム反戦運動が盛り上がっています。ベトナム戦争の話は今度しますけれども、社会主義になろうとしているベトナムに、アメリカは軍隊を送ってベトナム戦争になります。しかしベトナムでアメリカ人の兵士が戦う理由は、よく考えるとわからない。なぜベトナムに行かなければならないのか。ベトナム戦争から帰ってきた帰還兵たちは、多く心の病になる。今でいうPTSD(心的外傷後ストレス障害)です。アメリカで麻薬が一気に広まるのはこの時期以降、PTSDと深いつながりがあるだろうと推察されます。  これはベトナム帰還兵たちが戦争反対のデモをやっているところ。兵隊に取られるのは若者たちです。兵役拒否する若者たちも増える。このベトナム反戦運動と公民権運動がリンクしてアメリカの世論は激動していきます。
 この写真はベトナム反戦を訴えている若者たちを、銃を持った州兵が取り囲んでいる。その銃口に、若者たちが花を差し入れている写真です。フラワーチルドレンといった。「武器ではなく花を」というスローガンで戦争反対を訴えた人達です。これ以外にもたくさんの人たちがいろいろな方法で戦争反対を訴えていました。

 2021年08月28日

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