世界史講義録 現代史編

 12-2 ベトナム戦争(下)

 アメリカは、この戦争はあっという間に終わると思っていた。南ベトナム解放戦線のゲリラなど簡単に潰せると思っていた。しかし、アメリカ軍が軍隊を送りこめば送り込むほど、ベトナムの人々はアメリカに反発をいだき、その気持ちを民族解放戦線側に追いやる結果になりました。アメリが軍は、解放戦線のゲリラと一般民衆の区別がつかないので、一般人の被害が甚大になる。そもそも、アメリカはゲリラであろうがなかろうが、ベトナム人を見下して、対等な人間としてみていない。
 ちょっと写真を見てみましょう。これは、南ベトナム政府の腐敗を表す写真として有名。このピストルを撃っている人は、南ベトナムの首都サイゴンの警察署長。部下が、南ベトナム民族解放戦線のゲリラを捕まえましたと、青年を連行してきた。すると、この警察署長は「そうか」といって、手に持っていたピストルをさっと取り出して、街頭で青年を撃ち殺した。その瞬間の写真です。
 もし、ゲリラの疑いをかけられている人を捕まえたのならば、普通の国ならば裁判にかけ、有罪かどうかを判断し、有罪になれば、どれだけの刑かを決めるはずです。「こいつゲリラです」と部下が連れてきたら、「そうか」といってすぐにピストルで撃ち殺している。しかも町の中で。 むちゃくちゃです。この南ベトナム政府は、法治国家でも何でもない。ならずものの政府です。
 こういう写真が、戦場カメラマンによってどんどんと写されて、世界に配信される。何も考えてないアメリカ人も、「これは許される行為なのか?」と思う。アメリカ政府は、この戦争は正義の戦争だといっているけれども、こんなことをやっている南ベトナム政府を支援しているのか、と誰もが思う。一体、アメリカ軍は誰の味方なのか。誰が正しいのか、考えざるを得ない。
 これは仏教の僧侶が、サイゴン市の街なかで焼身自殺をしているところです。南ベトナム政府の独裁政治と、仏教弾圧に対する抗議の自殺です。衝撃的です。何人ものお坊さんが、抗議の焼身自殺をしました。僧侶が焼身自殺をするさいには、事前に告知します。何月何日、どこどこの役所の前で、私は焼身自殺しますと。本当に、その日に、そこに行って、ガソリンをかぶって、自分で火をつけて死んでいく。この焼身自殺は動画も残っています。動画を見ていると、お坊さんが街角に座って焼身自殺を始めると、周りの人が急いで集まっくる。しかし、火を消して助けたりはしません。何をやっているかというと、燃えているお坊さんに向かって、合掌しています。すごい光景です。
 国民に、こんな風に受け止められている南ベトナム政府は、ダメなんじゃないか、と誰もが思います。
 これはゲリラ、つまり南ベトナム解放民族戦線と戦うために、前線に向かうアメリカ軍兵士。こんな絵柄だと、アメリが軍はかっこいいわけです。アメリカは、こういう写真をどんどんと撮ってもらって、世界に報道してもらいたかったようですね。これもかっこいい写真です。ヘリコプターから兵士が飛び降りて、戦いに行く。映画のワンシーンのような写真です。これは負傷したアメリカ軍兵士の写真。こういう写真を見ると、「アメリカ兵、かわいそう」と思うんですけどもね。これもジャングルで負傷しているアメリカ軍兵士をみんなが支えているところ。アメリカ軍頑張れと、思ってしまいますね。だけど、アメリカ軍に都合のいい写真ばっかり撮ってくれるわけではない。
 これはアメリカ軍が、村を襲って、農民たちを捕まえて連行している写真。こんな風に首に縄をくくって、数珠つなぎにして連行している。18世紀・19世紀のアフリカの奴隷貿易の絵を見ると、黒人たちはこんな風にして、首をくくられて運ばれていく。まさにベトナム人が、奴隷のような扱いをされている。ぱっと見たら誰もそう感じる。アメリカ兵の人権感覚を疑います。これはアメリカ国内で、白人達が黒人達を差別しているのと同じ感覚なのだと思います。
 これは、アメリカ軍が民家を焼いているところ。ゲリラの村かもしれないと疑ったわけです。
 これが問題になった写真。ソンミ村虐殺事件。アメリカ軍がソンミ村という村を襲って無抵抗の村民504人を虐殺した時の写真。泣きながら命乞いをしているお婆さんや、ちっちゃい女の子が写っています。必死に命乞いをしているのがわかります。このあと、この人達は殺されています。村人が解放戦線に属しているのではないか、という疑いだけで、女子供も虐殺している。この部隊の指揮官は「この虐殺は秘密だぜ」と箝口令をしく。告発した兵士もいたが、上層部はこれを握りつぶしたといいます。しかし、アメリカは、やはりすごいところがあって、この事件がジャーナリストによって報道され、アメリカの世論が騒然となる。世界に知られる有名な事件となります。この写真で恐怖に怯えている人たちが、このあと殺されたと考えると、言葉がないです。
 これは枯葉剤。ゲリラはジャングルで戦うので、アメリカ軍には不利。そこで、ジャングルをなくせ、ということで、枯葉剤を大量に散布した。枯れ果てたマングローブの林の写真です。
 こちらは日本人のカメラマン沢田教一が撮った写真「安全への逃避」。ピューリッツァー賞という、アメリカの権威ある写真の賞を取った写真です。村が攻撃にさらされ、母と子供とたちが川を渡って必死に逃げてくるところ。
 これも有名な写真で、見たことがある人いるかもしれません。「爆弾の落ちた日」。向こうにこの子供達の村があって、南ベトナム軍の誤爆にあった。あっという間に家が火に包まれて、この子供達は一所懸命逃げてくる。この女の子が裸なのは、あっという間に服が燃えてしまったからです。背中はすごい大やけどしている。逃げてくる子どもたちのあとから米兵が歩いています。この写真で一躍有名になった裸の女の子、キム=フックさんは、この後フランス人に引き取られて、その支援で背中の火傷の手術をした。こちらは、1996年の新聞記事です。12歳のとき大火傷をした、このキムさんが、その30年後アメリカ退役軍人の会に招待された。元軍人の同窓会のような会に呼ばれたんですね。大人になったキム=フックさんが、戦争は二度としないでと訴えているところ。その写真が日本の新聞に載りました。退役軍人会は、戦争を反省して彼女を呼んだのでしょうか。
 写真を見出すとキリがありません。

 戦争が長引くにつれ、ベトナムから帰還した兵士たちも、この戦争に対する疑問の声を上げる。1970年代には、ベトナム戦争から帰ってきた元兵士たちの、心の傷を題材にしたアメリカ映画がかなりたくさん作られています。戦争の様々な有様が報道されるなか、アメリカで反戦運動が活発化してきます。平和と人権の問題として公民権運動とリンクする。

 そして、ベトナム反戦運動は、世界中に広がっていきました。日本でも、ベトナム反戦運動は盛んになった。日本で行われたベトナム戦争反対デモの写真です。
 ベトナムに行くアメリカ軍の兵士は、日本から出発するのです。まずアメリカから日本にやってきて、沖縄で戦闘訓練を行う。沖縄の気候や植生は、ベトナムに近いですからね。ベトナムで戦っていた兵士が、一時的な休暇をとると、沖縄に来る。ベトナムに送る食料や装備なども日本から送る。これは横浜の港の写真です。アメリカ軍の戦車が大量に並んでいます。これを今からベトナムに輸送するわけですね。ベトナムのジャングルで蚊に悩まされたアメリカ兵に重宝されたのが、キンチョウの蚊取り線香だとか、戦場ですぐに食べられるカップラーメンが愛されたという話もありました。しかし、日本がアメリカ軍の基地になっているということは、日本がベトナム戦争に巻き込まれていることだと、当事者としての反戦運動も盛り上がっていました。

   世界中で、アメリカは正義のない戦争をしていると非難され、逆に南ベトナム民族解放戦線に支持が集まり、北爆に堪えている北ベトナムや、その指導者ホー=チ=ミンを応援するムードが醸成された。
 アメリカは、ベトナムへの軍事介入に対する国際的な非難に耐えられなくなります。アメリカの国論も、分裂する。ゴ=ディン=ジェムの政治はあまりにもひどい。ベトナム国民の反感を無用に買う。アメリカも、ゴ=ディン=ジエムはさすがに酷すぎるな、と考えて別の軍人にクーデターを起こさせて、ゴ=ディン=ジェムを失脚させます。しかし誰が南ベトナム政権を担っても同じです。構造は同じだから。アメリカが支援していることを背景に、権力を握っているだけで、国民の方を見ていないので、民意を無視した政治はつづく。社会主義を抑えろ、というのがアメリカの要請なので、それに従うということは、ゲリラや「ゲリラかも知れない人々」を弾圧するしかないのです。

 ついにアメリカはベトナムから撤退する決断をします。
 国際世論の非難と、国論の分裂がベトナム戦争撤退の理由の一つ。もう一つの理由が財政難です。戦争というのはものすごくお金がかかる。10年以上の戦争を続けて、いつまでたっても勝てる見込みはない。湯水のようにお金は出て行く。勝ったとしても、決してこの戦争で儲かることはありません。
 最終的に、ニクソン大統領がベトナム戦争から撤退する決断をしました。以前、ニクソン大統領は中華人民共和国との関係改善をはかり、電撃的な訪中をしたという話をしました。この人は行動力があって、ものすごく有能な人だったと思います。ただ大統領選挙の時に、対立候補の選挙事務所かどこかに、盗聴器を仕掛けたということで、弾劾裁判にかけられて大統領を任期途中で辞任した。任期途中に暗殺された大統領や、フランクリン=ローズヴェルトのように、病気で死んだ人はいるけれども、元気なのに弾劾裁判で議会によってクビになった大統領は、アメリカ史上この人だけです。だから当時はものすごく評判が悪かった。
 不正な選挙で大統領になったひどい人間、大統領の権威をケガした、と散々でした。しかし、この時から50年経った今から考えてみると、彼の業績はやはり大きい。
 一旦始めた戦争を、途中で止めるというのは、ものすごく勇気がいる。日本も、太平洋戦争を始めて、ミッドウェー海戦あたりから、冷静に考えれば勝つ見込みはなくなるのですが、誰もやめようとは言わない。誰もが降伏した責任をとりたくないので、ズルズルと戦争を続けた。広島と長崎に原爆落とされ、ソ連が参戦してようやく、降伏を決めた。
 ニクソン大統領は、それまでのケネディ・ジョンソン政権が、拡大し続けてきた戦争から撤退する決断をした。これは、敗北を認めることです。ものすごく勇気があったと思う。現在ニュースになっているのが、アフガニスタン。アフガニスタンからアメリカ軍が撤退し、大混乱してる、と伝えられています。アフガニスタンからの撤退を決断したバイデン大統領は、アメリカで支持率が落ちているようですけれども、何十年か経ったら、英断だったと評価されるのではないか。オバマもトランプも、撤退を考えながら実現できなかったのですから。
 1973年、パリ和平協定を結んで、アメリカ軍が撤退を開始すると、アメリカ軍の支援によって支えられていた南ベトナム政府はあっという間に崩壊します。1975年に、南ベトナムの首都サイゴンが民族解放戦線によって陥落し、ベトナム戦争終結。1976年、南北統一選挙が実施され、南北は統一、ベトナム社会主義共和国が成立しました。
 ホー=チ=ミンはベトナム戦争の終結と南北統一を見ることなく、1969年に死去。旧南日とナムの首都サイゴンは、1976年ホー=チ=ミン市と改称されました。

【参考図書】
アレン・ネルソン『沖縄に基地はいらない―元海兵隊員が本当の戦争を語る (岩波ブックレット (No.444))
もう20年以上以前のことですが、著者のネルソンさんが来日して各地で講演をしたことがあります。私も行きました。通訳の方もおられましたが、非常にわかりやすい簡単な英語で語ってくれたので、私でもほとんどわかった。海兵隊に入隊して、まずベトナム人を人間と思わないよう、差別意識を植え付ける教育が徹底的になされたそうです。躊躇なく殺せるようにです。驚くような話が山程ありました。

 2021年09月12日

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