世界史講義録 現代史編

 13-2 動揺するアメリカの覇権 オイルショック

 ちょうどこの時に、中東で戦争が起きます。ちょっと話が戻りますが、1967年に第三次中東戦争があります。イスラエルとエジプト・シリアの戦争です イスラエルがエジプトとシリアに攻撃を仕掛けました。イスラエルが勝って、エジプトとシリアから領土を奪いました。エジプトから奪ったのがシナイ半島。シリアから奪ったのがゴラン高原です。イスラエルは戦争に強い。イスラエルのバックにはアメリカがいるので、その援助で武器も最新のものを持っている。イスラエルはユダヤ人の国です。アメリカには、ユダヤ人の大富豪がたくさんいる。このユダヤ系の大富豪たちが、アメリカの政界には大きな影響力を持っている。前にも話ましたが、大統領選挙に当選するためには、このユダヤ系の富豪たちの支持を得なければならないといわれる。選挙資金を寄付してくれるからです。したがってアメリカ政府の政策というのは常にイスラエルの側に立っている。
 ということはイスラエルと戦争をするということは、世界で一番強いアメリカを敵に回すということになる。
 領土を取られたエジプトとシリアが逆襲の戦争をしたのが、1973年の第4次中東戦争。この時に、エジプトとシリアは、ただ戦っても勝てないということで、石油戦略に打って出た。中東の産油国は、アラブ石油輸出国機構 (OAPEC)という組織を作っていました。 第4次中東戦争の時にこのアラブ石油輸出国機構がエジプト・シリアと連動して、イスラエルに味方する国には石油を輸出しないと宣言した。アメリカはイスラエルの味方ですから、アラブの産油国はアメリカに石油を輸出しないということです。こういう作戦によって、世界の先進工業国を味方に引き付けて、イスラエルを孤立させようとした。これが石油戦略。
 戦争自体は短期間でまたもやイスラエルの勝利で終わるのですが、この戦争をきっかけとして、原油価格が高騰した。第4次中東戦争後も、価格決定の主導権を産油国がにぎるようになり、以前のような安価では、先進国に石油が供給されなくなりました。  第4次中東戦争の石油戦略による、世界における石油価格の暴騰、これを石油危機とか、オイル=ショックとかいいます。先進工業国は、アラブ産油国からの石油を、エネルギー・原材料として産業を動かしていますから、石油の値段が暴騰することは、産業に非常に大きなダメージを与えることになった。

 ドル=ショックで、世界の貿易が不安定になったところに、石油ショックが起こる。日本も、ドイツなど西ヨーロッパの国も、石油が出ない。先進工業国は、アメリカ以外は石油が出ない。 こうして、世界経済が大きな混乱、行き詰まりを見せます。
 これを何とか打開しなければいけないということで、1975年、先進国首脳会議というものが開かれた。俗にサミットと呼ばれました。写真がありますね。アメリカの大統領はフォード。ニクソンが辞めた後、副大統領から昇格した。日本からは三木武夫という総理大臣が参加していますね。田中角栄が辞めた後、総理大臣になった人です。西ドイツのシュミットとか色々いますが、名前を覚える必要はありません。
 日本も含めた主要先進国、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリアの、本当のトップ、大統領や首相が一同に介して話し合いをした。第二次世界大戦中に、テヘラン会談など3カ国の首脳が集まることがあったけども、これだけたくさんの国のトップが集まることはなかった。これ以来毎年やるようになって、現在もやっていますね。今は形骸化して、ただ集まるような形になっています。また、これから派生して、各国の財務大臣が集まる G7・G 8のような会議も行われるようになっています。現在のこういう会議は形骸化している感じですが、この時は本気で「これはちょっと困ったね。どうしようかね」と話し合いをしていた。大きくいえば資本主義社会の動揺の表れです。社会主義世界と資本主義世界によって構成される世界の、その資本主義世界が揺らいでいることの象徴だと考えてください。

 「現代社会」や「政治・経済」の授業で、このドル=ショックは習ったかもしれませんけれど、日本でも大きな騒動になりました。石油の値段が暴騰するだけでなく、それに便乗して様々な物価が上がり、また、スーパーマーケットなどで色々な商品がなくなってしまった。パニックになりました。
 去年コロナが始まった頃に、マスクがなくなったり、トイレットペーパーがなくなったりして、ちょっとパニックぽくなりましたが、あんなものではなかった。あの100倍ぐらいの大パニックが起きた。本当に色々な商品がスーパーマーケットから消えた。どこどこのスーパーマーケットでトイレットペーパーを売りに出すというチラシが入ると、行列を作って買っていました。なぜ石油の値段が上がると、トイレットペーパーがなくなったり、値段が上がるか、その因果関係は全然わからないのですが、様々な商品の値段が上がった。砂糖も値段が上がって、店先から消えたね。この時まで、僕は100円を持って本屋に行って、少年ジャンプを90円で買って、お釣りの10円でたこ焼き屋でたこ焼きを買っていた。10円でたこ焼きを3個買えた。それで、公園でたこ焼きを食べながら、ジャンプを読んでいたのですが、これ以来ジャンプの値段が140円、170円と、どんどん上がっていって、とても子供の小遣いでは買えなくなっていった。どこぞのスーパーで砂糖が売り出されるというと、母親に命じられ20分30分自転車を漕いで遠くのスーパーまで行って、行列に並んで砂糖を買ったりしました。そういうことが、すごく印象に残っています。石油ショック以来、日本では物価がどんどん上がっていった。
 この時には、本の値段も上がった。現在文庫本などカバーの付いている本は、カバーに値段が書いてある。僕は読書好きだったので、しょっちゅう本屋で立ち読みをしていたのですけれども、オイルショック前は文庫本などの値段は、カバーではなくて本の一番後ろの奥付の所に印刷してありました。ところがオイルショック以来、本体に値段を印刷しなくなった。ここには「値段はカバーに表示してあります」と印刷するようになった。そしてカバーにの値段が印刷されるようになった。つまり、オイルショック直後、本の値段がどんどんどんどん上がっていく。値段が上がると、本体はそのままで、カバーだけを付け替えするようになったんです。本体に印刷してあったら値上げができませんからね。最初は本体に違う値段のシールを貼っていたのですが、やがてそこには値段を書かずに、カバーを付け替えるようになった。現在は、本の値段が急に上がったりしませんが、オイルショック後しばらくは、本屋に行くたびに、同じ本体なのにカバーだけが替えられて、値段が上がっていった記憶があります。日本ではこんな事が起こっていた。たぶん他の国でも同じような事が起こっていたのだと思います。これが石油ショック。
 自動車でも大きな変化が起こった。それまでは、石油の値段はものすごく安かった。ガソリンは水と同じ、といわれたくらいに安かった。だから燃費、1 L のガソリンでどれだけ走るか、なんていうことは一切考えず自動車を買っていたし、自動車メーカーも車を作っていた。ところが、石油ショックでガソリンの値段がどんどんと上がるので、車に乗る人は燃費を気にするようになる。自動車会社もそれに対応して、燃費の良いエンジンを開発し始める。日本は、これに上手く対応しました。ところがアメリカの、フォード、クライスラーなどの自動車会社は、そういう事に対応せずに、相変わらず燃費を気にせず、でかい車をバンバン作り続けていた。ところが燃費のいい日本車がアメリカに入ってくると、アメリカ人も燃費で選ぶようになり、80年代にはいるとその傾向ははっきりしてきて、アメリカの自動車会社が衰退していく。日本車が非常に人気が出すぎて、日本車排斥運動みたいなものが起きたりもしました。

 2021年10月02日

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