世界史講義録 現代史編

 16-2 イスラーム世界の動き イスラエルをめぐる動き

 第三次中東戦争で、エジプトはイスラエルにシナイ半島を奪われました。第四次中東戦争も負けました。結局エジプトはイスラエルに負けっぱなしです。
 イスラエルに勝てないエジプト、イスラエルができてからもう50年経っている。イスラエルを潰せるのかというと、現実的には潰せない。 故郷を奪われてしまったパレスチナ人はかわいそうだけれども現実を認めるしかない、とエジプトは考えた。ナセル大統領の後サダトが大統領になるのですが、この人はイスラエルと敵対するのはやめようと判断して、イスラエルと平和条約を結んだ。
 これは周りのアラブ諸国からものすごく批判されます。エジプト国内でもサダト大統領の判断を非難する人たくさんいた。イスラエル、ユダヤ人はアラブの敵だったのに、その敵と手を結んだということで批判されて、彼は後に暗殺されます。しかしその後もエジプトの方針は変わることなく、サダトが敷いた現実路線の延長に現在のエジプトはいます。
 イスラエルからすると、周りのアラブ諸国は敵ばっかりだったのに、エジプトが仲良くしてくれるといってきた。だったらあなたの国にはいい思いをさせてあげましょうと、第三次中東戦争で奪っていたシナイ半島を返した。これが1982年のシナイ半島返還。やがて、エジプト以外のアラブ諸国も徐々にイスラエル容認に傾いていきます。いくら反対したってイスラエルは存在している、将来的にも消滅する可能性がないのならば、付き合っていくしかないじゃないかということです。
 ということで、教科書には「シナイ半島は、1979年にエジプト-イスラエル平和条約が結ばれ、1982年にエジプトに返還された」と書いてある。 1979年エジプト-イスラエル平和条約に線を引いておいてください。
 先ほども言いましたが、この条約を結んだエジプトのサダト大統領は、後に反対派によって暗殺されます。またイスラエルのラビン首相も、同じく国内の反対派によって暗殺されています。
 非常に反対派が多い中での条約締結だったことが分かります。これが条約を締結時の写真。左にサダト大統領、右にラビン首相が写っています。真ん中にいるのがアメリカのカーター大統領。アメリカは常にイスラエルの味方なので、イスラエルとアラブ諸国との関係改善をするのに手を尽くす。イラン革命が起きた時のアメリカ大統領も、このカーターでした。この時イランの首都テヘランのアメリカ大使館に、多くの職員が取り残されて脱出するのに苦労した。アメリカ大使館の周りはイラン人によって取り囲まれて人質状態になっていた。この時、強硬手段で特殊部隊など送って、大使館に残された人々を救おうという意見もあったのですが、カーターは強硬手段を取らなかったので人気が落ちてしまって、次の大統領選挙で当選しなかった。大体一度当選すれば次も当選して、8年間大統領をするのが普通なのですが、カーターは2回目の選挙で落ちました。強行手段をとらなかったことからもわかるように、すごく平和的な考えの人です。大統領を辞めてからも個人的な立場で世界各地を回って平和に手を尽くすようなことをやりました。そちらの活躍の方が結構有名かもしれません。

 ついでだから資料集のアメリカ歴代大統領を見ておきましょうか。
 フランクリン=ローズヴェルトが病死した後、トルーマンが大統領になる。冷戦をはじめた人ですね。その後は共和党のアイゼンハワー大統領。アイゼンハワーはノルマンディー上陸作戦の時の最高司令官として有名でした。ただし高校世界史の中ではあまり名前は出てきません。次が民主党のケネディ、暗殺されたあとがジョンソン。公民権運動、ベトナム戦争で名前がでてきました。その後は様々な出来事に関わったニクソン大統領ですね。共和党でうす。彼は非常に大事。ベトナム戦争からの撤退、ドル=ショック、中国訪問など様々なことをやった。大統領選挙時の不正、ウォーターゲート事件で辞任した。その後副大統領から昇格した人がフォード。この人は選挙では当選できず、民主党カーターが大統領になる。スリーマイル島の原子力発電所事故の時もこのカーター大統領。
 カーターが四年で辞めた後、出てくるのが共和党のレーガン大統領。当時としてはかなり高齢で大統領になりました。元ハリウッドの俳優でした。すごく有名な俳優ではない。 B 級映画の準主役級のような、超一流俳優ではないけれども、それなりに名前が知れていた。俳優だからまあイケメンです。話もそれなりに上手。考え方としては非常に好戦的で、社会主義のソ連に対しては、非常に敵対的な態度をとっていました。
 共和党はどちらかというと好戦的なイメージ、民主党は平和的なイメージがあります。あくまでもイメージですけれども。だからベトナム戦争を始めたのは民主党のケネディ、ベトナム戦争を辞めたのは共和党のニクソン。イメージと実際にやっていることは、食い違っていることが結構多い。平和的なイメージがある人が平和的な政策をやると、反対派からものすごく反発を喰らってうまくいかない。 しかし好戦的なイメージがある人が平和的なことをやると、好戦的なグループは味方だと思っているから、まああいつがやることだから仕方がないな、と認めてくれる。そういう面がある。
 そして好戦的なイメージがあるレーガンが大統領をやっている時に、ソ連でゴルバチョフが登場する。ゴルバチョフは改革派なのでアメリカに歩み寄ってくれるわけです。 そうするとレーガンも敵対する必要もないですね。レーガンの後同じく共和党のパパブッシュが大統領になり、マルタ会談で正式に冷戦が終わったことが宣言されますが、 実際にはその前のレーガン大統領の時に、冷戦が終わるということは、もうみんなが分かっていました。レーガンの時に話がついていたことを、パパブッシュの時に文章化したという感じです。だからマルタ宣言は教科書であまり大きく扱われてはいません。
 パパブッシュのあとがクリントン、これは民主党。非常にかっこいい大統領でした。その後が子ブッシュ、共和党。そして初の黒人大統領、民主党のオバマ、次に共和党のトランプ、そして現在民主党のバイデンと続いているわけです。話が大分それました。

 1993年、パレスチナ暫定自治協定が結ばれます 。結んだのはイスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長が。アメリカのクリントン大統領が仲介した。
 この協定でイスラエルは、ヨルダン川西岸地区とガザ地区にパレスチナ人の自治政府の設置を認めた。PLO、パレスチナ人側としては、協定を結ぶこと自体がイスラエルの存在を認めたということになりました。ただこの協定は有名無実化しており、現在、ヨルダン川西岸地区にはイスラエル人たちがどんどんと入植してきてパレスチナ人たちを追い出し始めています。また、PLOが自治政府をそしきしているヨルダン川西岸地区と違って、ガザ地区は暫定自治協定に反対しているハマスという組織が統治しているので、ガザ地区はイスラエルによって封鎖されて、ここの住民は厳しい生活の追い込まれています。

 2021年12月07日

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