時間切れ!倫理

 106 日本神話 3

(エ) アマテラスとスサノヲ

 イザナギは、自らが生んだこの三柱の神に支配地域を与えます。アマテラスには高天原を支配するように、ツクヨミには夜の世界を支配するように、スサノヲには海の世界を支配するように命令しました。
 ところがスサノヲはそれを嫌がって泣き叫びます。神が泣き叫ぶのですごい騒ぎになります。イザナギがなぜそんなに泣き叫ぶのか聞くと、スサノヲは黄泉の国にいる母親イザナミに会いに行きたいというのです。イザナミによってそれを禁じられると、次にスサノヲは姉であるアマテラスに会いに高天原に向かって登って行きます。
 その時にまた大騒動が起きるのが次の話です。この神話の話は入試にもちょこちょこと出るので、常識としても知っておいてください。もう一度資料集を読んでおきましょう。
「アマテラスは太陽の神、昼の神で高天原を治め、ツクヨミは月の神または夜の神で、スサノオは大地の神、または海の神で下界にいた。スサノオが高天原のアマテラスに会いに行こうとした時、アマテラスはスサノヲの勢いの荒々しさに驚き、高天原を奪いに来たのではないかと疑った。そこでスサノヲは呪いによる占い(ウケヒ)を行い野心がないことを明らかにし、高天原に来ることができた。」
 あまりにもすごい勢いでやってくるスサノオは、荒ぶる神様なので色々な物をぶち壊しながら来るのです。アマテラスは、自分が支配する高天原という天の国を奪い取りに来たのではないかと恐れて、「あなたは私の国を取りに来たのではないか」と聞くのです。スサノオヲは「そうではない」といいます。「では、それを証明しなさい」ということになる。「あなたが私の国を奪う気がないことをどうしたらわかるでしょう」とアマテラスが聞く、その時の言葉です。

 「あなたの心の清き明き心をどうしたらわかるでしょう。」

 はじめに話した清明心ですね。結局、ウケヒという占いによって、野心がないことを証明できたのでスサノオは天の国に行ってくることができました。
 しかしやってきた後も、スサノオは乱暴なことばかりするのです。その部分です。
 「ところが高天原に来たスサノオは荒々しく振る舞い、天照の田や機屋を壊したり」、すでに農耕社会になっているので、その象徴である田んぼを荒らしたりあぜ道を壊し、機織(はたお)りの機械が置いてある小屋を壊した。「祭祀の場である神殿に大便をしたりした。」むちゃくちゃですね。
 「怒ったアマテラスは天の岩戸という洞穴に隠れ、岩戸を固く閉じてしまった。太陽の神が隠れてしまったことで高天原は闇に包まれ、神々は困り果てた。」「そこで、窓の外で宴を開きウズメノミコトという神を躍らせるなどして盛大に歓声をあげた。岩戸の外から楽しげな声が聞こえてくるので、アマテラスが様子を覗こうと岩戸を少し開けたところ、タヂカラオという力持ちの神が岩戸をこじ開け、アマテラスを外に出し高天原に再び日の光が戻った。スサノヲは多くの物品を献じる祓いを課せられ、髭を切られ、爪を抜かれて高天原を追放された。その後スサノオは出雲に赴いてヤマタノオロチを退治することになる。」
 スサノオは結局追放されてしまうのですが、追放されたのは出雲国。今の島根県。その子孫が大国主命(オオクニヌシノミコト)だという流れです。
 一方アマテラスの子孫もいて、この子孫が地上に降りてきて天皇家の祖先になるという話になっています。オオクニヌシは天皇家の祖先に自分の支配していた国を献上したということです。神話や歴史学の研究などをする人は、ヤマトの天皇家とは別に出雲にもう一つの国があり、出雲が大和朝廷に征服された歴史が、こういう神話になっているのだともいっています。
 日本の神話にはエロチックなところがたくさんあって、アマテラスが洞穴に隠れてしまい、彼女を外に誘い出すために大宴会を神々がしていました。その宴会がものすごく盛り上がったのは、ウズメノミコトという女神がストリップをやったからです。踊りながら服を脱いでいくので、男の神様たちがめちゃくちゃに盛り上がる。それを聞いて天照が外を覗いたことから引っ張り出されます。性に関しておおらかな感じが昔からあるような気がします。

※2016年度のセンター試験に次の問題があった。
問 …日本の神についての和辻哲郎の考えとして最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。
@ 天皇は神聖にして侵すことのできない神であるから,忠孝一本という道徳に基づいて天皇に奉仕するのが日本人の責務である。
A 人は死後に遠い彼方の世界に行くのではなく,身近な山などに留まって,子孫を見守る神となり,定期的に子孫のもとを訪れ,豊穣をもたらす。
B 神とは,共同体の外部から来訪し人々の饗応を受けて去る存在であり,その様を模倣することで各種の芸能が成立した。
C 日本神話には唯一絶対の究極神は存在せず,最も尊貴な神として祀られるアマテラスであっても,みずから他の神を祀っている。

正解はC。和辻は「祀る神」「祀られる神」ということを書いている。これは何を言っているのかわからなかったのだが、尾藤正英『日本文化の歴史』(岩波新書)が和辻の説をおおむね次のように紹介していた。天皇は宣命で自らを「明神御宇天皇(あきつみかみとあめのしたしろしめすすめらみこと)」と称している。現世に現れた「神」ではあるが、信仰や祭祀の対象となる神ではなく、逆に各種の神を祀ることを任務としていることにより、神的な性格を帯びた存在「祀る神」である。これに対し、山の神や海の神のように、もっぱら「祀られる神」がある。また、「祀り、祀られる神」がある。この最後の類型の神がもっとも尊貴な神である。皇祖神であるアマテラスがまさにそれであり、神に奉仕する女性と同じように「神衣(かんみそ)」を織り、「祀る神」として行動しているが、伊勢神宮においては「祀られる神」である。ただ祀られるだけの山の神などは、あまり尊い神とはみなされていない。祀られることより、祀ることに重要な宗教的意義があった。 ここから、上のような問題をつくったと思われる。この和辻説は教科書レベルではない。そもそもCの文は、和辻説の要約として妥当なのか私にはよくわからない。

(オ) 日本文化の重層性

 このような神話や宗教観を持っている日本列島に、やがて大陸から様々な文化が入ってきます。仏教が入ってきたり、儒家思想が入ってきたり、キリスト教が入ってきたり、西洋文明が入ってきますが、こういう古代の宗教観の上にこれらが積み重なっていきます。決して古い層の文化が消えては行かない。これを日本文化の重層性といいます。

 2023年5月16日

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