時間切れ!倫理

 15 フランクル

 最後に生きることは何かということをとことん突き詰めた二人の人物を紹介します。この二人はほとんどすべての教科書や資料集で紹介されている。入試にも頻出です。

 一人はオーストリアの精神科医フランクル(1905〜97)。著書が『夜と霧 新版』(1946年出版)。世界的な大ベストセラーとなりました。
 フランクルはユダヤ系オーストリア人。ウィーンで精神科医をしていた。ヒトラーのナチス政権がドイツで成立し、やがてオーストリアはドイツに併合されます。

 フランクルは亡命しなかったので、他のユダヤ人達とともに捕えられ、貨車にぎゅうぎゅうづめに詰め込まれて収容所に運ばれていきました。
 収容所に連れて行かれたら強制労働をさせられ、あるいは殺されてしまうということは、皆知っていました。列車がどんどんと進んでいき、やがてある駅に着きました。貨車の隙間から駅名を見た一人のユダヤ人が駅名を叫びました。

 「アウシュヴィッツだ!」

 それを聞いて貨車のなかのユダヤ人たちは皆、絶望的な気分になったといいます。アウシュヴィッツにいけば命がないということは既に知られていたのです。
 アウシュヴィッツ駅で降ろされたフランクルたちは一列に並ばされ、ドイツ人の将校によって右と左に振り分けられました。どちらに振り分けられたらどうなるのかは何も分かりません。フランクルが振り分けられたグループは、ある建物に入れられます。服を脱げといわれ、そのままシャワー室に入れられました。もう皆分かります。自分達は殺されるのだと。みんなが天井のシャワーの吹き出し口を見つめている。ここから毒ガスが出てくるのです。
 すると、バーッと水が出てきました。その瞬間みんな「やったー!」と歓声を上げたそうです。彼らは殺されずに済んだのです。

 フランクルたちはアウシュヴィッツ収容所に一泊だけして、翌日はまた別の列車に乗せられて違う収容所に運ばれてきました。結局そこで死と隣り合わせの強制労働の日々が待っていたわけで、とんでもない運命には変わりはありません。

 先輩収容者からフランクは収容所で生き抜くコツを教えられます。どんなに疲れていたり、体の具合が悪かったりしても、歩くときは元気に歩くこと。何でもよいから赤色のものがあったら自分の頬に塗って血色よく見せること。労働力として使えないと思われたら、不要な者として殺されてしまうからです。だから何があっても、自分は使えるとアピールせよ、ということです。

 収容所ではフランクルが精神科医であることはすぐに知れ渡り、多くの人が彼の元に来て悩みを打ち明けます。何をいいに来るかというと、「死にたい」です。実際に収容所では絶望感に駆られて自殺する者が毎日のように出た。朝になって収容所の片隅に死体が転がっていても、何も感じなくなるとフランクルは書いています。

 そういう中で、自殺の相談に来る人達にフランクルは何といったか。二つあります。

 一つは、「あなたが死んで悲しむ人はいませんか。」

 いつか戦争が終わって、どこかに収容されているあなたの母親・妻・子供達が生き延びて解放された時に、あなたが死んでしまったことを知ったら悲しむか?悲しむはずです。そう考えるだけで、もう少し生き延びようと人は思う。

 もう一つは、「あなたは人生でやり残したことはありませんか。」

 人生を振りかえれば、誰もが何かやり残したことがある。あれをやりたかった、これはまだやっていないということを考えると、やはり生きようと思う。
 フランクル自身も精神科医としてキャリアを積む中で、本を書き残そうと考えていました。実際に収容所に来る時まで本のメモを持っていたのですが、それはなくなってしまいました。しかし収容所を出たら本を書くのだということが彼の精神を支えたのです。実際に収容所を生き延びて出た彼は、一週間で収容所での体験を『夜と霧』という本に書きあげました。極限状態の中で人間は何を考えるのか、その中でも生き延びていくのに必要なものは何なのか、そういったことをフランクルの本は訴えています。

※フランクルもロジャーズ、マズローと同じく人間心理学。さらにキルケゴールやハイデガーの実存主義の影響もある。人は意味や人生の目的を求めようとする力(動機づけ、意志)が、根本的に備わっている。これが人格的成長や自己発見につながると考える。(大芦『心理学史』)

【参考図書】諸富 祥彦『NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧』(NHK出版、2013)

 2021年03月27日

次のページへ
前のページへ
目次に戻る