次はヤスパースです。
このあたり、実存主義思想は教科書ではすごく分かりにくい。資料集をよく読んだ方が理解しやすいと思います。本当はこの人たちの本を直接読むのが一番いいと思うのですが、難しいし時間もないですしね。
ヤスパースはドイツ人です。ニーチェもドイツ人。キルケゴールのデンマークもドイツに近い。
ヤスパースは1883年生まれ。ヒトラーのナチス政権を体験しています。この人はユダヤ人ではないのですが、奥さんがユダヤ人だったので弾圧を経験しています。政治的な弾圧を受ける中で実存主義の思想を深めて行った人です。
ポツンとした自分の存在をどうとらえるかというところで、ニーチェは「力への意志」を持て!超人となれ!と唱え、キルケゴールは「あれか、これか」の決断と単独者を説く。
ヤスパースも、自分が孤独であることを理解せよ、と考えるようです。それが限界状況という言葉です。
彼は人生の壁として死、苦悩、争い、罪責(負い目)、この四つは逃れられないことだと考えます。罪責はキリスト教の原罪から来る発想だと思うので、僕らには少しわかりにくいですが、死は必ずやってきます。逃れられません。
皆さんはまだ若いから死を意識することはないと思いますが、この歳になるとなんとなく意識し始めています。皆さんもいつか死にます。遠い先と思っているから意識していないと思うけれども、例えば癌になって余命三ヶ月と言われれば意識しますよね。それが限界状況です。自分は残りの時間をどう生きたらいいのか考えざるをえない。
ヤスパースはナチスドイツの弾圧を受けているから、本当にいつ自分が収容所に入れられて死ぬかもわからない。常に限界状況に直面し、死を意識していたと思います。しかし考えてみれば誰もが死を迎えるし、死以外にも、争いや苦悩によって壁にぶち当たることがある。
その時に人は世界を超えた超越者、包括者に出会うのだとヤスパースはいう。限界状況に直面し、人は実存を意識する。世界にポツンと一人ぼっちでいることを意識して、超越者、包括者に向き合う。
ヤスパースが200年前の人ならば、神と言うところですが、すでに神は死んでいるので、ヤスパースはこれを超越者、包括者と呼んでいる。限界状況になったときに人は超越者、包括者に向き合って、ポツンと存在する自分に目が開かれるという
。
これが「実存開明」です。実存は理性によって明らかになると書いてある。ヤスパースはまだ理性を信じていますね。理性によって自分の実像を知ることになるのだという。そして、そのことを思い知りながら生きていかなければならないと。
ここまでの話の流れは、キェルケゴールやニーチェとほぼ同じですが、ここから先が少し違う。
キルケゴールは単独者、ニーチェは超人という。単独者という言葉がはっきり示していますが、一人でポツンといるわけです。単独です。そのことに耐えろと。超人も誰かと いる感じではありませんね。大衆から抜け出て一人だけ上にポンといる感じです。
でもヤスパースは違う。人との交わりを求める。これが特徴です。自分一人ではない。実存開明して、自分の「ひとりぼっち感」をちゃんとわかっている人は自分一人ではなく、あそこにもここにもいるだろう。そういう人と交流することによって、真実の人生を得ることができると考えた。
彼はこれを「実存的交わり」「愛しながらの戦い」と表現しています。実存開明した人たちは、互いに慣れあっていない。そういう人間と人間との交流を求めた。「実存を自覚した者同士が、孤独と絶望に耐えながら」ここですね。自分も孤独、あなたも孤独、分かっている。僕も絶望を感じている、君もそうだね 、ということを分かり合いながら「互いに高め合う人格的交わり」を求めました。「愛と理性をもって互いの真実を戦わせる」。これが理想の状態ということです。
それにしても、ニーチェを読んでいる人はたくさんいますが、ヤスパースを読んでいるという人は聞いたことがないです。