時間切れ!倫理

24 ソフィスト

 前5世紀ころに活躍した哲学者たちにソフィストと呼ばれる人たちがいます。

 彼らは、弁論術を教える職業的な教師でした。当時アテネでは民主政治が発展し、市民たちが民会という会議で自由に議論をしながら、政治について様々な決定をしていました。人々を説得し、反対意見を議論で打ち負かすことによってアテネの政治を主導することができました。そこで、政治的な野心がある人たちは弁論術を磨きます。彼らに弁論術を教えたのがソフィストと呼ばれる哲学者たちです。優秀なソフィストは非常に高額な授業料を取って教えたそうです。ソフィストというのは知恵者という意味です。議論に勝つための、屁理屈や詭弁を教えるというイメージが強く、同時期に活躍したソクラテスとの対比で評価は高くありませんが、彼らの哲学的議論のレベルは決して低くはなかったようです。

 ソフィストの特徴です。議論に勝てばいいので何が真理か、何が正しいかということは、どうでもいい。むしろ彼らは絶対的な真理などないと考えます。これを価値相対主義という。最も有名なソフィスト、プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」といいました。エジプト人は人間の身体に鷹や山犬の頭をつけたモノを神と考え、ペルシア人は火を神とあがめ、ヘブライ人は神をヤハウェのみとし、われわれギリシア人はまた別の神々を持つ。神ですら時と所が違えば変わる。どこに絶対的な真理や善があろうか。君の正義とわたしの正義は違う。「万物の尺度は人間」というのはそういうことをいっている。

 万物の根源は何かというような疑問についても、「論者によっていうことが全然違う。だからそんなことを考えても意味がない」という立場です。哲学史上の位置づけはあまり高くありませんが、彼らの考え方は非常に現代的で我々には分かりやすいと思います。「奴隷制は人間性に反する」とか、「神は頭のいい男が人々を従わせるために発明したものだ」とか、よくぞ言ってくれた!と共感できることもいっています。

 資料集にプロタゴラスの授業料裁判というコラムが載っています。ソフィストの屁理屈、彼らの議論の進め方がよく分かる逸話です。
(参考)『Which is right? プロタゴラス vs エウアトルス』 http://www1.kcn.ne.jp/~h-uchii/Logic/protagoras.html

 2021年05月08日

次のページへ
前のページへ
目次に戻る