時間切れ!倫理

 39 ヘレニズム時代(アレクサンドロス以後)の時代背景

(ア) ポリス社会の衰退

 ソクラテス、プラトン、アリストテレスの時代(紀元前5世紀から紀元前4世紀にかけて)は、古代ギリシアの哲学が頂点に達した時代ですが、実は政治的にはポリスの衰退がはじまっていました。ペロポネソス戦争(前431〜前404年)という長い戦争がある。スパルタとアテネをそれぞれ盟主としたポリス同盟間の戦争で、ギリシアのほぼすべてのポリスを巻き込んだ戦争でした。その後も、ギリシアの覇権をめぐって戦争が続き、各ポリスの政治力や軍事力が相対的に落ちていきました。こうしたなか、ペロポネソス半島の北部にあるマケドニア王国が力をつけてきました。マケドニアもギリシア人の国ですが、ここは後進地域で、マケドニア人はポリスを形成せず、王政を敷いていました。
 マケドニア王国の王子だったのが、のちに有名となるアレクサンドロス。アリストテレスはマケドニアに招かれて、アレクサンドロスが12歳から15歳になるまでの3年、彼の家庭教師をしていましたね。アレクサンドロスの父フィリッポスは、ギリシアのポリス世界の衰退に乗じてこれらを服属させ、全ギリシアの盟主となりました。フィリッポスが亡くなると、まだ二十歳そこそこだったアレクサンドロスが後を継いで王になった。

(イ) アレクサンドロスの帝国

 アレクサンドロスは、父がやり残したペルシア帝国への遠征に着手します。これが有名なアレクサンドロスの東方遠征(前334〜)。遠征は成功して、アレクサンドロスはペルシア帝国を滅ぼして大帝国を作ります。ギリシアのあるペロポネソス半島に加えて、アフリカはエジプトから、東はインダス川流域にまで及ぶ大帝国です。アテネなどのギリシアのポリスは、独立を失い、アレクサンドロスの広大な帝国のなかの、小さな一部分に過ぎなくなる。
 それまでのギリシアの哲学者は、ポリスの政治について、その理想形を考察していたのですが、アレクサンドロスの帝国形成以降のギリシアの哲学者たちは、政治的な問題を考えなくなります。意味がないからね。王が権力を握っている大帝国の中で、たかが一哲学者の政治的議論など、むなしいだけでしょう。
 アレクサンドロス大王は30代前半ばで死んでしまって(前323年)、その後は彼の部下の将軍たちが、帝国を分割し割拠する時代となります。アレクサンドロスの帝国成立以降、この時代も含めて、西アジア全体はギリシア人の支配下にはいっています。ギリシア人が支配者の時代という意味で、アレクサンドロスの帝国以降の時代をヘレニズム時代という。ギリシア人の自称の民族名はヘレネといところからの命名です。
 ヘレニズム時代は約300年間続く。ギリシア系のプトレマイオス朝エジプトがローマに滅ぼされて、ヘレニズム時代は終わります(前30年)。

(ウ) ローマ帝国

 ちょっと時代はさかのぼりますが、ギリシアでポリスが繁栄しているころ、イタリア半島の中部に都市国家ローマがあった。ギリシアから様々な文化を導入して、だんだん強大になりイタリア半島を統一し、紀元前1世紀には地中海を取り巻く大帝国を作ります。やがて、ギリシアもエジプトもシリアも、全部ローマが支配下におさめます。これによって、ヘレニズム時代が終わる。ギリシア人のポリスは独立を取り戻すことなく、今度はローマ帝国の支配下にはいる。ギリシア世界が巨大な帝国の小さな一部であることには変わりありません。
 ギリシア人の哲学は、ヘレニズム時代からローマ時代に継承されていきます。ギリシア人を征服したローマ人たちは、政治的には優位に立っていますが、文化の面ではギリシア人にはかなわないと自覚していました。ですから、哲学を含めてギリシア文化を受け入れて、継承していった。なので、古代ギリシア文化のことを、ローマとつなげて、古代ギリシア・ローマ文化と呼ぶことが多いです。

(エ) 哲学の変質

 さっきもいったように、ギリシア世界は巨大な帝国の一部になってしまい、哲学者からは政治的な関心は消えてしまう。あと残っているのは、いかに生きるかだけです。このでっかい世界の中で、小さな自分はいかに生きるか。大きなテーマがなくなり、哲学のスケールも小さくなる印象です。「自分さえよければ」的な哲学がはやるようになる。アレクサンドロスが力つけてきた頃に、すでにそういう傾向は始まっていました。

 アテネにディオゲネスという哲学者がいました。アレクサンドロスはアリストテレスの教え子ですから、哲学にそれなりに関心があった。そこである時、ギリシア各地の有名な哲学者に招集をかけた。ディオゲネスも有名だったので声かかったのだけれど、めんどうくさいから行かなかった。 
 「めんどうくさい」という点で、すでに自分のことしか考えてない。この人は富とか名誉とかに関心がない。自分の心の中の平安さえあればいい。一切財産も持たない。財産があると自分の心が惑うだけだから。ずた袋の中にコップを一つ入れていて、それが財産のすべて。家もなくて、アテネの街の路地裏の壊れた樽の中に寝そべって暮らしている。まるで乞食と同じようなので、彼の思想がわからない人からは「犬」と呼ばれている。「犬のディオゲネス」というのが彼のあだ名でした。
 そのディオゲネスが、アレクサンドロスが哲学者を招集したときも、めんどうくさいからいかなかった。いかなかったのは彼だけ。アレクサンドロスは、逆に、来ない彼に興味を持って、自ら彼が樽の中で昼寝をしているところに出向きました。
 アレクサンドロス大王が「お前がディオゲネスか」と聞くと、「そうだ」という。「余はアレクサンドロスである」というと、「そうか」というだけ。「何か望みはあるか」とアレクサンドロスが聞くと、ディオゲネスは「お前が立っていると陰になって寒いからどいてくれ」という。それだけ。王様が来て、望みをかなえてやるから何かないかといわれ、「どけ」。それしかいわない。自分だけ。政治にも社会にも、全く関心がない。これが典型的。以降の哲学はこういう傾向が強いです。
 もしもプラトンなら、アレクサンドロスがやってきて、望みがあるかときかれたら、絶対に目指すべき政治の理想を説くはずです。「こういう学問をしてください。こんな徳を身につけてください、大王!」というはずです。アリストテレスもいうでしょう。そうでなければ、家庭教師などしないはずです。

 2021年08月21日

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