時間切れ!倫理

 38 友愛と正義、共和制

政治観 友愛と正義

 アリストテレスの政治的な考え方についみていきます。
「人間はポリス的(社会的)動物である」。この言葉は、以前さまざまな思想家の人間観のところで紹介しました。当時のギリシアの人々は、アテネ、スパルタ、テーベなどポリスと呼ばれる都市国家の中で市民として生きていた。たくさんのポリスがあり、ポリス間の戦争もある。人口はせいぜい1万人くらい。もっとも大きなポリス、アテネで20万人ぐらい。このポリスの中で、人は生まれて死んでいく。ソクラテスも、アテネというポリスで生まれて、そこから出ることを拒否して、最後は死を受け入れた。
 ポリスで生まれて、生きて、死んでいく人間にとって大事なことは何なのか。ポリスで、きちんと暮らしていくために大事なこととは何なのか。ポリス共同体の中で重視すべきなのは何か。
 アリストテレスの答えは、すごく常識的です。みんなが仲良くすることが大事です、という。これを「友愛(フィリア)」という言葉で表現します。いがみ合ったりトラブルがあったりすることもあるだろうけども、一番大事なものは「友愛」だよと。それがあれば、ポリスの中で「正義」が実現する。
 アリストテレスは、正義に関しては二つに分けて考えています。全体的正義と部分的正義です。全体正義は、市民全体がポリスのルールを守ること(徳全体がそなわり、正しい行為を行う状態にある:山川用語集)。個別に起きるさまざまな状況に対応するのが部分的正義。
 部分的正義はさらに二つに分けられる。みんなが仲良くして(友愛)、正義が実現されるためには、功績のあったものは報いられ、災難にあったものは救われる必要がある。戦争で活躍した将軍がいたらたくさん褒美あげましょうというのが配分的正義。犯罪の被害にあった人には保証補填してあげようというのが調整的正義です。教科書にはこういう書き方しています。「正義は、各人の功績に応じて報奨を公平に分ける配分的正義」。「功績に応じて公平」というところが興味深いですね。平等が公平ではないのです。功績に応じて差をつけることが公平なのです。調整的正義とは「罪を犯した人を罰し、犯罪にあった人には補償をして、各人の利害が等しくなるように調整する」。

※「正義」というのは、一番形式的に定義すると、「その人にふさわしいものを与える」ことである。伝統的には配分的正義と応報的正義(※調整的正義のこと)の二つがアリストテレス以来区別されてきた。配分的正義というのは、お金や財をみんなで山分けするときに、どういう分け方をするのが一番それぞれの人にふさわしい分け方になるか(貢献に応じるのか、必要の応じるのか)で、応報的正義というのはどういう行為に対してどういう賞や罰を与えるのがいちばんその行為にふさわしいか、ということについての正義である。(引用不明、メモ紛失です)  

 アリストテレスの考え方の中で、この部分的正義とか分配的正義とか調整的正義がどれほどの重要性があるのか、私には実は分かりません。ただパッと見てわかるように、試験に出しやすいネタですので、覚えておいてください。

共和制の政治

 アリストテレスは政治制度としては共和制がよいといっています。共和制とは何か?わかりますか。単純です。王様や皇帝がいない政治の仕組みです。特別な身分の第一人者がいないので、構成員は立場的に平等という場合が多い。したがって、政治も皆で議論する民主政治の場合が多くなるでしょう。アリストテレスは共和制という言葉で、民主政治を指しているように思います。アリストテレスはこれが、一番良いといっているのです。
 ちなみに、プラトンが理想とした政治の仕組みは何でしたか。哲人政治でしたね。これは王政のイメージです。ですから、アリストテレスはここでも、プラトン先生の意見に異を唱えている。
 実は、アリストテレスも本当は哲人政治が良いと思っていた、と思います。彼が一番いいと考えている政治は王政です。ただし、条件があって、賢い立派な王様がいる王政。哲人政治といってもよいかもしれない。
 次に良いのが貴族政。これは少数者による支配と考えてください。しかも、その少数者は能力の高い、立派な人々であること、という条件付きです。
 三番目に良い政治が共和制。王も貴族もいない。具体的なイメージは民主政治です。これも条件があって、みんながちゃんとルールを守っている状態。立憲民主制と書いてある本もありました。時代的にこの表現はどうかと思いますが、まあ、言わんとするところはわかりますね。
 そして、次が同じ共和政ですが、ルールがない、ぐちゃぐちゃの共和制。全体的正義すらなく、みんなが勝手なことやってもないような感じですね。みんなわがまま放題、好き勝手。ダメな政治体制ですね。
 次にダメなのが、寡頭政治。現代では使わない表現ですが、本来は少数者による支配のことです。しかし、アリストテレスは、ダメな少数者による政治を寡頭政治と呼びます。これは、貴族政治の堕落形です。
 次にダメな、というか一番ダメな政治体制が、僭主制。ただ一人による政治ですが、王政との違いは、この一人が徳のないダメな奴という点です。王政の堕落形態です。 つまり、良い順番に政治体制を並べると、王政―貴族政治―共和制(ルールあり民主制)―だめな共和制(ルール無用の民主制)―寡頭制(少数政治)―僭主政治、となる。一番良いのは王政だが、これはひっくり返ると一番悪い僭主制になりかねない。二番目に良いのは貴族政だが、これも転落すると二番目に悪い寡頭政治に陥る。ルールのある良い民主政治は堕落すると、ルールのないだめな共和制になる。これはダメな政治体制だけれど、ワースト3である。ワースト1,2よりもまだましなのです。
 ここで、アリストテレスの中庸の考えが登場します。ワースト1、2を避けるためには、ベスト1,2ではないが、共和制が現実的には最善である、と。アリストテレスの常識力炸裂です。

リュケイオン・著作

 アリストテレスも学校を作りました。リュケイオンといいます。フランス語の高等中学を指すリセの語源です。
 著作はたくさんある。『ニコマコス倫理学』『形而上学』『政治学』『詩学』これ以外にもたくさんありますが、よく名前が出るのが『ニコマコス倫理学』かな。アリストテレスが書いたというより、弟子たちが編集したものが多いようです。

※(ちょっとひとこと)大学時代にアリストテレスの『カテゴリア』を英語で読む演習をとったことがある。その時強烈に感じたのは、かれは現実世界ではなく言葉を分析しているということであった(テキストの内容的に当然かもしれないが)。アリストテレスでも考察の対象は、現実の現象世界ではなくロゴスであり、ロゴスこそが世界そのものだという前提があるようであった。その前提は、アリストテレスには意識されていないようだった。同じような感覚は、プラトンの著作にも感じることがある。彼らは、この世界を探求しているのだが、彼らが見ている世界は、世界そのものではなく、世界を表す言葉であり、それが西洋哲学の発想に大きな影響を及ぼし続けていたように思う。

 2021年08月14日

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