時間切れ!倫理

 48 孟子2

C 易姓革命

 孔子の説明で、徳治主義について話しました。君主が徳を身につけていれば、人民はそれを見習って徳を身につけると。それで、国・世の中が治まって、平和になるのだ、という理屈だった。もし、この君主がダメダメな奴で、まったく徳がない場合どうなるのか。それを見習って人民は悪くなるでしよ。孟子は、こんなダメダメな君主は人民がやっつけても構わないといった。これが易姓革命です。革命という言葉は、フランス革命、産業革命などと、普通に使っていますが、孟子がもとです。王様を変えても構わない、政府をひっくり返しても構わない。これが革命。易姓(えきせい)というのは、王様を追放すれば、別の人が王になる。王家の姓が変わるから、易(かわる)姓。王朝交代ですね。革命の「命」は天命からきている。つまり天の命令。この天の命令、天の声はどこから聞こえてくるか。それは、人民を通じて聞こえてくるのです。人民が悪い王様を倒すのは、天の声なのだからオッケーです、というのが孟子の考え。過激です。
 ですから、しばしば日本でも、中国でも、朝鮮でも、孟子の思想は危険視されました。幕末に長州藩からは、高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎(木戸孝允)などの志士が輩出し、活躍するけれど、かれらはの多くは吉田松陰の松下村塾で学んでいる。吉田松陰は孟子が大好きです。だから、幕府を倒しても構わないという発想は生まれやすい。吉田松陰はペリーが二回目に来た時に、密航してアメリカに行こうとして捕まった。西欧列強と戦うためには、敵を知らなければならないと考えて、黒船に乗り込んで「アメリカにつれて行ってくれ」と頼むのですが、失敗する。それで、長州萩の牢獄に入れられた。そこでなにをしたかというと、牢屋のなかの囚人仲間、みんな士族身分なのですが、その人たちに孟子の思想を講義した。囚人仲間は感服してしまって、みな愉しみして聞いてる。この牢獄での講義は本になって、現在出版されています( 講孟箚記(上) (講談社学術文庫)講孟箚記(下)(講談社学術文庫))。吉田松陰はその後幕府に呼び出されて安政の大獄で処刑されてしまいますが。だけど、彼に教えられた人たちが幕府を倒している。孟子の易姓革命を地で行っている。
 話がそれましたけど、最後に王道と覇道について説明しておきます。王道とは徳を備えた支配者のおこなう立派な政治のこと、覇道とは、力はあるが特のないものがおこなう政治のこと。力で不満を抑え込んでいるから一見うまくいっているように見えるけれど、人々が支配者に心服しているわけではない。王道を行う政治家が、王者。覇道を行う政治家が覇者です。覇者というとかっこよさそうですが、本当の意味は「あんた、徳がないね」「強いかもしれないけれど、人格はだめだね」ということになる。
 孟子はすごく人気があり、スター的な学者だったようで、各地の君主に呼ばれて講義をしている。移動するときは、豪華な馬車を何台も連ねて、大名行列みたいだったそうです。今なら売れっ子経営コンサルタントです。やはり、上の人たちに向かって説教します。易姓革命を説くけれど、君主に向かって、戒めとして説くのであって、庶民・人民の方は向いていません。

 2021年10月21日

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