時間切れ!倫理

 51 墨家 2

(ウ) 思想

@ 兼愛
 兼愛とは無差別の愛のことです。これが墨家の思想。これは何に対していっているかというと、儒家を意識している。儒家の思想を、墨家が非難していった言葉が「別愛」。これは差別的な愛のことです。儒家は差別的なのか? 確かに墨家の意見を聞くと差別的な感じがします。
 儒家は家族道徳を基本としました。一番大事なのは、お父さんお母さん、親です。同心円状に家族愛を広げていくわけだから、次に大事な祖父母。次に大事なのはお兄ちゃんお姉ちゃん。次に大事なのはおじさん、おばさん、という風にしてどんどん広げていこうとする。一番遠くに他人がいます。これを墨家は差別的と言います。
 そうなのかなと思うかもしれないけど、この発想は日本にも持ち込まれています。一番典型的なのは皆さんにもよく知っていて、経験もあるかもしれない忌引きです。親族が亡くなると、学校や会社を休んでも何日間かは、休み扱いされない。親が亡くなったら、一週間は学校を休んでも欠席扱いされないし、減点もない。おじいさんおばあさんだと3日、おじさんおばさんなら1日とか。どんどんどんの忌引きの日数が減っていく。
 他人はどうか。幼稚園から一緒で、家も近所の大親友が交通事故で死んだ。悲しくて悲しくても勉強も手につかない。「お葬式行きます。休んでいいですか?」教師は答える。「ダメです。」もしくは、「休むのは止めないけれど、欠席扱いですよ。」
 鹿児島にいて、年に2回しか会わないおじいさんでも、三日間休めるのに、大親友でも他人なので忌引はない。他人なんだから、悲しくないでしよ。遠くに住んでいても血縁が近ければ悲しいでしよ。これが忌引きの理屈であり、儒家の理屈です。
 身内から広げていく。これを墨家は差別的だとする。他人でも人の命は大事、死んだら悲しい、と考えるのが墨家。だから墨家は、宋の国の人が侵略されて死にそうになったら、他人だけど助けに行く。他人であっても、死ぬのは嫌だ、助けなくては、と思う。これが無差別の愛。兼愛。どこの誰でも理不尽に殺されるのは許せない。これが墨家の考え方。
 この兼愛が欠けているから、戦国の世が終わらないと考えている。だから、身内は大事にするけど、他人はどうでもいいと考える儒家は、差別的である「別愛」、それはおかしいじゃないかと墨家は批判するのです。

A 非攻
 非攻は絶対平和主義。あと交利といって、国の間で貿易をすれば、互いに利益が生まれ戦争が起きなくなる、ということもいっています。現代的な発想です。
 もうだいぶ前になりますが、『墨攻』という日本のコミックがあって、すごく面白かった。戦国時代の中国が舞台で、攻められそうになった町に、墨家の人がたった一人でやってきて、町の防衛に大活躍する話。面白いなあと思っていたら、映画化された。映画の題名もそのまま。これも面白かったです。機会があったら見て損はないと思います。

【参考図書】 『 墨攻 (新潮文庫) 』酒見賢一著:漫画、映画の原作がこの小説。オススメ。

 2021年11月3日

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