時間切れ!倫理

 56 朱子学

朱子
 朱子(1130生)が集大成したので朱子学といいます。宋の時代なので宋学ともいう。宋代に入ると、儒学革新の動きが出てくるのですが、革新運動の頂点に位置するのが朱子です。
 朱子は本名は朱熹(しゅき)といいますが、やっぱり偉い先生なので朱子と呼ぶ。12世紀の人ですから、日本では平安時代の終わり頃。この時代になって、ようやく儒学に新たな学説が生まれた。それまで1500年間変わらずにきた儒学が、朱子によってバージョンアップされた。
 この間、中国に仏教が入ってくる。仏教には宇宙観がある。世界の仕組みに対する考察がある。ところが孔子から始まる儒学は、人間道徳が基本であって、世界の成り立ちを考える要素はなかった。それでは面白くないし、仏教に対抗できない。それで世界観を組み込んだ。
 朱子学はその後、朝鮮王朝時代の朝鮮半島や徳川幕府でも取り入れられました。徳川幕府は、朱子学者の林羅山を取り立てました。その子孫は代々幕府に仕え、昌平坂学問所で朱子学を教えました。
 朱子の著書は、『四書集注』『近思録』。四書についてはのちに触れます。

理気二元論
 朱子学の世界観が、理気二元論です。この世界は、理と気からできている。これも中国的で、近代的な定義がないので説明しにくいのですが、理は私たちが使っている「物理」、「地理」、「理科」の理です。原理、ことわり、そんなニュアンスですね。この一文字で、伝えたいことはなんとなくわかりますよね。
 気は、物質をあらわすとも説明されますが、そうとも限らない。生きている人間が鼻から息が吸って吐く。これも気です。これも含めて、気と理で世界は成り立っていると考える。ちょっとアリストテレスの質料と形相にも似ているかもしれない。

性即理
 理気二元論だから、人間も理と気でできてる。人間の中にも理がある。これを「性即理」という。人間の本性は理であると考える。理は、真理の理でもある。この理が完璧なものになれば、孔子のいう最高の人間になれます。それが「聖人」。いわゆる聖人君子。孟子にいわせれば「大丈夫」かもしれない。
 しかし人間は物質でもあるので、物質的な気によって、理が曇っている、濁っている(気質の性)。だからなかなか聖人になれない。ではどうしたらよいのか。濁ってる自分の理をピカピカに磨きあげる必要がある。

居敬窮理
 そのためにはどうしたらよいのか。それが「居敬窮理(きょけいきゅうり)」。漢字が難しいですね。意味も難しい。漢字自体の意味は簡単。書いてある通り、身を慎んで自分の中の欲望を抑える、そうすることによって濁りが取れて気がピカピカになり、理を極めることができる。言葉では、いえる。しかし、具体的になにをすればよいのかは、ちょっとわからないです。この辺をいろいろ調べてみたけども、わからない。丁寧に生きて、欲望に流されず、ちゃんとした生活態度をとりましょうと、当たり前のことをいってるのかな、とも思うのですが、それも抽象的ですよね。

格物致知
 とはいいましたが、実は何をするのか、いっています。「格物致知(かくぶつちち)」。モノの理を極めることで、知に至る。ところが、これも私には何をするのかわからない。なぜわからないか考えたのですが、こういう朱子学、儒学の伝統は、もう私たちにとは完全に切れている。まだ、明治時代なら、こういう学問を一所懸命やっていた人がいたかもしれないけども、今は、リアルに朱子学を精神的支柱にして生きている人はいないので、わからない。多分こういう伝統に中に身を置き、聖人をめざして生活している人に、実際に接したら、これらの言葉が意味することが分かるのではないかと思います。言葉でなくて、体験する。そうすれば、ああ、こういうことか、とわかるような気がする。けれども、今はそういう人はいない。韓国や中国、台湾に行ったら、ひょっとすると、まだいるかもしれませんが。
 誰のなかにも理があって、誰でも聖人になれるという考えは、楽観的な感じがします。まさしく性善説だ。しかし、実際にこの学問の中に身をおくと、かなりきついらしい。なぜならば、誰でも聖人になれるので、今現在、聖人ではないということは、「お前、さぼってるな」ということになるらしい。「誰でも100点を取れるはず」という前提で試験をやれば、99点でもすごく責められる。「お前、100点じゃないじゃないか!」ってね。96点のやつは威張って、93点のやつを責めることができる。しかし、その人も、99点のやつに責められたら、かえす言葉がない。「お前、だめだな。努力が足りないダメなやつ!」となる。
 朱子学は、こういう世界なので、朱子学の学者さんたちは、めちゃくちゃ厳しくて、怖い人たちだったらしい。謹厳実直で近寄りがたく、道学先生と呼ばれ、敬して遠ざけられていたらしい。

修身・斉家・治国・平天下
 格物致知、居敬窮理を実践して、自分の理をみがき聖人に近づくと、どうなるか。儒家は、道徳を自分から家族へ、さらに遠くへ広げていくのでした。だからまず最初は、修身。自分をちゃんとします。そうすると、斉家(せいか)。自分の家が整います。家族関係がうまくいく。その次は国が治まります。最後に天下が平らかになります。こういう論理です。それが「修身・斉家・治国・平天下」。天下泰平にするには、まず自分から。儒学の原則はきっちりと守られている。

四書
 朱子はそれまでの五経のテキストに代えて、別のテキスト四書を推奨します。『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四つです。では、五経はやらなくてよいのかというと、それも必要なので、五経に四書が付け加わってしまった。つなげて四書五経という。官僚を目指す受験生にとっては、受験科目が倍になった感じですね。

 2021年11月23日

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