時間切れ!倫理

 05 エス、自我、超自我

 無意識における葛藤の原因を「心の傷」から「欲動」に移したことにともない、フロイトは心のモデルも転換します。「意識−前意識−無意識」という「局所モデル」から「エス−自我−超自我」という「構造モデル」への転換です。
 エスというのはドイツ語で、日本語に訳すと「それ」。「それ」ってすごいネーミングだと思いませんか。「それ」(エス)は暴れ回る本能。「それ」(エス)には性の欲動であるエロスと、死への本能タナトスがある。エロスのエネルギーをリビドーと呼びます。なんとエス、エロス、リビドーという特殊な用語が入試に出ています。タナトスは、難しすぎるのか入試には出ません。私も、タナトスというのはどうも理解できないです。

 エロスのエネルギー、リビドーはとにかく自由奔放に暴れ回るので、制御しなければ人間として社会生活を送ることはできない。人前で、とても恥ずかしいことをしたり、言ったりすることになる。
 これを制御する心の機能が「自我」。自我には意識の部分も無意識の部分もあります。
 「超自我」というのは、親、特に父親から植え付けられた道徳観や価値観のことです。たとえば、だれも通らない田舎道を歩いていたとする。道を渡ろうとしたら信号は赤。誰も見ていないので、渡ってもいいと思うのに、信号を守ってしまう。この心の働きが超自我です。神社の前を通りかかったら鳥居の前で一礼しないと気持ち悪くて仕方がないとか、そういう自分を縛っている価値観のことです。 フロイトによれば、自我はエスと超自我の板挟みにあって、苦しんでいる。これが心の病の原因だと考えるのです。

 ちなみに無意識ですが、これはエス、自我、超自我それぞれに無意識の世界があるようです。

 図についてひとこと。教科書や資料集に載っているフロイトの「心の構造図」は、「局所論モデル」と「構造モデル」を一つの図にまとめているので、非常に分かりにくい。フロイトはモデルを変えているので、そもそも一つにして描くのはおかしいです。この二つの図は単純なので、これで理解した方がよいでしょう。


【参考図書】和田秀樹『痛快!心理学 (痛快!シリーズ)』(集英社インターナショナル、2000)

 2021年03月19日

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